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神々のいない食卓~日本の消えた異世界で、料理好きの俺は和食を作る~  作者: ちゃむたろう
第六章 学都アウルム――八歳、学校へ行く

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第53話 学都アウルムは、鍋まで多い

村を出て三日目の昼過ぎ、街道の向こうに壁が見えた。


最初は山の影かと思った。


でも近づくにつれて、それが人工物だと分かる。


灰色の石を何段にも積み上げた巨大な外壁。その向こうには、さらに高い塔が何本も突き出している。塔の先端には細い金属棒が伸び、その周囲を淡い光がゆっくり回っていた。


「あれがアウルムです」


御者台からハーゲンが言った。


俺は荷車の端へ身を乗り出した。


「……でか」


ベルクを初めて見た時も大きいと思った。


でも、比べものにならない。


街道そのものからして違う。


村を出た頃は馬車一台が通れば十分だった道が、アウルムへ近づくにつれて二台、三台と並べるほど広くなっていた。左右から別の道も合流し、荷馬車、騎馬、徒歩の旅人がどんどん増えていく。


積み荷も様々だった。


木材。


鉄。


樽。


布。


生きた家畜。


見たことのない果物。


大きな籠に詰められた、青い羽根の鳥までいる。


「大学みたいな町っていうより……町そのものが学校にくっついてる感じだな」


「何です?」


「独り言」


前世でも、こんな場所には行ったことがない。


修学旅行で大きな都市へ行ったことはある。でも、今目の前にあるのは、それとも違う。


電車もない。


自動車もない。


それなのに、人の流れだけで町が動いているのが分かる。


門へ近づくと、さらに驚いた。


並んでいる人の服が、ベルクより明らかに多彩だった。


毛皮を肩へ掛けた大柄な男。


薄い布を何枚も重ねた女。


黒い外套を着た魔術師らしい一団。


胸元に学院の紋章を付けた子供たち。


俺と同じくらいの年齢もいれば、十代後半くらいの学生もいる。


「学院って、子供だけじゃないの?」


「初等科から高等科まであります。それに研究員や各地から来る聴講生もいますからね」


なるほど。


俺は八歳で入るけれど、ここには何年も通うことになる。


その事実が、急に現実味を持った。


門をくぐった瞬間、音が変わった。


外では馬車の車輪と人の声が中心だった。


中では、それに金属音、鐘の音、水の流れる音、店の呼び込み、遠くで何かが破裂するような音まで混ざる。


「今の何!?」


「たぶん魔術工房です」


「たぶんで済ませていい音だった?」


ハーゲンは平然としている。


町の中心へ進むにつれて、建物は高くなった。


二階建て。


三階建て。


中には四階ありそうな石造りの建物まである。


窓には透明な硝子が多く使われ、軒先には魔石を仕込んだ灯りが吊られている。昼間だからまだ光っていないが、夜になれば通り全体が明るくなるらしい。


さらに交差点の中央には、水が高いところから絶えず流れ続ける石柱があった。


「噴水?」


近づいて見ると、ただの飾りではない。


人々が桶へ水を汲んでいる。


上の貯水槽へ魔法で水を持ち上げ、そこから重力で各所へ流しているらしい。


「水道みたいなものか……」


完全な水道ではない。


でも発想は近い。


ベルクより明らかに生活設備が進んでいる。


この町なら、冷却箱の研究だってもっと先へ進められるかもしれない。


そんなことを考えていた時だった。


鼻に、強烈な匂いが入ってきた。


焼いた脂。


香辛料。


魚。


甘いもの。


酸っぱいもの。


一度に全部来る。


俺は反射的に顔を向けた。


「ハーゲン」


「学院は反対方向です」


「まだ何も言ってないよ」


「市場へ行きたいのでしょう」


ばれている。


でも、視線はもう市場から離れなかった。


通り一本を丸ごと使って、店が延々と続いている。


屋根付きの店。


露店。


荷車そのものを店にしている商人。


ベルクの市場でもかなり興奮したけれど、ここは規模が違う。


俺は許可をもらう前に走り出しそうになったが、途中で止まった。


最近の俺は少し学んでいる。


「……見てもいい?」


ハーゲンは笑った。


「一刻だけですよ」


十分だ。


いや、たぶん足りない。


最初に目へ入ったのは魚だった。


川魚だけではない。


銀色の細長い魚。


平たい魚。


赤い身の干物。


塩漬けにされた大きな魚の切り身。


「これ海の魚?」


店主が頷く。


「北の港から来た塩魚だ」


海魚。


久しぶりに聞く言葉だけで胸が躍る。


生ではない。


でも、塩抜きして煮てもいい。


焼いてもいい。


干物なら出汁にも使えるかもしれない。


次の店には油が並んでいた。


獣脂。


木の実油。


種から搾ったという薄い黄色の油。


「これ、揚げ物できるくらいある……」


村では油は貴重だった。


ここでは瓶単位で売られている。


高いけど。


値札を見て、俺は一度手を引っ込めた。


「たっか!」


「アウルムでは珍しいものほど高いですよ」


後ろからハーゲンの声。


財布を持っているのは俺だ。


正確には、学院生活用に家族と領主から用意された金がある。


でも、入学前に全部食材へ変えるわけにはいかない。


危ないところだった。


さらに進む。


香辛料の店。


乾燥した赤い実。


黒い粒。


黄色い粉。


甘い匂いのする樹皮。


知らないものばかり。


「これ辛い?」


店主が笑う。


「舐めてみるか?」


少量をもらう。


舌へ乗せる。


次の瞬間、鼻まで熱くなった。


「辛っ!」


でも嫌じゃない。


唐辛子とは違う。


胡椒に少し近い。


肉に合いそうだ。


「これ何ていうの?」


名前を聞いて、すぐ頭へ叩き込む。


忘れたら困る。


紙へ書こうとして、文字に少し迷った。


学園へ来てよかったかもしれない。


少なくとも字はもっと勉強しないと、食材名すら記録できない。


その隣には乳製品。


硬いチーズ。


柔らかいチーズ。


酸味のある発酵乳。


白い塊を布で包んだもの。


さらに穀物。


東穀とは別の丸い粒。


細長い粒。


粉にする穀物。


豆。


乾燥させた芋。


どれも料理にできる。


どれも食べてみたい。


俺の頭の中で、勝手に献立が増えていく。


焼く。


煮る。


揚げる。


潰す。


発酵させる。


混ぜる。


「レン君」


返事をしない。


「レン君」


「これ見て! このチーズ、加熱したら溶けるかな?」


「時間です」


現実へ引き戻された。


「まだ半分も見てない!」


「一刻と言いました」


「市場が広すぎるんだよ!」


「市場に文句を言われても困ります」


渋々、学院へ向かう。


市場を離れても、俺は何度も振り返った。


絶対また来る。


今度は紙と金をちゃんと用意して。


学院は町の北側、高台にあった。


近づくにつれて学生が増える。


制服の形は完全に統一されているわけではないらしく、年齢や所属によって飾りが違う。


初等科らしい子供たちは短い外套。


上級生は長い外套。


研究員らしき大人は胸元に金属製の徽章を付けている。


そして坂を上り切ったところで、俺は足を止めた。


大きい。


遠くから見た時より、目の前に立つとさらに大きい。


中央には石造りの本館。


左右に何棟もの校舎。


奥には細い塔。


さらに煙を上げている建物があり、そこが魔術実験棟らしい。


庭を学生が行き交い、空中には紙の束を抱えた小さな魔法具まで浮いている。


「ここで……勉強するのか」


急に少しだけ緊張した。


市場ではあれだけ興奮していたのに、学院を前にすると、自分が本当に学生になるのだと分かる。


知らない人。


知らない授業。


知らない魔法。


俺より頭のいい子もいるだろう。


俺より魔法を知っている子もいる。


料理に興味のない人だって当然いる。


でも。


さっき見た市場を思い出す。


あれだけ知らない食材がある。


町には知らない技術がある。


学院には、さらに知らない知識がある。


怖さより、やっぱり楽しみの方が勝った。


「ハーゲン」


「はい」


「学院って、厨房ある?」


彼はしばらく黙った。


「そこからですか?」


「大事でしょ」


八歳になって初めて来た学都アウルム。


魔術。


歴史。


大図書館。


新しい仲間。


考えることは山ほどある。


でもまず。


この町は、鍋の種類からして多すぎる。


しばらく退屈することだけは、なさそうだった。


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