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神々のいない食卓~日本の消えた異世界で、料理好きの俺は和食を作る~  作者: ちゃむたろう
第五章 食卓は村を越えて――料理が商売になる日

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第47話 貴族の料理人は、俺よりうまい



ベルクで保存肉の騒ぎがあった三日後、俺のところへ一通の招待状が届いた。


差出人は、ベルクとその周辺を治める領主家だった。


「……俺、何かやった?」


封筒を持ったままハーゲンを見ると、彼は少し考えてから答えた。


「心当たりが多すぎて、どれのことか分かりませんね」


「怖いこと言わないでよ」


保存肉の件か。冷却箱か。米か。それとも市場で七歳児が料理勝負をしていたことか。最近、自分でも何がどこまで噂になっているのか分からなくなっている。


ただ、招待状の内容は思ったより穏やかだった。


領主家の料理長が、俺の作る料理に興味を持っているらしい。


特に「安い肉を柔らかくする方法」と「骨から味を取る料理」について話を聞きたい、と書かれていた。


「料理長が?」


「あなたの噂は、もう料理人の間ではかなり広がっていますからね」


「俺、まだ七歳なんだけど」


「それも含めて噂になるのでしょう」


嬉しいような、嫌なような。


それでも料理人から会いたいと言われて、断る理由はなかった。


領主の屋敷を訪れたのは翌日の昼前だった。


門をくぐった瞬間、まず庭の広さに驚いた。村の家なら何軒建つんだと思うほどの土地に、石造りの屋敷が建っている。窓には透明度の高い硝子が使われ、入口には磨かれた金属の飾りまでついていた。


けれど、俺が本当に驚いたのは厨房へ入ってからだった。


「……広っ」


思わず声が漏れる。


かまどが六つ。


大鍋。


大小さまざまな鉄鍋。


用途の違う包丁が壁に並び、乾燥させた香草が束になって吊るされている。氷こそないが、地下の冷暗室へ食材を運ぶための扉まであった。


そして何より、働いている人間が多い。


十人以上。


野菜を切る者。


肉を捌く者。


鍋を見る者。


皿を運ぶ者。


誰も大声を出していないのに、全員が迷わず動いている。


「止まるな。そこを通るぞ」


後ろから声をかけられ、俺は慌てて脇へ避けた。


振り返ると、大きな盆を持った若い料理人が通り過ぎていく。


邪魔になっていたらしい。


「すみません」


村では俺が厨房の中心にいることが多かった。


ベルクの料理人ギルドでも、子供だから多少周りが気を使ってくれていたのだと思う。


ここでは違う。


俺がいようがいまいが、厨房は動く。


それだけで少し緊張した。


「君がレンか」


声をかけてきたのは、四十歳くらいの男だった。


背は高くない。体格もローデンほど大きくない。黒髪には少し白いものが混じり、服も他の料理人とほとんど同じだった。


ただ、一目で分かった。


この人が、この厨房の中心だ。


誰かが皿を運ぶ時も。


鍋の火を変える時も。


一瞬だけ、この男を見る。


「料理長のディルクだ」


「レンです」


「知っている。市場でカイルを怒らせ、保存肉屋を困らせ、魔術師と冷える箱を作っている七歳児だろう」


「言い方が悪くない?」


ディルクの口元が少しだけ動いた。


笑ったらしい。


「今日は料理を作らなくていい」


「え?」


てっきり、何か作れと言われると思っていた。


「まず見ろ」


それだけ言うと、ディルクは作業台へ戻った。


俺も横から見る。


そこには大きな鳥が一羽置かれていた。


以前ローデンに習ったものと似ている。


ディルクは脚の付け根へ指を入れ、関節を確かめる。


そこまでは同じだった。


でも、次が違った。


速い。


包丁がほとんど止まらない。


脚。


胸。


手羽。


骨。


次々に分かれていく。


それなのに、切り口が綺麗だった。


肉が骨にほとんど残っていない。


俺が一羽捌く間に、たぶん三羽はいける。


「……すご」


思わず呟いた。


ディルクは手を止めない。


「ローデンに教わったそうだな」


「うん」


「なら、やってみろ」


別の鳥が置かれた。


俺も包丁を持つ。


関節を探す。


ローデンに教わった通り。


以前よりは上手くなった。


脚を外す。


胸肉を取る。


少し失敗したが、ちゃんと形にはなった。


顔を上げる。


ディルクは俺の鳥ではなく、俺の手を見ていた。


「悪くない」


褒められた。


少し嬉しい。


「ただし遅い」


やっぱり。


「料理は一皿なら丁寧に作ればいい。宴では百皿出す。百人を待たせず、同じ状態でな」


そう言いながら、ディルクは鍋へ向かった。


横では三人の料理人が同時に別の作業をしている。


一人が肉を焼く。


一人が野菜を茹でる。


一人がソースを煮詰める。


ディルクは、それぞれの鍋を一度ずつ見ただけで指示を出した。


「肉はあと半刻弱。そっちは火を落とせ。ソースは一度漉せ」


味見しないのかと思った。


でも料理人たちは迷わず動く。


しばらくして、俺にも小さな皿が渡された。


薄く切った鳥肉。


色の濃いソース。


細く切られた根菜。


見た目からして、俺の料理とは違う。


盛り付けが綺麗だ。


何となく置いたものが一つもない。


食べる。


最初に皮の香ばしさが来た。


次に肉汁。


ソースは少し酸っぱく、その後から甘味が出る。


さらに根菜を一緒に食べると、今度は食感が変わる。


「……うまい」


悔しいくらい美味い。


肉の焼き加減も完璧だった。


中心まで火は入っているのに、ぱさついていない。


俺なら温度をどうするか考えながら、一枚ずつ慎重に焼く。


ディルクは十枚近くを同時に仕上げていた。


「どうだ」


「俺よりうまい」


素直に言った。


横にいた若い料理人が、少し驚いた顔をする。


ディルクも眉を上げた。


「随分あっさり認めるな」


「だって美味しいから」


勝負なら悔しかったと思う。


でも今日は勝負じゃない。


美味いものを食べた。


なら、美味いと言うしかない。


俺はもう一口食べた。


やっぱり美味い。


そして、少し嬉しかった。


この世界の料理は遅れている。


いつの間にか、どこかでそう思っていたのかもしれない。


村で食べた料理は単純だった。


街道の飯も美味しくなかった。


俺の料理を食べれば、みんな驚いた。


その経験が積み重なって、俺は知らないうちに「自分の方が料理を知っている」と思い始めていた。


でも違う。


ここには、俺よりずっと上手い料理人がいる。


前世の知識なんてなくても、何年も包丁を握り、火を見て、人に食べさせ続けてきた人間がいる。


「レン」


ディルクが言った。


「今度は君が作れ」


「何を?」


作業台に置かれたのは、さっき鳥を捌いた後に残ったものだった。


骨。


首。


皮。


細かな肉。


どれも、宴席の主役にはならなそうな部分ばかりだ。


「これで一品」


なるほど。


俺の噂を確認したいらしい。


「好きに使っていい?」


「厨房にあるものなら。ただし高価な香辛料は使うな」


それならむしろ助かる。


俺は骨を見る。


捨てない。


まず軽く焼く。


鍋へ入れる。


水。


香草。


首や肉の切れ端も加える。


弱い火で煮出す。


「それだけか?」


若い料理人が少し残念そうに聞く。


「まだ」


しばらく煮る。


表面に浮いてきたものを取る。


味を見る。


鳥の旨味。


悪くない。


でも、これだけでは普通のスープだ。


俺は厨房の端に積まれていた、形の悪い根菜を見つけた。


「これ使っていい?」


「捨てる予定だ」


「じゃあ使う」


皮を剥く。


傷んだところだけ落とす。


細かく切って鍋へ。


さらに昨日余ったという硬いパンを少しもらい、薄く焼いてから砕く。


スープへ入れる。


とろみが出る。


最後に塩。


それだけ。


高級な料理じゃない。


前世なら、冷蔵庫の残り物で作るような食事だ。


一杯をディルクへ渡す。


「どうぞ」


ディルクが食べる。


一口。


二口。


何も言わない。


少し緊張する。


「……面白い」


やっと口を開いた。


「美味しくない?」


「いや、美味い」


それなら最初に言ってほしい。


「だが、それ以上に面白い。宴で残ったものだけで、翌朝の使用人全員へ出せる」


俺は目を瞬いた。


そこを見るのか。


「骨を捨てず、形の悪い野菜も使い、硬くなったパンまで食べさせる。君は皿ではなく、厨房全体の残りを見ている」


言われて、少し考えた。


確かに俺はそういう料理が多い。


前世で金がなかったからだ。


安い肉。


野菜の端。


昨日の残り。


それをどうすれば妹が喜んで食べるか、いつも考えていた。


高級食材の扱いなら、ディルクには勝てない。


大人数へ同じ料理を同時に出す技術もない。


盛り付けも。


包丁の速さも。


たぶん全部負けている。


でも。


俺にしかないものもある。


「誰に習った?」


ディルクが聞く。


「ほとんど自分で」


「なぜこんな料理を覚えた」


答えは簡単だった。


「金がなかったから」


厨房が静かになる。


「前にいた家、あんまり裕福じゃなかったんだ。でも妹には美味しいもの食べさせたかったから、安いものをどうしたら美味くできるか考えてた」


ディルクはしばらく俺を見る。


「なるほど」


それだけ言って、もう一口スープを食べた。


その日の帰り際。


ディルクが俺を厨房の出口で呼び止めた。


「レン」


「何?」


「次に来る時は、料理を一つ教えろ」


「俺が?」


「骨の使い方をもっと知りたい」


俺は少し嬉しくなった。


「じゃあ俺にも教えて」


「何をだ」


「今日の鳥の焼き方。あとソース。それと盛り付けも」


「欲張りだな」


「料理人だから」


最近、この言い訳が便利になってきた。


ディルクは笑った。


「いいだろう」


屋敷を出る。


帰り道、俺はずっと厨房のことを考えていた。


負けたとは少し違う。


そもそも勝負ではなかった。


でも、自分より上手い人間を見つけた。


それが、こんなに嬉しいとは思わなかった。


俺は日本の料理を知っている。


現代の知識も少しだけ持っている。


それは確かに強みだ。


でも、それだけで料理人として誰より上になるわけじゃない。


この世界には、この世界で積み重ねてきた技術がある。


俺が知らない味も、知らない手順も、知らない考え方も山ほどある。


なら、覚えればいい。


そして俺の知っているものも渡す。


そうやって混ざった先に、今までどちらの世界にもなかった料理ができるかもしれない。


そう考えると、ベルクへ来たばかりの頃より、この世界の食卓がずっと広く見えた。


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