第48話 貴族にしか食べられない料理
ディルクの料理を食べた翌日、俺はもう一度領主の屋敷へ呼ばれた。
今度は料理長からではなく、屋敷の主人本人からだった。
「……俺、昨日何か失礼なことした?」
門の前で聞くと、ハーゲンは少し考えてから首を振った。
「私の見ていた範囲では、厨房で料理長へ質問を二十回ほどした程度ですね」
「そんなにした?」
「少なくとも」
それが原因なら謝ろう。
ところが案内されたのは厨房ではなく、屋敷の食堂だった。
長い卓の上には、昼食とは思えないほど料理が並んでいる。大きな鳥の丸焼き、香草を詰めた川魚、柔らかく煮込まれた肉、色鮮やかな野菜、果物。それに、村では見たこともない白いパンまであった。
卓の奥に座っていたのは、この地方を治める領主――オルバンという四十代ほどの男だった。貴族というからもっと威圧的な人間を想像していたが、見た目は意外と普通だ。ただ服だけは、俺の家族全員分より高そうだった。
「君がレンか」
「はい」
「七歳と聞いた」
「最近それ確認されること多いです」
オルバンが笑った。
隣にはディルクも立っている。
「昨日、ディルクが珍しく他人の料理を褒めていてな」
「珍しくはありません」
「いや、珍しい」
料理長本人が少し嫌そうな顔をした。
どうやら領主相手でも付き合いは長いらしい。
オルバンは卓の料理を示した。
「食べてみなさい」
遠慮する理由はない。
俺は一番近くにあった肉料理を少しもらった。
柔らかい。
香辛料も複雑だ。
昨日ディルクが作ったものと同じで、俺ではまだ出せない味だった。
次に魚。
これも美味い。
野菜も。
パンまで美味い。
「どうだ?」
「すごく美味しいです」
「それだけか?」
試されている気がした。
俺はもう一度卓を見る。
料理人として見れば、文句なんてほとんどない。
でも。
気になることはあった。
「これ、全部食べるんですか?」
オルバンが少し意外そうな顔をした。
「全部ではない。来客用に多めに作るのが普通だからな」
やっぱり。
「残ったら?」
今度はディルクが答えた。
「一部は使用人へ回す。保存できるものは翌日にも使う。それでも残るものは出る」
昨日俺が作った骨のスープを思い出す。
ディルクは残り物を何も考えず捨てる料理人ではない。
それでも、これだけ料理を出せば余る。
「もったいない」
思わず口にした。
オルバンは怒らなかった。
むしろ少し面白そうに俺を見る。
「村では、これほどの料理は出ないか」
「祭りでも無理だと思います」
「なら、羨ましいか?」
聞き方が少し意地悪だ。
でも、答えは決まっていた。
「羨ましいです」
正直に言うと、オルバンが笑った。
「そうか」
「こんな食材、使ってみたいです」
「食べたい、ではないのか」
「食べるより作りたい」
自分でも料理馬鹿だと思う。
ただ、卓を見ているうちに別のことも考え始めていた。
これだけの料理に、どれだけ金がかかっているんだろう。
食材を作る農家。
運ぶ商人。
仕入れる人間。
調理する料理人。
皿を洗う使用人。
貴族が高い飯を食う。
それだけ聞けば、前世の俺なら「金持ちはいいよな」と思って終わったかもしれない。
でも今は、その一皿の後ろに何人いるか少し分かる。
「ハーゲン」
小声で聞く。
「こういう宴会って、農家とか商人は儲かる?」
「もちろん。特に質の良い食材には高値がつきます。珍しい香辛料を扱う商人も、こういった屋敷がなければ商売にならないでしょう」
やっぱりそうだ。
金持ちが高い料理を食べること自体が、全部悪いわけじゃない。
でも。
俺は食堂の端へ目を向けた。
皿を運んでいる若い使用人がいた。
少し痩せている。
ノアを思い出した。
「使用人の飯って、何食べるんですか?」
オルバンが眉を上げる。
ディルクが答えた。
「黒パン、豆、野菜の煮込みが多い。肉は切れ端か、宴の残りだ」
「今日も?」
「そうだ」
なんとなく引っかかった。
目の前では、食べきれないほどの肉が並んでいる。
厨房では腕のいい料理人が何人も働いている。
でも、同じ屋敷で働く人間の食事は別だ。
それが悪いと断言するつもりはない。
食材には値段がある。
高級食材を全員へ出せないのも分かる。
なら。
「安い材料なら、美味しくしていいですよね?」
オルバンが笑う。
「誰に許可を求めている?」
「ここの主人」
「面白い。何をする気だ」
俺はディルクを見る。
「使用人の昼飯、俺に作らせて」
食堂が少し静かになった。
ディルクは驚かなかった。
むしろ、そう言うと思ったような顔だった。
「条件は?」
「高い食材は使わない。普段捨てるものと、使用人の食事用の材料だけ」
オルバンが椅子の背へ身体を預ける。
「それで私を驚かせられるか?」
なぜ領主を驚かせる話になった。
「使用人に美味しいって言わせたいだけです」
「なら、私も食べる」
面倒な人だ。
厨房へ移る。
ディルクに今日捨てる予定のものを見せてもらった。
鳥の骨。
肉の筋。
野菜の皮に近い外側。
形の悪い根菜。
昨日焼いたパンの端。
そして、使用人用に用意されていた豆。
十分だ。
むしろ、俺にとっては慣れた材料だった。
前世を思い出す。
給料日前。
冷蔵庫に残った半端な野菜。
安売りの鶏むね肉。
妹に「またこれ?」と言われないように、味や食感を変えることばかり考えていた。
俺は骨と肉の筋を鍋で軽く焼いた。
焦がさない。
でも、しっかり焼き色をつける。
そこへ水を入れる。
香草は少量。
「先に骨を焼くのか」
横で若い料理人が聞く。
「その方が香りが強くなる」
出汁を取りながら、別の鍋で豆を煮る。
形の悪い根菜は細かく切り、固い部分から順番に入れる。
野菜の端も、傷んでいないところは使う。
肉の筋は長く煮込めば柔らかくなる。
問題はパンだ。
そのまま出せば硬い。
だから薄く切って焼き、砕いて鍋へ入れた。
水分を吸わせる。
とろみが出る。
味を見る。
薄い。
塩を追加。
でも塩を増やしすぎると、材料の味が消える。
骨の出汁がもう少し欲しい。
火を少し強める。
そこでディルクが声をかけた。
「焦っているぞ」
手が止まった。
昨日の俺なら、そのまま火を強くしたかもしれない。
「……ありがとう」
火を戻す。
急がない。
時間をかければ、安い部分からも味は出る。
一時間ほどして、大鍋いっぱいの煮込みが完成した。
見た目は地味だ。
貴族の卓に並んでいた料理とは比べものにならない。
茶色。
豆。
根菜。
細かな肉。
でも香りはいい。
使用人たちが集まってくる。
最初に一人へ渡した。
若い女の人。
一口食べる。
目が少し大きくなった。
二口目。
「……これ、いつもの豆ですか?」
「たぶん」
「肉、入ってますよね?」
「切れ端だけ」
その声を聞いて、他の人たちも食べ始める。
静かだった。
一瞬だけ。
その後。
「うまい!」
厨房の奥から声が上がった。
「パン入ってんのか、これ?」
「この肉、いつも筋っぽくて食えねえやつだろ?」
「おかわりある?」
一気に騒がしくなる。
俺は鍋を見る。
まだある。
「一人一杯食べてから! 足りたらおかわり!」
自分の家みたいに仕切ってしまった。
でも誰も気にしていない。
次々に椀が差し出される。
その光景を見ながら、胸の奥が熱くなる。
これだ。
俺が知っている料理。
高いものをもっと豪華にする技術じゃない。
「これしかない」を、「これなら食べたい」に変える料理。
「私の分は?」
背後から声がした。
オルバンだった。
本当に来た。
「使用人の分が先」
俺が言うと、周囲の料理人たちが固まった。
しまった。
領主相手に言う言葉ではなかったかもしれない。
でもオルバンは怒らなかった。
「なるほど。では待とう」
本当に並んだ。
領主が使用人の後ろに。
さすがにみんな困っている。
「先どうぞ!」
「いや、君が先に並んでいた」
妙なところで律儀だ。
全員に行き渡った後、残りをオルバンへ渡した。
ディルクも一緒に食べる。
オルバンが一口。
何も言わない。
二口。
俺は少し緊張する。
さっきまで食べていたのは、ディルクが作った豪華な料理だ。
それと比べられたら勝てるわけがない。
「ディルク」
オルバンが言う。
「はい」
「これ、一杯いくらだ」
料理長が材料を確認する。
ハーゲンも呼ばれ、簡単に計算した。
提示された数字を聞いて、オルバンの眉が上がった。
「……本当に?」
「ほとんど廃棄予定の材料ですので」
「先ほど私が食べた鳥料理一皿で、これは何人分作れる?」
ハーゲンが計算する。
「おそらく、三十人前以上は」
今度は食堂にいた使用人まで静かになった。
オルバンが俺を見る。
「同じ厨房で、同じ火を使っているのにな」
「高い料理とは別物だよ」
俺は言った。
「ディルクの料理の方がすごい。俺にはあれ作れない」
「だが、これは君にしか作れなかった」
その言葉には、すぐ頷けなかった。
「似た料理なら作れる人いると思う」
「そういう意味ではない」
オルバンは椀を見る。
「ここにあるものを見て、『貧しい材料だ』ではなく、『どう美味しくするか』を最初に考えた。その発想だ」
厨房にいる人たちを見る。
誰も笑っていない。
少し恥ずかしくなった。
でも、嬉しかった。
俺がずっとやってきたこと。
前世では必要に迫られて覚えたこと。
金がなくても妹に美味しいと言わせたくて、安い食材ばかり見てきたこと。
それが、この豪華な屋敷で初めて「強み」だと言われた。
オルバンはディルクへ向き直った。
「今日から、使用人の食事についても一度見直せ」
「承知しました」
「食材費を増やせ、という意味ではない」
「分かっています」
ディルクは俺を見る。
「捨てるものを減らし、同じ材料でも調理法を変える。そういうことだろう?」
俺は頷いた。
「うん」
その瞬間、厨房の奥から拍手が起きた。
一人。
二人。
昨日の市場とは違う。
今度は使用人たちだった。
俺は一気に顔が熱くなった。
「やめてよ!」
笑い声まで起きる。
でも。
ちょっとだけ。
かなり嬉しかった。
帰り道、ハーゲンが言った。
「今日はずいぶん目立ちましたね」
「俺は普通に飯作っただけ」
「その普通が、普通ではないのでしょう」
屋敷を振り返る。
貴族の料理には、貴族の料理の意味がある。
高価な食材を使うことで、それを育てる農家や運ぶ商人にも金が回る。宴会そのものが仕事を生むこともある。
だから、高級料理をなくせばいいとは思わない。
ディルクの料理は美味かった。
俺だってまた食べたい。
ただ、それとは別に。
安い料理には、安い料理にしかできないことがある。
金がない日でも食べられる。
大勢へ出せる。
捨てるはずだった食材を使える。
そして、腹いっぱいになれる。
前世で妹のために覚えた料理は、俺が思っていたよりずっと強かった。
貴族にしか食べられない料理を作れる人はいる。
なら俺は、貴族じゃなくても美味しく食べられる料理を、もっと増やしていけばいい。
それがたぶん、俺がこの世界で一番得意な料理だった。




