表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神々のいない食卓~日本の消えた異世界で、料理好きの俺は和食を作る~  作者: ちゃむたろう
第五章 食卓は村を越えて――料理が商売になる日

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

45/111

第45話 ノア、働く



冷却箱の試験から数日後、俺はハーゲンと一緒に再びベルクを訪れていた。


目的はいくつかある。冷却箱で運んだ魚の状態をローデンに見てもらうこと。ベルク側でどれくらい需要がありそうか、ハーゲンが商人仲間から話を聞くこと。そしてもう一つ、俺が個人的に気になっていることがあった。


「ノア、ちゃんと働いてるかな」


俺が呟くと、ハーゲンが横目で見る。


「心配ですか?」


「ちょっと」


出会った時、ノアは俺の東穀を盗んだ。理由は、自分と妹のミナが食べるためだった。


あの日、俺は飯を作れば何とかなると思った。


でも、たった一食では明日を変えられない。


そこでハーゲンやローデンに頼み、料理人ギルドでできる仕事を探してもらった。九歳のノアに包丁を持たせるわけにはいかない。それでも皿洗い、床掃除、食材運び、薪運びくらいならできるという話になっていた。


ただ、仕事を紹介した後はベルクを離れてしまった。


本当に続いているのか。


嫌になって逃げていないか。


逆に、無理をさせられていないか。


そんなことを考えているうちに、料理人ギルドへ着いた。


扉を開ける。


「邪魔す――」


最後まで言えなかった。


目の前を、大きな籠が横切ったからだ。


「どけ!」


聞き覚えのある声。


籠を抱えていたのはノアだった。


中には大量の根菜が入っている。以前会った時より服は少し綺麗になっていたが、身体は相変わらず細い。それでも顔色は前よりずっと良かった。


「ノア」


呼ぶ。


ノアがこちらを見る。


一瞬だけ目を丸くした。


「……なんだ。七歳か」


「名前で呼べよ!」


再会の第一声がそれか。


「仕事中なんだよ。邪魔すんな」


「ちゃんと働いてるじゃん」


「当たり前だろ」


少し嬉しくなった。


でも、ノアは俺と話している場合ではないらしい。籠を厨房へ運ぶと、すぐ別の仕事を言いつけられた。


皿を回収する。


水桶を替える。


薪を厨房へ運ぶ。


動きに無駄がない。


最初から上手かったわけではないのだろう。何度も叱られて覚えたことが、見ているだけで分かった。


「皿はそこじゃねえ!」


奥からローデンの怒鳴り声が飛ぶ。


「分かってる!」


「分かってる奴は間違えねえ!」


「うるせえな!」


「口答えするな!」


相変わらずだ。


俺が笑っていると、ローデンがこちらに気づいた。


「レンか」


「久しぶり」


「ちょうどいい。そこのガキが最近生意気になった。何とかしろ」


「俺にどうしろっていうの」


「料理で黙らせろ」


ノアは料理人じゃないだろ。


しばらくして昼の仕込みが一段落すると、ノアにも休憩が与えられた。


俺たちはギルド裏の石段へ座った。


「仕事どう?」


「きつい」


即答だった。


「朝早えし、重いし、ローデン怒鳴るし」


「それでも続けてるんだ」


ノアは少し黙った。


「金もらえるから」


そう言って、腰に下げた小さな袋を叩く。


「今日、初めてちゃんと給金出た」


「本当?」


「少ねえけどな」


声はぶっきらぼうだ。


でも、口元が少し緩んでいる。


俺は嬉しくなった。


よかった。


これで少なくとも、前よりは――。


「ミナにパン買う」


その一言で、さらに胸が軽くなった。


「じゃあ、一緒に買いに行く?」


「なんでお前が来るんだよ」


「見たいから」


「何を」


「ノアが自分のお金でパン買うところ」


「気持ち悪いな、お前」


最近みんなに似たようなことを言われる。


休憩が終わった後、ノアの仕事が終わるまで俺はローデンと冷却箱の話をした。魚の状態を確認してもらうと、保存前の処理をちゃんとすれば十分使えるという評価だった。


ただし、「冷えてるから何日でも食えると思うな」と釘を刺された。


これも重要だ。


冷やしたから安全。


魔法だから完璧。


そんな単純な話ではない。


夕方。


仕事を終えたノアと市場へ向かった。


ミナもギルド近くまで迎えに来ていた。


以前見た時より、少しだけ頬に肉がついている。


「レン!」


俺に気づくと笑ってくれた。


「久しぶり」


「おにいちゃん、おしごとした!」


「見たよ」


ノアは照れたのか、ミナの頭を雑に撫でた。


パン屋へ着く。


ノアは店先でしばらく悩んでいた。


普通の黒パン。


少し柔らかい白っぽいパン。


干した果物が入った甘いパン。


当然、値段は違う。


「これ」


最終的にノアが指差したのは、少し高い白いパンだった。


「二つ」


店主が値段を告げる。


ノアは腰の袋を開けた。


一枚。


二枚。


硬貨を数える。


その手が少し震えていた。


店主からパンを受け取る。


その瞬間のノアの顔を、俺はたぶん忘れないと思う。


料理を食べた時の顔ではない。


勝った時でもない。


自分の働いた金で、妹の食べ物を買った人間の顔だった。


「ほら」


ノアが一つをミナへ渡す。


「兄ちゃんは?」


「俺は後でいい」


「半分こ」


ミナは迷わずパンを割った。


半分をノアへ差し出す。


「一緒に食べる」


ノアは一瞬困った顔をした後、受け取った。


二人で食べる。


俺は少し離れて見ていた。


美味しそうだった。


俺が作った料理じゃない。


俺が買ったパンでもない。


でも、今までノアに食べさせたどんな料理より、ずっと意味があるように見えた。


「これで大丈夫だね」


思わず口にした。


ノアがパンを食べる手を止める。


「何が?」


「いや、仕事あるし。ミナも飯食べられるし」


ノアはしばらく俺を見る。


「家はないけど」


言われて止まった。


「寝るとこ、前と同じだぞ。雨降ったら濡れるし」


「……そっか」


「仕事だって、ずっとあるか分かんねえ。怪我して働けなくなったら金も出ない」


さっきまでの安心が、少しずつ崩れていく。


まただ。


俺は一つ良くなると、全部良くなったと思ってしまう。


「でも」


ノアが続けた。


「前よりマシ」


顔を上げる。


ノアは残ったパンを見ながら話した。


「前は盗むか、もらうかしかなかった。でも今は、働いたら金が出る。明日も仕事来いって言われてる」


「ローデンに?」


「うん」


「怒鳴られるのに?」


「うるせえけど、飯も出る」


それは大事だ。


ノアは少し笑った。


「だから、別にお前が全部何とかしなくていい」


心を読まれたみたいだった。


「そんな顔してた?」


「してた」


ハーゲンを見る。


頷いている。


そんなに分かりやすいのか。


「俺、自分で働いてるから」


ノアが言う。


その言葉に、少しだけ胸を刺された。


俺は、ノアを助けたいと思った。


でも、ノアは「助けられるだけの人」ではない。


自分で皿を洗い、薪を運び、怒鳴られながら仕事を覚えた。


今日のパンを買ったのもノアだ。


俺がしたのは、入口を一つ見つけただけだ。


「そっか」


今度は素直に頷いた。


「じゃあ、俺も何かできることあったら手伝う」


「全部やろうとすんなよ」


「分かってるって」


「本当か?」


「最近ちょっとは学んでる!」


ハーゲンが咳払いした。


笑っている。


帰り道。


俺は市場を歩きながら、冷却箱のことを考えていた。


食べ物を保存できれば、届けられる距離は伸びる。


仕事があれば、自分で食べ物を買える人も増える。


でも、それだけで全部解決するわけじゃない。


住む場所。


病気。


仕事がなくなる可能性。


考えることはまだ山ほどある。


それでも、全部を一度に解決できないからといって、何もしない理由にはならない。


以前ハーゲンに言われた言葉を思い出す。


全員を救えないからといって、一人も救わない理由にはならない。


あの時は、目の前の一食の話だと思っていた。


今は少し違う。


一食を渡す。


仕事につなぐ。


技術を作る。


食べ物を運ぶ。


一つずつしかできなくても、その一つが次の一歩になることはある。


俺は振り返った。


市場の向こうで、ノアとミナがまだ半分ずつのパンを食べている。


今度は「救えた」とは思わなかった。


ただ、二人が昨日とは少し違う場所に立っている。


それで十分だと思えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ