第54話 入学試験で、火を出すだけ?
アウルム学院の入学試験当日、俺は朝から少しだけ緊張していた。
理由は試験そのものより、周囲にいる子供たちだ。
試験会場になっている石造りの大広間には、俺と同じくらいの年齢の子供が五十人近く集まっていた。綺麗な外套を着た子、腰に家紋らしい飾りを下げた子、親らしい大人から最後まで何かを言い聞かされている子。ベルクでも身なりのいい人間は見たが、ここまで同年代ばかりが集まるのは、この世界に生まれて初めてだった。
村では、俺は「変なことをする七歳児」だった。
今は八歳になったとはいえ、周りも同じような子供ばかりだ。しかも、ここに来ているということは、少なくとも魔法を学ばせようと思われるだけの才能か家柄があるのだろう。
「火属性なら、もう第二階位まで使えるんだ」
少し離れたところで、金髪の男の子が得意そうに話している。
「僕は父上の先生から術式を習ってる。入学試験くらい問題ないって言われた」
第二階位。
知らない。
術式。
よく分からない。
聞いているだけで不安になってきた。
俺が知っているのは、肉を焼く時にどのくらい火を弱めれば焦げないかとか、鍋の底だけ熱くなりすぎないようにどう魔力を散らすかとか、そういうことばかりだ。
「……大丈夫かな」
思わず呟くと、前の列に並んでいた赤毛の少年が振り返った。
「何が?」
「いや、みんな色々勉強してるんだなって」
少年は俺を上から下まで見た。俺と同い年くらいなのに、妙に姿勢がいい。
「当然だろ。アウルム学院だぞ」
「そうだよね」
余計に不安になった。
しばらくして、試験官らしい三人の大人が入ってきた。
中央にいるのは、四十歳くらいの女性だった。濃紺の長衣を着て、胸には銀色の学院章がある。彼女が杖を床へ軽く打ちつけると、それだけで広間のざわめきが止まった。
「これより、初等科入学実技試験を始めます。難しい術を使う必要はありません。試験するのは魔力量ではなく、基礎的な制御能力です」
それを聞いて、少し安心した。
女性試験官は、石の台の上へ拳ほどの魔石を置いた。
「第一課題。火を発生させ、十数える間、同じ状態を維持してください」
俺は瞬きをした。
それだけ?
隣の子供も同じ顔をしていたが、別の意味らしい。緊張で唇を噛んでいる。
順番に試験が始まった。
最初の子供が手をかざす。
ぼっ、と拳より大きな炎が出た。
周囲から小さな歓声が上がる。
炎はかなり大きい。でも途中で強くなったり、小さくなったりしている。
次の子はもっと大きかった。
頭くらいの火球。
本人は得意げだったが、試験官は淡々と何かを記録している。
そこで俺は気づいた。
大きさは重要じゃない。
さっき試験官が言っていた。
見るのは制御だ。
俺の番が来た。
「レン・ガルド」
名前を呼ばれ、石台の前へ立つ。
女性試験官が俺を見る。
「始めてください」
「大きさは自由ですか?」
「はい。ただし途中で変化させないこと」
なるほど。
だったら一番慣れているのでいい。
指を一本立てる。
魔力を流す。
指先に、小さな炎が灯った。
蝋燭より少し大きい程度。
広間のどこかで、誰かが笑った。
まあ、そうなるよな。
他の子はみんな拳大の火を出していた。
でも俺にとって、料理で必要なのは大きな火だけじゃない。
煮込みをぐらぐら沸騰させない火。
薄い鍋底を焦がさない火。
表面だけを乾かす火。
長時間、同じ状態を保つ火。
俺は指先の炎を見た。
揺れる。
風ではない。
自分の魔力にわずかな波がある。
少し整える。
炎が止まった。
完全に動かないわけではない。でも、さっきよりずっと一定になった。
「……十」
試験官が数え終わった。
「終了です」
火を消そうとした時だった。
「待ってください」
女性試験官が俺を止めた。
「もう一つ出せますか?」
「火を?」
「同じ状態のまま、別の火を」
できると思う。
今度は反対の手を出した。
左の人差し指には、今の小さな炎。
右には、それより少し大きな炎を作る。
「大きさを変えましたね」
「二つ目だけです」
試験官がこちらを見る目が変わった。
「両方、そのまま維持してください」
維持する。
小さい火は、スープを温める時くらい。
もう一つは、肉の表面を焼く時くらい。
俺の頭の中では、魔法というよりかまどだった。
強火。
中火。
弱火。
そう考えると分かりやすい。
「三つ目は?」
試験官に言われた。
作る。
今度は親指。
さらに小さい。
「四つ」
薬指。
「五つ」
小指。
両手に五つの炎。
全部、大きさが違う。
広間が妙に静かになった。
さっきまで聞こえていた子供たちの囁き声がない。
俺は五つの火を見ながら、少し困っていた。
「これ、いつまでやるんですか?」
女性試験官は答えなかった。
代わりに、横にいた男性試験官が一本の杖を上げた。
小さな風が飛んでくる。
俺の左手、中火くらいの炎だけが消えた。
反射的にそこへ魔力を戻す。
火が再点火する。
他の四つは変えない。
それを見た男性試験官が、今度は明らかに驚いた顔をした。
「……もう一度」
また一つ消される。
点ける。
今度は二つ同時。
点ける。
少し楽しくなってきた。
肉を焼きながら鍋を煮て、横でスープを温める時よりは簡単だ。
「そこまで」
女性試験官が言った。
全部消す。
手を下ろすと、広間の空気が妙だった。
俺は何か失敗したのかと思った。
「何か変でした?」
聞くと、試験官は一度だけ瞬きをした。
「誰に魔力制御を習いましたか?」
来た。
この質問、最近よくされる。
「料理です」
「……料理?」
「はい。鍋ごとに火加減変えないといけないので」
後ろから小さな声が聞こえた。
「料理って、そんなことするのか?」
するよ。
むしろ火を全部同じにしてどうするんだ。
俺としては普通の話だった。
でも試験官たちは、しばらく何も言わなかった。
実技試験はその後も続いた。
水を一定量だけ器から浮かせる課題では、最初に量を間違えた。目分量だったからだ。
二度目は、器の中を四分の一くらいずつ分けるつもりで持ち上げる。
これも周囲より細かくできたらしい。
最後の魔力維持では、一定量を石へ流し続ける。
これは冷却箱の実験で散々やった。
終わる頃には、試験官の一人が完全に俺を観察する目になっていた。
よし。
これは結構いけたんじゃないか?
少し調子に乗った。
そして午後。
筆記試験が始まった。
最初の問題。
**『王国暦二百十三年に締結された北部三領盟約の主要条項を二つ記せ』**
知らない。
次。
**『第三基礎術式において、魔力流入点と安定節の適切な位置関係を図示せよ』**
知らない。
次。
**『一リールの三分の二を、下位単位で示せ』**
そもそも一リールが何だったか怪しい。
俺は答案用紙を前に、冷や汗を流した。
午前中までの自信が、ものすごい勢いで消えていく。
隣を見る。
朝、俺に「当然だろ」と言った赤毛の少年が、恐ろしい速さで答えを書いている。
目が合った。
少年の視線が、俺のほとんど白い答案用紙へ落ちる。
少しだけ眉が上がった。
俺はそっと前を向いた。
まずい。
ものすごく、まずい。
料理なら材料が足りなくても何とかする方法を考える。
でも知らない歴史上の条約は、煮ても焼いても出てこない。
その日、俺は初めて知った。
アウルム学院の入学試験には、火加減だけではどうにもならない問題があるらしい。




