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神々のいない食卓~日本の消えた異世界で、料理好きの俺は和食を作る~  作者: ちゃむたろう
第五章 食卓は村を越えて――料理が商売になる日

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第42話 米は、まだ売らない

米を初めて炊いてから三日後、ハーゲンが俺の家へ大きな算盤のような板を持ち込んできた。


嫌な予感しかしなかった。


「何それ」


「お金の話をする時に使うものです」


やっぱり嫌な予感しかしない。


食卓には父さんと母さん、ヨルン、サヨが座っている。なぜかリナまで椅子へよじ登り、俺の隣で真剣そうな顔をしていた。たぶん話の内容はほとんど分からないと思う。


ハーゲンは全員を見渡してから、机の上へ小さな袋を置いた。


「先日いただいた米を、ほんの数粒だけベルクの料理人に見せました」


「食べさせたの?」


「いいえ。見せただけです」


それでも十分だったらしい。


珍しい穀物。


東穀より粒が丸く、炊けば甘味が出る。しかも、ベルクでは誰も見たことがない。


「売れば、かなりの値がつきます」


ハーゲンが提示した数字を聞いて、父さんが目を丸くした。


俺も驚いた。


「そんなに?」


「今は希少性がありますからね。貴族や裕福な商人なら、珍しいというだけでも金を出します」


頭の中で計算する。


米が売れる。


村に金が入る。


畑を増やせる。


農具も買える。


バルクにもっと良い道具を作ってもらえるかもしれない。冷蔵箱の研究費だって出せる。


何より、村が少し豊かになる。


「じゃあ――」


売ろう。


そう言いかけた。


その時、サヨの手が膝の上で強く握られていることに気づいた。


声は出していない。


でも、顔が硬い。


俺は口を閉じた。


「サヨは、どう思う?」


全員の視線が彼女へ向く。


サヨは少し戸惑った。


「私が決めることなのでしょうか」


「だって、元はサヨが持ってきた種だろ」


「ですが、育てたのは皆さんです」


今度はヨルンが腕を組んだ。


「俺の畑を使ってるが、俺の米ってわけでもねえな」


父さんも困ったように笑う。


「村の土地で育ったからって、村長のものになるわけでもないだろう」


話がややこしくなってきた。


俺は今まで、食材の所有権なんてほとんど考えたことがなかった。


肉なら買った人のもの。


野菜なら育てた人のもの。


市場で売れば、金を払った人のもの。


単純だと思っていた。


でも、この米は違う。


サヨの一族が何代も守ってきた。


俺が「稲だ」と気づいた。


ヨルンが育て方を試した。


村のみんなが襲撃から守った。


土地も水も、この村のものを使った。


じゃあ誰のものなのか。


「レン君」


ハーゲンが俺を見る。


「こういうことを考えるのも、広めるということですよ」


ちょっと前までなら、「美味しいからみんな食べればいい」で終わっていた。


でも、食べ物が増えれば金になる。


金になれば、欲しい人が増える。


欲しい人が増えれば、「誰のものか」が必要になる。


「売らない方がいいのかな」


俺が言うと、今度はヨルンが首を横に振った。


「ずっと売らねえってのも違う」


「なんで?」


「作物は売って、初めて農家の飯になる」


当たり前だった。


育てた作物を全部自分たちで食べるわけではない。売った金で服を買い、道具を直し、別の食材を買う。


農業は、食べ物を作るだけじゃなく仕事でもある。


「ただし、今は早い」


ヨルンが続ける。


「次の種がまだ少なすぎる。今年うまくいったからって、来年もうまくいくとは限らん。病気が出るかもしれねえし、天気が悪いかもしれねえ」


以前の自分を思い出す。


最初から田んぼを作って全部植えようとしていた。


もし、あの時ヨルンに止められなかったら。


そして今、売れると聞いた瞬間に、俺はまた先を見すぎていた。


「じゃあ、来年の種を残して、その余りなら?」


「それも量を見てからだな」


「その次は?」


「その時考えろ」


先のことを考えろと言われたり、先走るなと言われたり、農業は難しい。


俺が唸っていると、サヨが小さく笑った。


「レンは、すぐ十歩先へ行こうとしますね」


「最近みんなに言われる」


自覚はある。


ハーゲンが板の上の数字を消した。


「では、今売る話はいったん保留ということで」


その言葉を聞いて、少しだけ惜しい気持ちはあった。


あの金があれば、できることは多い。


でも、米そのものがなくなったら意味がない。


そこで一つ気づいた。


「売るかどうかの前に、決めた方がいいんじゃない?」


「何をです?」


「この米を、誰が勝手に売っていいのか」


ハーゲンが少しだけ笑った。


「ようやくそこへ来ましたか」


最初から気づいていたらしい。


悔しい。


俺たちはその後、昼まで話し合った。


サヨ一人のものにはしない。


俺のものにもしない。


ヨルンの畑だからといって、ヨルンが全部決めることもしない。


最終的に、種籾だけは村の倉へまとめて保管し、サヨ、ヨルン、村長の三者が確認しなければ持ち出せないことになった。


育てた米のうち、次の作付けに必要な分を最優先で確保する。


その残りを食べる。


さらに余裕が出たら、初めて売る。


「なんか面倒だな」


俺が言うと、ハーゲンが笑う。


「仕組みとは、だいたい面倒なものです」


「料理なら食べれば終わるのに」


「だからこそ、あなたは今まで簡単だったのでしょう」


その言葉に少し引っかかった。


料理も簡単ではない。


でも、言いたいことは分かる。


俺が一皿作って、それを誰かが食べるだけなら、その場で完結する。


でも、その料理を百人に届けたいなら、食材を百人分用意する必要がある。


千人なら千人分。


そして来年も食べたいなら、次の種を残さなければならない。


美味しいものを広めるというのは、レシピを教えるだけじゃない。


食材がなくならないようにすること。


作る人が困らないようにすること。


誰か一人が勝手に全部持っていかないようにすること。


考えることが急に増えた。


夕方、俺はサヨと一緒に村の倉へ種籾を運んだ。


小さな袋だ。


最初に彼女が抱えていた箱よりは大きい。でも、まだ片手で持てる程度しかない。


「売りたかったですか?」


サヨが聞いた。


「ちょっとだけ」


正直に答える。


「お金あったら、もっと色々できるし」


「後悔していますか?」


俺は袋を見る。


少し考えてから首を横に振った。


「今売ったら、この米を食べるのは金持ちだけかもしれない」


ハーゲンの話では、珍しいものほど最初は高く売れる。


それ自体が悪いとは思わない。


でも、俺が作りたいのは、珍しいから一度だけ食べる料理じゃない。


前世の米は、特別な日にだけ食べるものではなかった。


朝にも食べた。


弁当にも入れた。


金がない日だって、家に米があれば何とかなると思えた。


いつか、この世界でもそうなったらいい。


「いっぱい作れるようになったら売ろう」


「はい」


「貴族にも売る。でも村の人も食べられるくらい」


サヨが笑う。


「欲張りですね」


「料理人だから」


関係あるかは分からない。


倉の棚へ種籾を置く。


扉を閉める前に、俺はもう一度袋を見た。


売れば金になる。


食べれば美味い。


植えれば増える。


同じ米なのに、使い方一つで未来が変わる。


ここにきて最初に俺が覚えたのは、料理の新しい作り方ではなかった。


美味しいものほど、食べる前に考えなければならないことがある。


そして今の米は、まだ売らない。


いつか誰でも食べられるくらい増やすために。


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