第43話 冷蔵箱は、まだ冷蔵庫じゃない
米を「まだ売らない」と決めた翌日の昼、村の入口からものすごい音が聞こえてきた。
ガラガラ、ガタン、ガラガラ、ガタン。
荷車が壊れたのかと思って家を飛び出すと、一台の馬車がこちらへ向かってくる。その荷台には、やたら大きな木箱が縄で縛りつけられていた。
そして御者台に座っている人物を見た瞬間、俺は嫌な予感がした。
灰色の長い髪。
片目の丸眼鏡。
焦げ跡だらけの服。
「ゼクト?」
名前を呼ぶと、魔法工房の主人は片手だけ上げた。
「持ってきたぞ」
「何を?」
「お前が欲しがっていたものだ」
視線が荷台の木箱へ向く。
まさか。
俺は馬車が止まるのも待てず、荷台へ近づいた。
箱は俺の身長より少し低いくらい。木製で、側面には何枚もの金属板が打ちつけられている。その中心には、青白い魔石が埋め込まれていた。
「冷蔵庫!?」
「違う」
即答された。
「まだ何も説明してないだろ」
「お前がベルクで話していた『レイゾウコ』とやらとは別物だ。これは試作冷却箱だ」
言い方は違う。
でも冷やす箱だ。
それだけで十分テンションが上がった。
以前ゼクトと一緒に試した時は、小さな木箱の中にある水を少し冷やしただけだった。しかも途中で俺が魔力を強くしすぎて、杯まで割った。
そこから、もう箱の形にしたのか。
「開けていい?」
「待て」
「ちょっとだけ」
「待てと言っている」
以前の俺なら、たぶん勝手に開けていた。
さすがに最近は学んでいる。
ゼクトが馬車から降り、側面の魔石へ手を触れた。小さな光が走り、箱の中から低い音が聞こえる。
「いいぞ」
蓋を開けた。
冷たい空気が顔に当たる。
「おお……!」
思わず中へ顔を突っ込む。
確かに冷えている。
前世の冷蔵庫ほどではない。でも、夏の昼間に外へ置いていた箱の中とは思えないほど涼しい。
「すごいじゃん!」
「そう思うか?」
ゼクトの声が妙に冷静だった。
嫌な予感がする。
箱の奥へ手を伸ばした。
「冷たっ!」
一番奥の金属板には薄く霜がついていた。
その横に置かれていた瓶の水は、半分凍っている。
「冷えすぎてるじゃん」
「そうだ」
今度は入口側へ触る。
「あれ?」
ぬるい。
箱の奥は凍るほど冷たいのに、手前は外気より少し涼しい程度だ。
「全然均等じゃない」
「それだけではない」
ゼクトが箱の底を指差した。
水が溜まっている。
木も少し膨らんでいた。
「中の水分が冷えた板に集まる。放っておけば木が傷む。魔石の消耗も激しい。これ一つを一日冷やせば、魚を何匹か捨てた方が安い」
「駄目じゃん」
「だから試作品だと言っている」
なるほど。
見た目は冷蔵庫っぽい。
でも、冷蔵庫として使えるかは別の話らしい。
俺は箱の中を覗き込みながら考えた。
冷やすこと自体には成功している。
問題は、冷え方が偏ること。
外から熱が入ってくること。
水が出ること。
それから魔力。
「箱の壁、もっと厚くしたら?」
「木を厚くするだけでは重くなる」
「じゃあ間に何か入れるとか」
「何を?」
聞かれて止まった。
前世の冷蔵庫には、たしか断熱材が入っていた。
発泡なんとか。
そこまでは知っている。
でも、それをどう作るかは知らない。
「……分からない」
ゼクトが鼻で笑った。
「それでいい」
以前なら「役に立たん」と言われていた気がする。
少しだけ扱いが変わったらしい。
そこへ、騒ぎを聞きつけたバルクがやってきた。
俺の包丁を作ってくれた村の鍛冶師だ。
「何だ、この妙な箱」
「冷やす箱」
「またお前か」
なぜ俺を見る。
作ったのはゼクトだ。
事情を説明すると、バルクは箱の金属板を指で叩き始めた。
「こんな厚い鉄いらねえだろ」
「術式を安定させるためだ」
「箱ごと冷やす気か? 冷やしたいのは中身だろ」
ゼクトの眉が動いた。
すぐに二人で言い合いが始まる。
金属板の厚さ。
魔力の通り。
加工のしやすさ。
俺には半分も分からない。
でも、聞いているだけで面白かった。
ゼクトは魔法を知っている。
バルクは金属を知っている。
俺は、そのどちらも中途半端だ。
代わりに、冷蔵庫という完成形を知っている。
「冷たい場所って、上に置いた方がいいんじゃない?」
二人が俺を見る。
「なんでだ」
バルクに聞かれる。
「冷たい空気って下に降りるから」
これは前世で知っている。
暖かい空気は上へ行き、冷たい空気は下へ行く。
だったはず。
「たぶん」
最後につけ足した。
最近は大事だ。
ゼクトが箱を見る。
現在、冷却用の金属板は側面の低い位置についている。
「上から冷やせば、自然に下へ流れる……か」
「逆に下から冷やすと、下だけ冷たいままになるんじゃない?」
「試す価値はあるな」
バルクが箱を持ち上げる。
「だったら板の場所変えるぞ」
「今?」
「今やらずにいつやる」
こうして、なぜか村の真ん中で冷却箱の改造が始まった。
さらに父さんが木工仕事の得意な村人を呼び、箱を二重にする案が出た。
二枚の板の間に、乾燥させた苔と羊毛を詰める。
「これで意味あるの?」
俺が聞くと、木工を担当していた男が答えた。
「冬用の壁も似た作りだ。外の寒さが家の中へ入りにくくなる」
なるほど。
逆も同じか。
外の熱が中へ入りにくくなる。
前世の断熱材とは違うけれど、目的は近い。
俺が知らないだけで、この世界にもすでに使える技術はある。
全部を一から発明する必要なんてなかった。
夕方。
改造した箱へ、水の入った瓶を四本置いた。
一番上。
中央。
下。
入口側。
ゼクトが魔石を起動する。
今度の冷却板は、箱の上部にある。
しばらく待つ。
一時間後。
四本の瓶を取り出した。
触る。
「全部冷たい」
差はある。
上の瓶が一番冷えている。
でも、最初ほど極端ではない。
「魔石は?」
俺が聞く。
ゼクトが確認する。
「消耗は……前の三分の二程度だな」
「まだ多い?」
「多い」
成功したと思ったのに。
でもゼクトは少し笑っていた。
「ただし昨日よりはましだ」
バルクも箱の側面を叩く。
「木の濡れ方も減ってるな」
底にはまだ少し水がある。
だから今度は、水が外へ流れる細い穴をつける案が出た。
それを聞いて、また思い出す。
「前世の冷蔵庫も、水を外に逃がしてた気がする」
「気がする、ばかりだな」
「高校生に冷蔵庫の設計図求めないでよ」
ゼクトは呆れていた。
でも、その顔は楽しそうだった。
翌朝まで動かしてみた結果、箱の中は外よりかなり低い温度を保っていた。
前世の冷蔵庫には遠い。
温度を一定に保てない。
魔石も必要。
蓋を何度も開ければすぐ温まる。
大量の食材も入らない。
それでも。
昨日なら夕方には臭い始めていた魚が、朝になってもほとんど変わっていなかった。
俺は魚の目と身を確認する。
「使える」
ハーゲンが後ろから覗き込んだ。
いつからいたんだ。
「商品になりますね」
「まずそこ?」
「私は商人ですので」
忘れていた。
ハーゲンは冷却箱を見る目を完全に商売人へ変えていた。
「魚だけではありません。肉、乳、薬草。今まで日持ちしないから遠くへ運べなかったものが運べるようになる」
俺も想像する。
ベルクの魚を村へ。
村の肉をベルクへ。
もっと遠くにも。
料理できる食材が増える。
食べられる場所が広がる。
胸が高鳴った。
でも、第41話のことを思い出す。
広がれば、それで全部うまくいくわけじゃない。
俺はハーゲンを見る。
「これ、作るの高いよね」
「現状では、かなり」
「じゃあ金持ちしか使えない?」
「今のままなら」
やっぱり。
まだ完成じゃない。
俺は箱へ手を置いた。
冷たい。
魚を腐らせずに運べる。
それだけなら、もう成功と言っていいのかもしれない。
でも俺が欲しかったのは、珍しい魔法道具じゃない。
魚屋のおっちゃんが毎日のように使えて、売れ残った魚を翌日まで残せるような道具だ。
いつかノアみたいな子供が買える値段まで、食べ物を無駄にしなくて済む道具だ。
「これ、冷蔵庫じゃないな」
ゼクトが眉を寄せる。
「最初からそう言っただろう」
「うん。まだ冷蔵箱だ」
俺が言うと、バルクが笑った。
「なら、次はどうする」
答えは分からない。
魔石をもっと効率よく使う方法も知らないし、断熱材の正解も知らない。
だから、今日は勝手に答えを作らなかった。
「みんなで考える」
ゼクトは魔法を。
バルクは金属を。
村の職人は木を。
ハーゲンは金と流通を。
そして俺は、料理する側から何が必要なのかを考える。
一人では作れない。
そのことが、以前ほど悔しくなくなっていた。
むしろ、一人では作れないからこそ、自分では思いつかなかったものができる。
冷蔵箱の中では、昨日ベルクから運ばれてきた魚が静かに冷えている。
この箱が本当に役に立つのは、冷たくできた時じゃない。
この魚を、今まで届かなかった誰かの食卓まで運べた時なのだと思った。




