表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神々のいない食卓~日本の消えた異世界で、料理好きの俺は和食を作る~  作者: ちゃむたろう
第三章 町へ――料理人、世界を知る

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/81

第31話 帰る前に、もう一皿

ベルクを発つ日の朝、俺は料理人ギルドの厨房で一匹の魚と向き合っていた。


昨日までなら、魚を見ればまず「どう料理するか」を考えていたと思う。けれど今日は、その前に指で身体をなぞった。頭から背骨へ、背骨から腹へ。ローデンに教わった通り、刃を入れる前に食材の形を確かめる。


三日前の俺なら、こんなことはしなかった。


知識ならある。


魚の捌き方も、火の入れ方も、臭みの取り方も、それなりに知っているつもりだった。でもベルクへ来て、それだけでは足りないと嫌というほど思い知らされた。


「遅えぞ、レン」


向かいの調理台で、カイルがすでに魚の鱗を落としていた。


「まだ始まってないだろ」


「俺の中では始まってる」


「勝手に始めるなよ」


今日は約束していた魚料理の勝負だ。


市場での肉料理では俺が勝った。だからカイルは、あの日からずっと「魚なら絶対に負けねえ」と言い続けている。


審査役はローデン。なぜかハーゲンとゼクトまでいる。さらに昨日飯を食べさせたノアとミナまで厨房の隅に座っていて、思ったより大ごとになってしまった。


「条件は?」


俺が聞くと、ローデンが二匹の魚を調理台へ置いた。


「同じ魚。使っていいのはここにある食材だけ。時間は一刻。食えないもん作った方が負けだ」


「最後の条件いる?」


「お前ら、勝負になると余計なこと始めそうだからな」


心当たりがありすぎて反論できない。


魚は昨日練習したものと同じ種類だった。川魚らしく少し泥臭さがあり、脂はそれほど多くない。


俺はまず三枚に下ろす。


昨日より刃が骨に沿う。


完璧ではない。腹側に少し身を残した。それでも一匹目とは比べものにならなかった。


その時、隣から妙な音がした。


カイルが魚の身へ塩を振り、その上から布を被せている。


「何してるの?」


「水抜いてんだよ」


「塩で?」


「この魚、そのまま焼くと身が崩れやすいんだ。ちょっと置くと締まる」


知らなかった。


前世にも塩で水分を抜く技術はある。理屈を聞けば分かる。でも、この魚にそれが有効だとは俺は知らない。


カイルは、この町で魚を食べてきた。


俺より長く。


その事実が、妙に嬉しかった。


「真似すんなよ」


「今日はしない」


「今日は?」


「次はするかも」


「堂々と言うな!」


勝負中なのに笑ってしまう。


俺は俺の料理を作ることにした。


魚の骨と頭は捨てない。


軽く焼いてから鍋へ入れ、水と香草で煮出す。昨日までなら、それだけで満足していたかもしれない。


でも今日は、そのスープへ東穀を入れた。


七年ぶりに「ご飯」と呼んだ穀物。


魚の出汁を吸わせる。


身の方は塩を軽く振り、皮目から焼く。皮をぱりっとさせたいので最初だけ火を強くし、途中から魔法で空気の流れを抑えて火力を落とした。


仕上げには、少量のラミの実。


魚にあの強い甘辛さをそのまま合わせると勝ちすぎる。だから果汁を薄め、酸味のある緑の実と混ぜた。


昨日までに覚えたことを、少しずつ使う。


ローデンから教わった捌き方。


ゼクトと試した火と熱の考え方。


カイルから見た、土地の食材に合わせるという発想。


そして、俺が前世から持ってきた料理の記憶。


それらが鍋の中で一つになる。


「できた」


俺が出したのは、魚の出汁で炊いた東穀に焼いた身を乗せ、酸味のあるラミのたれを少しだけ添えた料理だった。


見た目だけなら、前世の炊き込みご飯に近い。


対するカイルは、塩で締めた魚を厚めに焼き、香草と刻んだ根菜を炒めたものを添えていた。


派手さはない。


でも、匂いは強い。


ローデンがまず俺の料理を食べる。


東穀と魚を一緒に口へ運び、ゆっくり噛む。


次にカイル。


厚い身へ刃を入れ、一口。


俺もカイルも黙って待った。


「カイル」


「おう」


「お前の勝ちだ」


一瞬、意味が分からなかった。


隣でカイルが跳ねた。


「っしゃあ!」


「え、本当に?」


「何でお前が驚くんだよ!」


悔しくないと言えば嘘になる。


かなり悔しい。


俺は自分の皿をもう一度食べた。


不味くはない。


むしろ上手くできたと思う。


「何が駄目だった?」


ローデンに聞く。


「駄目じゃねえ。お前のも美味い」


「じゃあ何で?」


ローデンはカイルの魚を指差した。


「こいつは魚そのものを一番美味く食わせた。お前は色々考えすぎたな」


言われて、もう一度カイルの料理を食べる。


身が締まっている。


それなのに硬くない。


塩で余分な水分を抜いたことで味が濃くなり、川魚特有の匂いも抑えられていた。


俺の料理は技術を詰め込んだ。


出汁。


東穀。


火加減。


ソース。


でも、食材そのものを見るという意味ではカイルの方が一枚上だった。


「……うまい」


俺が言うと、カイルの顔が一瞬止まった。


「負け惜しみじゃなく?」


「美味いものは美味いだろ」


「よし!」


なぜそこでさらに喜ぶ。


悔しい。


でも、それ以上に面白かった。


知識が多ければ必ず勝てるわけじゃない。


この世界で育ったカイルだから知っている味がある。


俺がまだ知らない正解がある。


それが分かったことの方が、今は嬉しかった。


「一勝一敗だな」


カイルが胸を張る。


「次で決着な」


「いいよ」


「いつ?」


「知らない。俺、今日村に帰るし」


カイルの笑顔が止まった。


「……今日?」


「言ってなかった?」


「聞いてねえよ!」


厨房中に声が響いた。


そういえば、はっきり言っていなかった気がする。


カイルはしばらく文句を言い続けたが、最後にはローデンから「うるせえ」と頭を叩かれて黙った。


その後、勝負で使った残りの魚や野菜を使って、みんなで昼飯を作った。


今度は勝負ではない。


俺の東穀。


カイルの魚。


ローデンが捌いた肉。


ゼクトが「実験で余った」と持ってきた香草。


ノアとミナには、野菜を洗ってもらった。


ハーゲンは何も作っていないのに、完成する頃だけ当然のように席へ座っていた。


「商人は食べるのも仕事なのです」


「絶対嘘だ」


長い卓へ料理を並べる。


豪華ではない。


どれもベルクにある普通の食材だ。


それでも、誰か一人だけでは作れなかった食卓だった。


ミナが魚を食べて笑う。


ノアは昨日より遠慮なく椀を空にしている。


ゼクトは東穀を食べながら「保存状態を変えれば輸送距離が伸びるな」と考え込み、ローデンは「飯食う時くらい研究やめろ」と呆れている。


カイルは俺の皿から勝手に魚を取った。


「それ俺の!」


「負けた奴は黙ってろ」


「一勝一敗だろ!」


そんなやり取りをしながら、ふと思った。


俺は、こういうのが好きなんだ。


料理そのものを作るのも楽しい。


新しい食材を見つけるのも、知らない技術を覚えるのも好きだ。


でも、その先。


作った料理を誰かが食べて、笑ったり、文句を言ったり、もう一口欲しがったりする。


俺が本当に作りたいのは、たぶん料理だけじゃない。


こういう時間なのかもしれない。


ベルクを発つ頃には、昼を少し過ぎていた。


ローデンには「また来い」と言われ、ゼクトからは冷却実験の続きを勝手に宿題にされた。ノアには「次に来た時は働ける場所を探す」と約束した。ただ飯を与え続けるのではなく、ギルドの皿洗いや市場の運搬など、九歳でもできる仕事がないかハーゲンが調べてくれることになっている。


完璧な解決ではない。


でも、昨日より一歩だけ先へ進んだ。


町の門を出る。


俺は一度振り返った。


ベルクの城壁。


その向こうに見える銀色の世界樹。


初めて来た時は、知らないものだらけで圧倒された町だった。


今も知らないことだらけだ。


むしろ来る前より増えた気さえする。


それでいい。


知らないなら、また来ればいい。


「何ぼーっとしてんだよ。置いてくぞ」


前からカイルの声がした。


「……なんでお前がいるの?」


荷物を背負ったカイルが、当然のようにハーゲンの荷馬車の横を歩いていた。


「村見に行く」


「は?」


「お前が料理覚えた場所だろ。見ねえと次勝てねえ」


「ローデンは?」


「行ってこいって」


見るとハーゲンが笑っている。


知ってたな。


「数日だけですよ。カイル君を預かることは、すでにローデンさんからご両親への手紙にも書いていただきました」


話が早すぎる。


とはいえ、嫌ではなかった。


むしろリナがどんな顔をするか少し楽しみだ。


「村の飯、不味かったら言うからな」


「お前、村で喧嘩売るなよ」


「美味かったら褒める」


「上から目線なの何なんだよ」


言い合いながら街道を進む。


行きと同じ道なのに、景色が少し違って見えた。


ベルクへ来た時の俺は、自分がこの世界へ何を教えられるかばかり考えていた。


帰る俺は、この世界から何を教わえるのかを考えている。


たった数日。


それでも、村を出る前とは少し違う自分になれた気がした。


夕方近くになり、街道から森へ続く細い道の前を通りかかった時だった。


先を歩いていたカイルが突然止まった。


「レン」


声が低い。


「何?」


「あれ」


指差した先。


草むらに白いものが見えた。


最初は布だと思った。


旅人が荷物でも落としたのかと。


でも、風が吹いても動かない。


嫌な予感がして、俺たちは道を外れた。


近づくにつれ、白い布に赤い染みが見えた。


血だ。


「人……!」


走る。


倒れていたのは女だった。


年齢は分からない。二十歳前後にも見える。


長い黒髪。


白い衣。


下には赤い袴のようなもの。


俺は一瞬、自分の目を疑った。


見たことがある。


前世で。


神社で。


「巫女……?」


第29話で八咫烏から告げられた言葉が、頭をよぎった。


――東に、最後の巫女がいる。


「レン、知り合いか?」


「いや……」


俺は女の首元へ手を当てた。


脈がある。


弱いけれど、生きている。


「ハーゲン! 来て!」


声を上げながら傷を見る。脇腹からかなり血が出ている。ただ、すでに何かで強く縛って止血した跡があった。


その時、女の手元に何かあることに気づいた。


小さな緑色の石。


中央に穴があり、片側が丸く曲がっている。


勾玉。


見間違えるはずがなかった。


さらに女は、胸元へ小さな木箱を抱えていた。


血で汚れた指が、壊れそうなほど強く箱を掴んでいる。


「これ……」


箱の表面に文字があった。


この世界の文字じゃない。


漢字だ。


二文字。


俺は声に出して読んだ。


「稲種……?」


稲の、種。


背後からハーゲンが駆け寄ってくる。


「レン君、離れて。まず傷を――」


その声に反応したのか、女の瞼がわずかに開いた。


黒い瞳が、焦点の合わないまま俺を捉える。


唇が動く。


俺は顔を近づけた。


「何? 聞こえない」


女は残った力を振り絞るように、俺の袖を掴んだ。


そして、かすれた声で一つの言葉を口にした。


「……に、ほん……」


身体から力が抜ける。


「おい! しっかりして!」


返事はない。


それでも脈は残っている。


俺は血に濡れた白装束と、女が抱えた「稲種」の箱を見つめた。


七年間。


この世界で日本の名を知っている人間に、俺は一人も会ったことがなかった。


そのはずだった。


けれど今、目の前にいる。


日本という言葉を知り、勾玉を持ち、漢字で書かれた稲の種を命がけで運んできた人間が。


俺はもう一度、女の顔を見る。


ベルクから村へ帰るだけだったはずの道が、この瞬間、まったく別の場所へつながった気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ