表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神々のいない食卓~日本の消えた異世界で、料理好きの俺は和食を作る~  作者: ちゃむたろう
第四章「稲種――消えた国の残り火」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/111

第35話 七歳児、田んぼを作る……前に止められる

翌朝、俺は鍬を担いで家を出た。


昨日までの俺なら、自分でもかなり無茶な行動だと思ったかもしれない。けれど今は目的がある。サヨが命懸けで運んできた稲種を増やす。そのためには田んぼが必要だ。


前世で田んぼなら何度も見た。


春には水が張られ、等間隔に苗が並び、夏になると一面が緑になって、秋には黄金色の穂が垂れる。じいちゃんの神社の裏手にも田んぼが広がっていて、子供の頃は蛙を捕まえに入ろうとして怒られたこともある。


仕組みだって、大まかには分かる。


土を耕す。


水を張る。


苗を植える。


育ったら収穫。


しかも俺には水魔法がある。土を柔らかくする魔法も少しなら使える。前世より条件はいいくらいじゃないか。


そう考えながら、村外れの空き地へ向かっていた。


「兄ちゃん、どこいくの?」


後ろからリナがついてくる。


「田んぼ作る」


「たんぼ?」


「お米を育てる場所」


「おこめ!」


食べ物だと分かった途端、目が輝いた。


「リナもやる!」


「泥だらけになるぞ」


「やる!」


三歳児の決意は固いらしい。


結局、俺はリナを連れて村の南側まで来た。少し窪んだ土地があり、近くには小さな川も流れている。水を引くには悪くなさそうだ。


地面へしゃがみ込み、土を触る。


少し硬い。


でも魔法で崩せばいい。


川から溝を掘って水を引き、ここへ溜める。水が漏れないよう周囲を土で囲めば、それっぽくなるはずだ。


頭の中では、すでに秋の景色まで出来上がっていた。


黄金色の稲穂。


炊きたての白米。


焼き魚。


味噌汁はまだないけど、そのうち作りたい。


漬物なら今でもできる。


問題は茶碗と箸だな、なんてことまで考えていた時だった。


「何やってる」


低い声が後ろから飛んできた。


振り返る。


五十代くらいの男が、腕を組んで立っていた。


日焼けした顔。


太い指。


服にも靴にも土が染み込んでいる。


村の農家の一人、ヨルンだ。


家が少し離れているので話す機会は多くなかったが、村で一番広い畑を持っている人だということは知っている。


「田んぼ作る」


俺が答えると、ヨルンはしばらく黙った。


「タンボってのは何だ」


「水を張った畑。ここで稲を育てたいんだ」


「イネ?」


説明するより見せた方が早い。


俺は懐から一粒だけ持ってきた種籾を取り出した。


昨夜、サヨに頼んで借りたものだ。


ヨルンは俺の掌から種を摘まみ、目の前へ持ち上げる。


「見たことねえな」


「東から来た種なんだ。育てると米が取れる」


「食えるのか」


「すごく美味い」


まだこの世界では食べていないけど、たぶん。


いや、絶対。


ヨルンは種籾を俺へ返した。


「で、どう育てる」


「まず土を耕して、水を張って――」


「どれくらい深く?」


止まる。


「……このくらい?」


手で適当に示す。


ヨルンの顔が険しくなった。


「水はいつまで張る」


「育つまで?」


「ずっとか?」


「たぶん途中で抜く時期も……あったような」


「種はそこへ直接放るのか」


「いや、苗にしてから植える……はず」


「苗はどこで育てる」


答えられない。


「いつ植える」


「春」


「今は春の終わりだ」


「まだ間に合うかもしれない」


「この種は寒さに強いのか」


「知らない」


「暑さは?」


「知らない」


「水に浸けたら腐らねえのか」


「……知らない」


ヨルンが深いため息を吐いた。


隣でリナが、なぜか俺の真似をしてため息を吐く。


やめて。


「お前な」


ヨルンは地面を指差した。


「その種、どれだけある」


「数百粒くらい」


「それしかねえのに、何も知らず全部植える気だったのか?」


胸に刺さった。


昨日サヨに言われたばかりだ。


食べれば一度で終わる。


植えれば増える。


だから育てようと思った。


でも俺は、「植えれば増える」の部分だけを簡単に考えていた。


植えても、育たなければ終わる。


むしろ食べるよりひどい。


種そのものがなくなる。


「……全部じゃないよ」


言い訳する。


「じゃあ何粒」


「それは、これから」


「決めてねえんじゃねえか」


何も言えなかった。


ヨルンは俺から鍬を取り上げた。


「今日は掘るな」


「でも、早くしないと季節が」


「だからこそ掘るな」


強い声だった。


俺は反射的に黙った。


「作物は、お前の都合で待ってくれねえ。料理なら失敗しても次の肉を焼けばいいかもしれんが、畑は次が一年後になることもある」


その言葉で、少しだけ腹が立った。


料理だって簡単じゃない。


失敗した食材は戻らない。


そう言い返そうとして、やめた。


ヨルンは料理を馬鹿にしているわけじゃない。


時間の話をしている。


鍋の中の失敗と、畑の失敗では長さが違う。


「一回、全部駄目にしたことがあるんだ」


ヨルンが突然言った。


俺は顔を上げる。


「若い頃、親父の言うこと聞かずに早く種を撒いた。暖かくなったから大丈夫だと思ってな。その後で霜が来た」


遠くの畑を見る。


「畑一枚、ほとんど死んだ。種も金もなくなって、その年は冬までずっと借りを作った」


だから怒っているのか。


知らない種を持ってきた七歳児が、魔法でどうにかなると言って土を掘ろうとしている。


昔の自分を見ているのかもしれない。


「魔法で温度を調整すれば――」


口にしてから、自分で止めた。


まただ。


何か問題を言われるたび、すぐ魔法で解決しようとする。


ヨルンも気づいたらしい。


「その魔法、一日中使えるか?」


「無理」


「百日なら?」


当然無理だ。


「畑は毎日ここにある。雨の日も、お前が寝てる間もな」


俺は地面を見る。


料理なら、作っている間ずっと鍋の前にいられる。


でも作物は違う。


何か月も生き続ける。


俺が見ていない時にも育つ。


その間ずっと魔法で無理やり環境を作るなんて、現実的じゃない。


「……じゃあ、どうすればいい?」


昨日までなら、自分で考えてから聞いたと思う。


今日は最初から聞いた。


ヨルンは少しだけ眉を上げる。


「まず、その種を調べる」


「どうやって?」


「全部使うな。十粒か二十粒だけ水に浸けろ。芽が出るか見る。土も一種類じゃ試すな。乾いた場所、湿った場所、泥にした場所。分けてやる」


なるほど。


「最初から田んぼ作らないの?」


「その種が本当に水を好むかも知らねえんだろ」


俺は言葉を失った。


あまりにも当たり前だった。


日本の稲だから水田。


俺は完全にそう決めつけていた。


でも、この種が前世とまったく同じ稲だという保証はない。何百年、何千年とこの世界で守られてきたなら、性質が変わっている可能性だってある。


「それに、この土地は駄目だ」


ヨルンが俺の選んだ場所を指差した。


「なんで? 川近いよ」


「だからだ。雨が続いたら水が溢れる。ここは昔、川が増水した時に全部沈んだ」


知らなかった。


俺には「水を引きやすい場所」にしか見えなかった。


ヨルンには、その土地が過去にどうなったかまで見えている。


この差は大きい。


「畑って難しいんだな」


思わず言うと、ヨルンが鼻で笑った。


「今さら気づいたか」


「料理も難しいよ」


「知ってる。お前の燻製、うちでも作ってる」


ちょっと嬉しい。


それは顔に出さないようにした。


「教えてくれる?」


俺が聞くと、ヨルンは少し考えた。


「条件がある」


「何?」


「勝手に魔法使うな」


痛いところを突く。


「必要なら相談してからにしろ。お前の魔法が使えるなら便利なこともあるだろうが、何でも魔法でいじればいいってもんじゃねえ」


「……分かった」


「あと、俺の言うことも全部信じるな」


意外な言葉だった。


「え?」


「俺もその種は知らねえ。いつもの麦や豆なら分かるが、そいつについてはお前と大して変わらん」


ヨルンは俺の掌にある種籾を見る。


「だから、一緒に調べる」


その言葉が嬉しかった。


教えてもらうだけじゃない。


俺も知らない。


ヨルンも知らない。


だから試す。


失敗できる範囲を決めて、少しずつ。


ゼクトとの冷却実験にも似ている。


料理も。


魔法も。


農業も。


結局、知らないものを相手にする時は同じなのかもしれない。


俺は鍬を受け取ろうと手を出した。


ヨルンは渡してくれなかった。


「今日は使わねえぞ」


「分かってるって」


「さっきまで川から水引く気だった奴を信用できるか」


「俺の信用低すぎない?」


「兄ちゃん、ひくかった!」


リナまで笑う。


納得いかない。


その日の午後。


俺たちは田んぼを作らなかった。


代わりに小さな木箱をいくつも用意し、違う土を入れた。


乾いた土。


畑の土。


川辺の湿った土。


少量の水を張った泥。


種籾も全部は使わない。


サヨと相談して、まず十二粒。


たった十二粒だった。


でも、箱へ一粒ずつ置く時、昨日よりずっと緊張した。


一粒が食べ物になるまでに、こんなに考えることがある。


水。


土。


気温。


季節。


そして時間。


俺はずっと、美味しい料理を作るには包丁と火の扱いが大事だと思ってきた。


もちろん、それは間違っていない。


ただ、その包丁を握るよりずっと前から、料理は始まっている。


土の中に種を置く、その瞬間から。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ