第46話 料理に値段をつける
ノアの働く姿を見た翌日、俺はベルクの市場で妙な看板を見つけた。
**『長持ち! 新式保存肉! 村で評判の燻し肉!』**
店先には、茶色く燻された肉の塊が山のように積まれている。燻製自体はもう珍しくない。俺が村で作り方を教えてから、ハーゲンを通じて少しずつベルクにも広がっていた。
だから最初は、嬉しかった。
俺のやり方が俺の知らないところでも使われている。それは、料理が広がっている証拠だと思ったからだ。
「ずいぶん増えましたね」
隣にいたハーゲンも看板を眺めている。
「うん。俺が作らなくても、みんな作れるようになるのはいいことだと思う」
「カイル君は怒りそうですが」
「なんで?」
「『俺より先に真似しやがって』と」
ありそうだ。
そんなことを話しながら通り過ぎようとした時、店の前にいた男が大声を張り上げた。
「三十日腐らねえ保存肉だ! 旅に持ってくならこれしかねえぞ!」
足が止まった。
「……三十日?」
今はかなり暖かい。
きちんと塩漬けし、十分に乾燥させ、適切に燻製すれば長く保つ肉は作れる。でも、店先に並んでいる肉は妙に厚い。表面も湿っているように見えた。
近づく。
嫌な匂いがした。
燻製の香りに隠れているけれど、肉の奥からわずかに酸っぱい臭いが混じっている。
「これ、どうやって作ってるの?」
俺が聞くと、店主は一瞬こちらを見てから笑った。
「坊主には分からねえよ。特別な作り方だ」
「塩に何日漬けてる?」
店主の笑顔が少し止まった。
「企業秘密だ」
「乾燥は?」
「だから秘密だって言ってるだろ」
怪しい。
俺は肉を一つ持ち上げた。
思ったより重い。
水分が抜けていない。
「買うなら金払え」
「一切れだけ売って」
「一塊からだ」
ハーゲンを見る。
「買っていい?」
「また借金ですか?」
「調査費」
「便利な言葉を覚えましたね」
文句を言いながらも払ってくれた。
肉を受け取り、市場の端へ移動する。包丁を出して中央から切った。
断面を見た瞬間、嫌な予感が確信へ変わった。
外側は茶色く燻されている。
でも中はほとんど生肉と変わらない。
しかも中心部に水分がかなり残っている。
鼻を近づける。
やっぱり酸っぱい。
「これ、保存食じゃない」
俺が言うと、後ろから店主の声が飛んできた。
「何だと?」
振り返る。
どうやら聞こえていたらしい。
「燻してあるだろうが!」
「表面だけ」
「燻し肉は燻し肉だ!」
「でもこれ、長く置いたら危ないよ」
店主の顔が険しくなった。
周囲にいた客たちも、何事かとこちらを見始める。
「坊主が商売の邪魔すんじゃねえ。うちはちゃんと村から来た作り方でやってんだ」
「誰に教わったの?」
「村の保存肉を見りゃ分かる。塩振って煙に当てりゃいいんだろ」
思わず頭を抱えそうになった。
そこだけ見たのか。
確かに燻製の見た目だけなら簡単だ。
塩をする。
乾かす。
煙に当てる。
でも、それぞれに意味がある。
肉の厚さ。
塩の量。
漬ける時間。
表面だけでなく内部の水分をどう減らすか。
保存食にするなら、ただ煙の匂いをつければいいわけじゃない。
「それじゃ駄目だよ」
「何が駄目なんだ!」
店主の声が大きくなる。
俺も少し腹が立ってきた。
真似されたことではない。
俺だって、作り方を独占したいわけじゃない。村のみんなにも教えたし、ベルクの料理人が自分で工夫して作るならむしろ食べてみたい。
でも、これは違う。
「食べる人が腹壊すかもしれない」
周囲がざわついた。
店主の顔が赤くなる。
「証拠あんのか!」
「今切ったこれ」
「見ただけで分かるわけねえだろ!」
確かに、そこは正しい。
見た目だけで「絶対に食中毒になる」とまでは言えない。
俺は医者でもないし、この世界の細菌を全部知っているわけでもない。
だから言い直した。
「絶対に腹を壊すとは言わない。でも、三十日安全だって言える作り方じゃない」
「だったら同じだろ!」
「同じじゃない」
今度は別の声だった。
人だかりを割って、ローデンが出てきた。
その後ろにはカイルもいる。
「朝から何してんだ?」
「ローデン」
「魚の仕入れに来たら、七歳児が市場で喧嘩してるって聞いた」
情報が伝わるのが早すぎる。
ローデンは切った肉を手に取った。
指で押す。
匂いを嗅ぐ。
断面を見る。
それだけで眉間に皺が寄った。
「これを三十日売るつもりか?」
店主の勢いが少し弱くなった。
「今まで問題は出てねえ」
「何日売ってる」
「五日だ」
三十日の実績、まだないじゃないか。
周囲から失笑が漏れた。
店主が慌てる。
「でもな、こいつは村で評判の方法なんだ! 実際、他の店だって似たようなもん作ってる!」
カイルが肉を一切れ見て、露骨に嫌そうな顔をした。
「レンの村のやつ、こんなんじゃねえぞ」
「お前も知ってんの?」
「食った。もっと水抜けてたし、塩も中まで入ってた」
「それに、これは肉が厚すぎる」
俺も続けた。
「同じ時間で作るなら、もっと薄くしないと中まで状態が揃わない。厚いままなら塩漬けも乾燥も時間を変えないと駄目」
店主が俺たちを睨む。
「じゃあ、お前ならできるってのか」
その言い方で、胸の奥に火がついた。
「できるよ」
ハーゲンがため息をついた。
「始まりましたね」
市場の一角を借り、同じ肉を二つ用意してもらった。
俺はその場で一方を店主と同じくらいの厚さに切り、もう一方を薄くする。
「燻製を一日で作って見せる気か?」
ローデンが聞く。
「完成品は無理。でも違いは見せられる」
塩を振る。
同じ重さの肉に、同じ量。
一つは厚いまま。
もう一つは薄く切り分ける。
少し時間を置いてから表面を見る。
薄い方は水が出始めている。
「塩って味付けだけじゃないんだ」
俺は集まった人たちにも聞こえるように話した。
「肉から水分を出す。保存するなら、この水分をどう減らすかが大事になる」
店主の肉をもう一度持ち上げる。
「これは外側に煙の匂いはついてる。でも中に水分が残りすぎてる。だから、見た目だけ真似しても同じ保存肉にはならない」
「じゃあどうしろってんだ」
店主が不機嫌そうに言った。
俺は少し驚いた。
てっきり最後まで言い返すと思っていた。
「知りたいの?」
「……売れなくなったら困る」
正直だ。
店の後ろを見る。
若い女の人が一人と、小さな男の子がいる。家族かもしれない。
そこで少し冷静になった。
こいつが雑な保存肉を売ったことは駄目だ。
でも、ここで客の前で叩き潰して終わったら、この家族はどうなる。
俺が欲しいのは、勝つことではない。
危ない肉を売らなくすることだ。
「ちゃんと作るなら教える」
店主が目を丸くした。
「金取るのか?」
その問いに、今度は俺が止まった。
料理の作り方に値段をつける。
今までほとんど考えたことがない。
無料で教えるのは簡単だ。
でも、ローデンたち料理人は技術で飯を食っている。何でも無料で広げればいいとも限らない。
「今回は取らない」
俺は答えた。
「ただし条件がある」
「何だ」
「今ある肉を『三十日持つ』って売らないこと。それと、教えた作り方を勝手に省略して同じものだって言わないこと」
店主は黙った。
ローデンが腕を組む。
「妥当だな」
ハーゲンも頷いた。
「さらに、保存期間を表示するなら、実際に確認した範囲だけにするべきでしょう」
「表示?」
俺が聞く。
「何日作ったか。いつまでなら品質を保証できるか。売る側が記録するのです」
なるほど。
前世で言う製造日とか消費期限に近い。
完全に同じ制度は無理でも、考え方は使える。
店主はしばらく悩んだ末、看板を外した。
『三十日腐らない』の文字が地面へ伏せられる。
人だかりから、誰かが拍手した。
一人。
二人。
やがて、少し大きくなる。
俺は急に恥ずかしくなった。
「なんで拍手?」
カイルが笑う。
「勝ったからだろ」
「勝負じゃないって」
「でもあのおっさん、さっきまでめちゃくちゃ偉そうだったじゃん」
それはそう。
少しだけ、すっきりした。
店主は俺を睨んだ。
でも最初とは違う。
「明日、店閉める」
「え?」
「作り直す。教えろ」
「……うん」
「ただし、美味くなかったら金は払わねえぞ」
「今回は無料だって言っただろ!」
やっぱり腹立つ。
周囲から笑い声が上がった。
その日の夕方、料理人ギルドではローデンとハーゲンを中心に、保存食を売る店の最低限の決まりについて話し合いが始まった。
塩漬けの日数。
乾燥の確認。
保存方法。
作った日を記録すること。
まだ簡単なものだ。
それでも、今まで「作った本人の勘」だけだったものを、少しずつ他人へ伝えられる形にしていく。
カイルは面倒そうに紙を見ていた。
「料理って、こんな字書かなきゃいけねえの?」
「俺も思ってる」
「焼いて食えば分かるだろ」
「腐ってたら食った後じゃ遅いんだよ」
二人で黙った。
確かに。
帰り道、俺は市場を振り返った。
真似されることは嫌じゃない。
俺の知らないところで料理が広まり、誰かがさらに美味しくしてくれるなら、それは嬉しい。
でも、広まれば俺の手を離れる。
良いところだけじゃない。
間違った作り方も広がる。
名前だけ使う人も出てくるかもしれない。
料理に値段をつける。
技術に値段をつける。
そして、その技術を使う責任をどうするのか。
俺にはまだ答えがない。
ただ、今日一つだけ分かった。
美味しい料理を広めたいなら、「自由に真似していいよ」だけでは足りない。
誰が作っても、少なくとも人を傷つけないところまでは伝えなければならない。
俺が作った一皿なら、自分で最後まで見られる。
でも、世界へ広がった料理はそうはいかない。
たぶんここから先は、レシピより面倒なものまで一緒に作らなければならないらしい。




