第49話 料理人の名前を貸してください
領主の屋敷で使用人向けの料理を作ってから、ベルクで俺の名前を聞く機会が明らかに増えた。
最初は少し嬉しかった。
「レン式の煮込み」「レン式保存肉」「七歳料理人の火加減」なんて看板を見るたび、自分の知らないところで料理が広がっていることを実感できたからだ。カイルには「調子乗んなよ」と言われたけれど、正直に言えば少しくらいは調子に乗っていたと思う。
問題は、その数が増えすぎたことだった。
「……俺、これ知らない」
ベルクの市場で足を止める。
目の前の屋台には、大きな文字でこう書かれていた。
**『レン直伝! 日本風香草焼き』**
知らない。
直伝した覚えもない。
そもそも日本風香草焼きって何だ。
「レン君、有名人ですね」
隣でハーゲンが楽しそうに言う。
「笑い事じゃないよ。俺、この店の人と会ったことない」
「ですが、よく売れているようですよ」
確かに客は多かった。
鉄板の上では薄い肉が焼かれ、その上から赤いソースが大量に塗られている。匂いだけなら悪くない。ラミの実に香草を混ぜたものらしい。
俺が最初にカイルと料理勝負をした時の料理に少し似ている。
たぶん、そこから真似したのだろう。
真似すること自体は構わない。
でも「直伝」は違う。
「店の人に言ってくる」
「レン君」
「喧嘩しない」
「まだ何も言っていません」
信用がない。
屋台へ近づくと、店主は四十歳くらいの恰幅のいい男だった。俺を見ても最初は気づかなかったらしく、元気よく呼び込みを続けている。
「おじさん」
「何だ坊主。食うか? 今ベルクで一番話題のレン料理だぞ」
自分の料理を他人から勧められるという、妙な経験をした。
「レンって誰?」
試しに聞いてみる。
「知らねえのか? 七歳で料理人を負かして、領主様の屋敷でも腕を認められた天才料理人だ」
話が盛られている。
カイルには一勝一敗だし、ディルクには普通に技術で負けている。
「そのレンから教わったの?」
「まあな」
嘘までついた。
さすがに腹が立った。
「いつ?」
「いつって……少し前だよ」
「どこで?」
「料理人同士の集まりだ」
「何作った?」
店主の目が泳ぎ始めた。
後ろでハーゲンが口元を押さえている。
絶対楽しんでる。
「なんだよ坊主、やけに細けえな」
「だって俺、教えた覚えないもん」
店主が固まった。
「……は?」
「俺がレン」
周囲にいた客の何人かが振り返った。
店主は俺の顔を見た後、腰の包丁を見る。それからハーゲンを見た。
市場で商売をしているなら、ハーゲンの顔くらい知っているのだろう。
一気に顔色が変わった。
「いや、これはだな――」
「真似したなら真似したでいいよ」
俺は言った。
「俺、作り方を独り占めする気ないし。美味しくなるなら、好きに工夫していいと思ってる」
店主が少し安心した顔をする。
「ただ、『俺が教えた』はやめて」
「……分かった」
思ったより素直だ。
これで終わりならよかった。
その時、屋台の横で肉を食べていた客が、不意に腹を押さえた。
「うっ……」
身体が折れる。
近くにいた女性が慌てて支えた。
「どうしたの?」
「腹が……急に……」
店主の顔色が、今度こそ真っ青になった。
俺もすぐ料理を見る。
「今日の肉、いつ仕入れた?」
「き、昨日だ」
「どうやって保存してた?」
「普通に箱へ……」
「昨日暑かっただろ」
「でも、ソースをかけて火も通して――」
駄目だ。
以前の保存肉とは違う。
今度は料理そのものが傷んでいた可能性がある。
もちろん、腹痛の原因がこの屋台だと決まったわけではない。食べる前から体調が悪かったかもしれないし、他の食事が原因かもしれない。
だから決めつけない。
でも、調べる必要はある。
「ローデン呼んで。あと治療できる人も」
ハーゲンがすぐに動いた。
俺は屋台を見る。
「とりあえず、今は売るの止めて」
「でも――」
「原因が違ったらまた売ればいい。でも分からないまま続けたら、次の人も倒れるかもしれない」
店主は悔しそうに看板を見た。
客がいる。
肉も残っている。
ここで止めれば損になる。
その迷いは分かった。
でも。
「『レン直伝』なんだろ?」
俺が言う。
店主がこちらを見る。
「だったら俺も、この料理で誰かが倒れるのは嫌だ」
少し意地悪だったかもしれない。
でも店主は何も言い返さず、鉄板の火を落とした。
しばらくしてローデンとエルナが来た。腹痛を起こした男は神殿へ運ばれ、命に関わる状態ではないらしい。
問題は屋台の食材だった。
ローデンが保存していた肉の匂いを確認し、眉をひそめる。
「これ、朝から日向に置いてたのか?」
「客が多くて、すぐ使うと思って……」
「馬鹿野郎」
低い声だった。
怒鳴るより怖い。
「料理人が売ってんのは肉じゃねえ。食える肉だ。そこ間違えるな」
店主は俯いた。
俺はその言葉を頭の中で繰り返した。
料理人が売っているのは、ただの食材じゃない。
客が安心して食べられる料理。
それに値段がついている。
そして今、この店は俺の名前まで一緒に売っていた。
翌日、ギルドの一室にローデン、ハーゲン、カイル、それから何人かの料理人が集まった。
机の上には問題の看板が置かれている。
『レン直伝!』
その文字を見たカイルが笑った。
「天才料理人だってよ」
「言うな」
「領主様も認めた!」
「そこ強調しなくていいから」
本気で恥ずかしい。
ローデンが看板を指で叩いた。
「で、どうする」
「どうするって?」
「今後だ。また出るぞ、こういう店」
ハーゲンも頷く。
「名前には価値があります。価値がつけば、使いたがる人は必ず現れます」
「俺の名前なのに?」
「あなたの顔を知らない人間には、確かめようがありませんからね」
確かに。
ベルクでも俺を直接知っている人は一部だけだ。
もっと遠くの町へ行けば、「レンが教えた」と言われても誰にも嘘だと分からない。
「じゃあ、俺の名前使うの禁止?」
そう聞くと、ローデンが首を横に振った。
「それじゃ料理が広がらねえ」
俺も同じことを思った。
全部囲い込むのは違う。
俺の作った料理を参考にして、新しい料理が生まれるなら嬉しい。
でも嘘は困る。
危険な料理に俺の名前をつけられるのも困る。
「名前を使っていい店を決めればいいんじゃない?」
カイルが言った。
珍しく真面目な顔だ。
「ちゃんと教わった奴だけ」
「でも俺、一軒一軒教えるの?」
「無理だろ。お前七歳だし」
年齢は関係ない。
いや、今回は関係あるか。
ハーゲンが紙を一枚広げた。
「なら、技術そのものを確認してはどうです?」
保存肉なら、最低限の保存工程。
火を通す料理なら、食材の保管や加熱。
一定の決まりを守った店には、ギルドが印を出す。
「レン個人の許可ではなく、料理人ギルドが確認するのです」
「それなら俺がいなくてもできる」
「ええ。それが重要です」
その言葉で、第43話からずっと考えていたことが少し形になった。
俺一人が全部見る必要はない。
俺がいない時でも、安全な料理が作られる仕組みを作ればいい。
「じゃあ『レン直伝』じゃなくて、例えば『ギルド確認済み』みたいにする?」
「名前の価値を捨てるのか?」
ローデンが聞く。
俺は少し考えた。
正直、「レン式」と書かれているのはちょっと嬉しい。
自分が作ったものが広がっている気がするから。
だから全部消す必要はないと思った。
「俺から本当に教わった料理なら、『レン式』って書いてもいい。でも安全かどうかは別にギルドが見る」
ハーゲンが笑う。
「料理人の名前と、品質の保証を分けるわけですね」
「たぶん」
自信はない。
前世なら資格とか認証とか、もっとちゃんとした制度があった。でも俺はその仕組みを詳しく知らない。
だからここから先は、ハーゲンやローデンたちに任せる。
知っている人に頼る。
最近やっと、それを恥ずかしいと思わなくなった。
数日後。
問題の屋台は営業を再開した。
看板から『レン直伝』の文字は消えていた。
代わりに、
**『香草肉焼き 料理人ギルド確認済』**
と書かれている。
俺が近づくと、店主が気まずそうな顔をした。
「……食うか?」
「いいの?」
「今回は金いらねえ」
「じゃあ食べる」
一口。
前よりうまい。
肉の状態もいい。
保存方法をローデンに叩き込まれたらしい。
「どうだ」
店主が緊張した顔で聞く。
俺はもう一口食べた。
「美味しい」
男の肩から力が抜ける。
「でもこれ、俺の料理じゃないよ」
「分かってる」
「おじさんの料理だ」
店主は少し驚いたあと、照れくさそうに鼻を擦った。
市場を歩きながら、俺は改めて考えた。
料理人の名前にも値段がつく。
それは少し嬉しくて、少し怖い。
自分の知らないところで名前だけが歩き始めれば、いつか自分が作ってもいない料理の責任まで背負うことになるかもしれない。
でも、だからといって全部を自分の手元へ閉じ込めたくはない。
俺の名前がなくても、美味しい料理が安全に広がる方がずっといい。
どうやら世界へ料理を広げるには、包丁の使い方だけではなく、名前の使い方まで覚えなければならないらしい。




