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神々のいない食卓~日本の消えた異世界で、料理好きの俺は和食を作る~  作者: ちゃむたろう
第四章「稲種――消えた国の残り火」

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第39話 種を狙う者

稲の芽は、俺が何もしなくても育っていた。


それを当たり前だと思えるようになるまで、少し時間がかかった。朝起きればまず木箱を確認する。でも、土が乾いている気がしてもすぐ水魔法は使わない。葉の色が気になっても、勝手に温度を変えない。ヨルンと相談し、その日の天気を見て、必要な分だけ水をやる。


二本を枯らした失敗は、まだ頭から離れなかった。


だからこそ、残った芽が昨日よりほんの少し高くなっているだけで嬉しい。


「兄ちゃん、おこめ大きくなった!」


リナが木箱の前にしゃがみ込み、両手を広げる。


「まだこれくらいだけどな」


「リナより大きくなる?」


「たぶん」


「兄ちゃんより?」


「それは無理じゃないかな」


前世で見た稲なら、七歳の俺よりは低かったはずだ。


そんな話をしていると、ヨルンが畑の方から歩いてきた。


「今日の昼は暑くなる。朝のうちに少し水やっとけ」


「分かった。どれくらい?」


以前なら「水をやれ」と言われた時点で桶いっぱい使っていたかもしれない。今は量まで聞く。


ヨルンは土へ指を入れて湿り具合を確かめると、「この箱なら半杯でいい」と答えた。


少ない。


でも、それでいいらしい。


俺は桶から水を取りながら、少し笑った。


料理なら味を見れば、その場である程度答えが分かる。でも農業は違う。今日やったことの結果が、明日にならないと分からないこともある。


面倒だ。


そして、面白い。


そんなことを考えていた昼前だった。


村の入口に、見慣れない三人組が現れた。


最初は旅人だと思った。


黒に近い灰色の外套。丈夫そうな革靴。腰には剣を下げているものの、冒険者なら珍しくもない格好だ。


ただ、三人とも荷物が少なすぎた。


旅をしてきた人間なら、水袋や食料、寝具くらい持っている。なのに彼らには小さな鞄しかない。


俺が気になって見ていると、ちょうどハーゲンも家から出てきた。


「おや」


いつもの笑顔。


でも、目だけが笑っていない。


先頭の男が俺たちへ近づいてくる。


四十歳くらいだろうか。短い金髪に、左眉から頬へ細い傷が走っている。


「この村の責任者は?」


父さん――ガルドが前へ出た。


「村長なら畑だ。用件なら俺が聞く」


「人を探している」


男は懐から一枚の紙を出した。


そこには、この世界の文字で簡単な人相書きがあった。


長い黒髪。


若い女。


そして白い服。


サヨだ。


俺の背中に冷たいものが走る。


「東方から重要な品を盗み、逃亡した女だ。数日前、この街道沿いで目撃されている」


盗んだ?


違う。


サヨは自分の一族が守ってきたものを持って逃げたと言っていた。


父さんが答える前に、ハーゲンが紙を受け取った。


「どちらの発行です?」


男の眉が動く。


「何?」


「捜索依頼なのでしょう? 発行元と責任者の印がありません」


俺にはただの紙にしか見えなかったが、ハーゲンには違うらしい。


男の声が少し低くなる。


「商人には関係のない話だ」


「人を犯罪者扱いして村を探すのであれば、大いに関係がありますね」


さすが商人。


笑顔のまま全然引かない。


その時、後ろからエルナがやってきた。


村の神殿から戻ってきたところらしい。


「何かあったのですか?」


三人組のうち、一人がエルナを見る。


正確には、胸元の銀色の世界樹を。


一瞬だけ、男たちの間に緊張が走った。


俺は見逃さなかった。


そしてエルナも、彼らの外套の隙間から何かを見つけたらしい。


「その印……」


一番後ろの男の胸元に、銀色の飾りがあった。


世界樹。


サヨが恐れていたものと同じ。


ただ、よく見ると少し違う。


「世界樹の印?」


俺が呟くと、エルナは首を横に振った。


「似ています。でも、神殿の聖印ではありません」


「何が違うの?」


「根がない」


言われて気づいた。


村の神殿にある世界樹には、枝と同じくらい大きな根が描かれている。


男の印には枝だけしかない。


「古い印です」


エルナの顔が強張る。


「神殿の記録で見たことがあります。でも、今は使われていないはずです」


先頭の男が舌打ちした。


その時だった。


家の扉が開いた。


「レン?」


サヨだった。


母さんに止められていたはずなのに、騒ぎを聞いて出てきたらしい。


三人の男と目が合う。


サヨの顔から血の気が引いた。


「……あの人たちです」


小さな声だった。


でも俺には聞こえた。


「里を襲った?」


サヨが頷く。


男たちも、もう隠すつもりはないらしい。


先頭の男が一歩前へ出る。


「その箱を渡せ」


サヨは胸元へ木箱を抱き寄せた。


「嫌です」


「それは、お前たちが持っていていいものではない」


「私たちの一族が守ってきたものです」


「だから問題なのだ」


その言葉に、俺は引っかかった。


盗品だから返せ、ではない。


持っていてはいけない。


「何が入ってるか知ってるの?」


俺が聞くと、男の視線が俺へ向く。


「子供は下がれ」


「種だろ」


男の表情がわずかに変わった。


「稲の種」


今度ははっきり分かった。


知っている。


こいつらは『稲』が何なのか知っている。


「なんで、ただの種をそこまで欲しがるんだよ」


男は答えなかった。


代わりに、その視線が俺の背後へ動いた。


嫌な予感がした。


振り返る。


家の裏。


木箱。


育てている芽。


リナがその近くに立っていた。


「リナ、こっち来て!」


俺が呼ぶより早く、男の顔色が変わった。


驚き。


それから、明らかな焦り。


「芽吹かせたのか」


その声だけは、それまでとまったく違っていた。


三人目の男が剣へ手を伸ばす。


「処分しろ」


「待て!」


俺は木箱の前へ走った。


何をするつもりなのか、考えるまでもない。


男の手に赤い光が集まる。


火魔法。


まずい。


俺は剣では戦えない。


相手がどれくらい強い魔術師なのかも分からない。


でも、火なら分かる。


何年も料理で使ってきた。


男の手から炎が飛ぶ。


俺は木箱を守るように手を伸ばし、水魔法を放った。


炎と水がぶつかる。


白い蒸気が一気に広がった。


熱い。


顔を背ける。


それでも木箱から離れなかった。


「レン!」


父さんの声。


蒸気の向こうで何かがぶつかる音がした。


視界が戻ると、父さんとヨルン、それから村の男たちが俺たちの前に立っていた。


武器を構えている人もいる。


でも、誰も斬りかかってはいない。


父さんが低い声で言った。


「村の子供に魔法を撃ったな」


「退け。お前たちには関係ない」


「うちの村で育ててる作物を燃やそうとして、関係ないは通らねえよ」


ヨルンまで前へ出る。


「それに、あれは俺が見てる畑だ」


木箱だけど。


今それはどうでもいい。


サヨが俺のところへ駆け寄る。


「レン、大丈夫ですか?」


「俺は平気。芽は?」


一緒に確認する。


箱の縁が少し焦げている。


葉の先も一本だけ茶色くなっていた。


でも生きている。


よかった。


心からそう思った直後、腹の底から怒りが湧いた。


俺は二本を枯らした。


自分の軽率さで。


それだけでもあんなに後悔した。


なのに、こいつらは何の迷いもなく全部燃やそうとした。


「どうして」


俺は男を見る。


「どうして種を消すんだよ」


男はしばらく黙っていた。


答える必要はないと思っているのかもしれない。


でも、俺が引かなかったからか、やがて短く吐き捨てた。


「その種は、存在してはならない」


空気が冷えた。


ヨルンが眉をひそめる。


「作物に存在していいも悪いもあるか」


「知らないからそう言える」


「じゃあ説明しろよ」


俺は言った。


「病気になるのか? 毒があるのか? 他の作物を枯らすのか?」


それならまだ分かる。


危険な外来種というものは前世にもあった。


俺たちが知らずに広げて、この世界の農業へ被害を与える可能性だってないとは言えない。


でも男の答えは違った。


「それが実り、人が口にし、名を与えれば、失われたものまで戻ってくる」


意味が分からなかった。


けれど、サヨが息を呑んだ。


エルナも同じだった。


「失われたものって何?」


俺が聞く。


男は答えなかった。


代わりにハーゲンが一歩前へ出る。


「お話はそこまでにしましょう」


声は穏やかだった。


「あなた方に正式な捜索権限はない。にもかかわらず、村人へ魔法を使用した。これ以上続けるのであれば、ベルクの商業組合と神殿の双方へ報告します」


エルナも頷いた。


「私も証言します。その印についても、本殿へ照会します」


初めて男たちが迷った。


世界樹の印を持っているのに、神殿へ知られることを嫌がっている。


やはり単純な神官ではない。


しばらく睨み合いが続いた。


やがて先頭の男が手を上げる。


「退くぞ」


火魔法を使った男が不満そうにする。


「しかし、芽が――」


「今はだ」


その言葉が嫌だった。


今は。


つまり、諦めたわけではない。


男たちは村を離れていった。


誰も追わなかった。


完全に姿が見えなくなるまで、俺たちはその場から動けなかった。


最初に口を開いたのはサヨだった。


「……申し訳ありません」


「何が?」


「私がここへ来たから、村を危険に巻き込みました」


木箱を抱く手が震えている。


「この種も、私も、ここから離れた方が――」


「駄目だ」


ヨルンが遮った。


サヨが驚いて見る。


「その種はもう、お前だけが育ててるんじゃねえ」


ヨルンは焦げた木箱を持ち上げ、葉の状態を確認する。


「俺も見てる。レンも見てる。リナなんか毎朝しゃがんで話しかけてる」


「おこめ、おはようってしてる!」


本人が胸を張った。


ヨルンは苦笑する。


「そういうことだ」


父さんも頷いた。


「それに、怪我人を追い出して安全になりました、じゃ村の寝覚めが悪い」


サヨは何も言えなくなった。


俺も木箱を見る。


少し焦げた葉。


それでも、根は土の中に残っている。


俺たちはこの種を守っている。


でも、それだけじゃない。


この種を育てることで、何かを戻してしまうらしい。


男はそう言った。


失われたもの。


それが何なのか、まだ分からない。


日本なのか。


神様なのか。


もっと別の何かなのか。


ただ一つだけ分かった。


日本が消えたのは、昔の一度きりの出来事じゃない。


今も誰かが、残ったものを消し続けている。


なら、稲が残っていたのも偶然じゃない。


サヨたちが何代も守った。


育て方を忘れても、意味を失っても、それでも捨てなかったから今ここにある。


俺は焦げた葉の先へそっと触れた。


今までなら、「消したがるなら意地でも増やしてやる」と勢いだけで考えていたと思う。


でも、もうそれでは駄目だ。


俺一人で守るんじゃない。


サヨと、ヨルンと、家族と、村のみんなで育てる。


知らない危険があるなら調べる。


また狙われるなら、どう守るかも考える。


料理も、種も、文化も、一人の思いつきだけでは残らない。


少し焦げた稲の葉は、それでも風を受けて揺れていた。


誰かが「存在してはならない」と言った種は、今日も確かに生きていた。


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