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神々のいない食卓~日本の消えた異世界で、料理好きの俺は和食を作る~  作者: ちゃむたろう
第三章 町へ――料理人、世界を知る

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第27話 誰に食べさせたい?

東穀を炊いた日の昼過ぎ、俺はベルクの料理人ギルドの前に立っていた。


建物は市場から少し離れた通りにあり、俺が想像していたよりずっと大きい。石造りの二階建てで、入口の上には包丁と鍋を組み合わせた看板が掛かっている。開け放たれた扉の奥からは、肉を焼く匂い、煮込みの湯気、香草の青い香りが混ざって流れてきた。


それだけで足が勝手に前へ進みそうになる。


「何にやにやしてんだよ」


横からカイルに言われて、俺は口元を押さえた。


「してない」


「してる。昨日市場見てた時と同じ顔だ」


「お前、なんで付いてきてるの?」


「俺もギルドに用があるんだよ。料理人になるなら避けて通れねえだろ」


昨日の勝負以来、カイルは妙に俺へ絡んでくる。朝は勝手に宿の厨房へ入って東穀を食べ、昼になれば今度は当然のようにギルドまで一緒に来た。嫌ではないが、距離の詰め方が早すぎる気もする。


少し後ろでは、ハーゲンが俺たちを眺めながら笑っていた。


「友人ができてよかったですね」


「友人じゃねえ!」


俺ではなくカイルが即座に否定した。


「ライバルだ!」


「はいはい」


「その反応やめろ!」


面倒くさいけど、やっぱり嫌いじゃない。


ギルドへ入ると、中はさらに騒がしかった。受付の向こうでは料理人らしい男たちが書類を持って行き来し、壁には食材の相場や店の募集、祭りの料理人募集などが貼り出されている。奥には広い厨房があり、若い料理人たちが何人も包丁を握っていた。


村では見たことのない光景だった。


料理を仕事にしている人間が、こんなにいる。


俺が立ち止まって見回していると、受付にいた女性がこちらへ目を向けた。


「カイル。また何かやったの?」


「何もやってねえよ!」


「昨日、市場で料理勝負したって聞いたけど」


情報が早い。


ベルクの人間は暇なのだろうか。


「そいつだよ」


カイルが俺を指差す。


「俺に勝った七歳」


受付の女性の視線が、ゆっくり俺へ落ちてきた。


「……七歳?」


「レンです」


「本当に?」


最近こればかり聞かれている。


俺が返事に困っていると、厨房の奥から低い声が飛んできた。


「そいつをこっちへ連れてこい」


声の主は、大きな鳥を捌いていた。


四十代くらいだろうか。太い腕に無数の古い火傷と切り傷があり、左の頬には耳元まで伸びる傷跡がある。体格だけ見れば料理人というより傭兵に近い。


男は巨大な鳥の脚を押さえ、骨の隙間へ包丁を入れた。力任せに切っているように見えたのに、刃はほとんど抵抗なく関節を抜けていく。


俺は思わず男の手元へ見入った。


速い。


いや、それより無駄がない。


「ローデンさん、連れてきました」


受付の女性が言う。


男――ローデンは包丁を置き、布で手を拭いてから俺を見た。


「お前が市場でカイルに勝ったガキか」


「勝ったのは一回だけです」


「おい!」


カイルが不満そうな声を上げる。


「一回でも勝ちは勝ちだろ!」


「次やったら分かんないだろ」


「……お前、そういうこと言うのずるいぞ」


何がずるいんだ。


ローデンは俺たちをしばらく眺めた後、鼻で笑った。


「カイルがうるさくなる理由は分かった」


「どういう意味だよ!」


「そのままの意味だ」


カイルが噛みつきそうになったところで、ローデンは再び俺へ視線を戻した。


「料理を見せろ」


「今ですか?」


「料理人ギルドに来たんだろう。何か作りたいから来たんじゃねえのか」


確かにその通りだ。


俺は厨房を見る。


肉、根菜、香草、豆、魚。昨日市場で見た食材より種類が多い。鍋も鉄板も揃っているし、何より包丁が何本もある。


一瞬、何を作ろうかと頭が動き始めた。


肉なら昨日の応用ができる。東穀も持ってくれば何か作れた。魚も気になる。


でも、その時。


調理台に横たわる大きな鳥が目に入った。


羽はすでにむしられている。首も落とされている。


それなのに、俺はその鳥をどう分ければいいのか分からなかった。


前世なら、鶏肉は部位ごとに切られて売っていた。


もも肉。


むね肉。


手羽。


ささみ。


必要なものをスーパーで買えばよかった。


丸鶏を捌く動画を見たことはある。知識として、関節の位置や骨に沿って切ることも知っている。


けれど。


やったことはない。


俺はローデンを見る。


「料理を作る前に、一つ教えてもらっていいですか?」


ローデンの眉が動いた。


「何だ」


俺は鳥を指差した。


「それ、どうやって捌くんですか?」


カイルが目を丸くした。


「知らねえの?」


「丸ごとはやったことない」


「昨日あんな料理作ってたのに?」


「知らないものは知らない」


言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。


この世界へ来てから、俺は何度も周囲を驚かせてきた。火魔法の使い方。燻製。保存食。出汁。東穀の炊き方。


そのせいで、自分でもいつの間にか「料理なら分かる」と思い始めていたのかもしれない。


でも、そんなわけがない。


前世の俺は高校生だった。


料理人として働いた経験もない。


魚を一匹丸ごと捌くことだって少なかったし、牛や豚の解体なんて当然できない。知識があることと、手が動くことはまったく違う。


ローデンはしばらく黙って俺を見ていた。


怒られるかと思った。


「……誰に食わせたい?」


突然、そう聞かれた。


「え?」


「お前は料理を、誰に食わせたい」


何を聞かれているのか分からず、少し考える。


一番最初に浮かんだのはリナだった。


新しい世界で料理を始めた理由。


美味しいと言って笑ってほしかった。


次に父さんと母さん――今の世界のガルドとミラが浮かぶ。村のみんなも。エルナも。ハーゲンも。


そして、前世の妹。


二度と会えないかもしれない家族。


俺は答えに迷った。


一人を選べなかったからだ。


「……食べた人です」


ローデンが目を細める。


「随分でかく出たな」


「違います。最初は妹でした。でも今は、目の前にいる人が腹を空かせてたら、その人に美味しいものを食べてもらいたいです」


自分で言ってから、少し格好つけすぎた気がして恥ずかしくなる。


でも、本心だった。


俺が料理を作る時、いつも最後に考えるのは食べる相手だ。


昨日もそうだった。


カイルに勝ちたいと思った。


それでも最後には、店主が食べる料理だということを忘れないようにした。


ローデンは何も言わず、再び鳥の前へ立った。


「包丁持て」


「え?」


「教えてやる。丸鳥の捌き方だ」


俺は慌てて調理台へ近づいた。


ローデンは鳥を仰向けに置き、まず脚を外側へ開いた。


「いきなり肉を切ろうとするな。触れ」


言われた通り、脚の付け根を指で探る。


硬い骨。


その途中に、少しだけ動く場所がある。


「関節」


「そうだ。そこを見つけろ。刃物より先に、自分の指で食材の形を覚えろ」


前世で見た動画では、もっと簡単そうに見えた。


実際に触ると全然違う。


骨がどこへ続いているのか、肉の厚みがどこで変わるのか。目で見ただけでは分からない。


ローデンが一度見本を見せる。


刃先を骨に沿わせ、関節を外す。


力はほとんど使っていない。


「やってみろ」


俺は別の脚へ包丁を入れた。


浅すぎる。


骨に当たる。


角度を変える。


今度は肉を余計に削いだ。


「違う。包丁で探すな。指で探してから切れ」


「はい」


もう一度。


今度は関節を確認してから刃を入れる。


手応えが変わった。


刃がすっと抜ける。


「……取れた」


嬉しくて、思わず声が出た。


カイルが隣から覗き込む。


「そこ喜ぶとこか?」


「うるさい。初めてなんだからいいだろ」


「昨日俺に偉そうに肉の焼き方言ってたくせに」


「焼くのと捌くのは別!」


ローデンが大きく笑った。


その後も、むね肉を骨から外し、手羽を関節で分け、骨に残った肉を削いでいった。


簡単ではなかった。


むね肉は左右で大きさが違ってしまったし、片方の手羽は切る位置を間違えた。


それでも楽しかった。


知らないことを覚える。


できなかったことが、一つずつできるようになる。


前世で初めて包丁を握った頃の感覚を思い出した。


俺はずっと、この世界へ料理を教える側だと思っていた。


でも違う。


この世界には、この世界で積み重ねられた技術がある。


燃料を無駄にしない火の扱い。


硬い肉を食べるための工夫。


獲物を一切無駄にしない捌き方。


俺の知らないものが、山ほどある。


最後に、肉を取り終えた骨をローデンが持ち上げた。


「これはどうする?」


俺は少し考えた。


「捨てません」


「なら?」


骨を見る。


まだ肉が少し残っている。


髄もある。


「煮ます。出汁が取れる」


ローデンの口元がわずかに上がった。


「それでいい」


俺は鍋を借り、骨を軽く焼いてから水へ入れた。


臭みを抑えるために香草を少し。


火を弱め、ゆっくり煮出す。


しばらくすると、透明だった湯に薄い色がつき始めた。


ローデンが鍋を覗き込む。


「骨まで食わせる気か」


「食べられるところ、残ってるじゃないですか」


「骨は食えねえぞ」


「中身を食べます」


俺が笑うと、ローデンも鼻で笑った。


その日の夕方。


俺は、教わったばかりの鳥肉と骨から取ったスープで簡単な料理を作った。


派手な料理じゃない。


でも、昨日より少しだけ。


俺の知らなかった技術が入っている。


カイルがスープを飲みながら悔しそうに言った。


「これ、俺も覚える」


「いいよ」


「次の勝負で使うからな」


「じゃあ俺ももっと覚える」


言い返しながら、胸の奥が妙に軽かった。


料理を知っていることが強さなんじゃない。


知らないことを、知らないと言えること。


そして、誰かから教わること。


この世界で料理人として生きていくなら、たぶんそっちの方がずっと大事だ。


帰り際、ローデンが俺を呼び止めた。


「レン」


「はい?」


「明日も来い」


「いいんですか?」


「一羽捌いたくらいで覚えた気になるな。次は魚だ」


思わず笑った。


「お願いします」


ギルドを出ると、ベルクの空は夕焼けに染まっていた。


この町へ来てから、俺の知らない料理がどんどん増えている。


それが、たまらなく嬉しかった。

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