第25話 初めての料理勝負【後半】
料理勝負をすることになったのはいい。問題は、俺たちがいる場所が厨房でも家でもなく、市場のど真ん中だということだった。
「で、どこで作るんだ?」
俺が尋ねると、カイルは当然のように露店の奥を指差した。
「ここ」
覗き込んでみると、石を組んだ簡素なかまどが一つ。その上に鉄板が置かれ、横には肉を切るための木台がある。調理器具と呼べそうなものは包丁、木べら、鍋が二つ。それから水桶くらいしかない。
前世の台所を思い出せば、設備としては比べるまでもない。温度を細かく調節できるコンロもなければ、用途ごとに使い分ける包丁もない。冷蔵庫を開けば調味料が揃っている、なんてことも当然ない。
それでも俺は、むしろ少し楽しくなっていた。
「十分だな」
「だろ?」
カイルが笑う。
ないものを嘆くより、今あるものでどう美味くするかを考える。そもそも俺が料理へ本気になったきっかけからして、そうだった。
前世でも金はなかった。高い肉も珍しい調味料も買えなかった。それでも妹に美味しいものを食わせたくて、安い材料をどう使うか何度も試した。
場所が狭いくらい、今さらどうということはない。
「勝負するのは構わねえが、俺の肉を使うんだ。無駄にするなよ」
さっきまでカイルと怒鳴り合っていた露店の店主が、いつの間にか完全に面白がる側へ回っていた。
店主が用意したのは、赤身の多い獣肉だった。見た目だけなら前世の豚肉に少し似ているが、脂は少なく、表面には太い筋がいくつも走っている。
指で押してみる。
硬い。
さっきカイルの料理で感じた硬さは、焼き方だけの問題ではなさそうだ。
「材料は同じ肉。あとはこの店にあるものと、周りの露店から借りられるものだけ。日が向こうの屋根に隠れるまでだ」
店主が通りの向こうを指差す。太陽はすでにかなり傾いていた。おそらく三十分ほど。
「勝敗は?」
「俺が決めてやる」
「おっさんが?」
カイルが露骨に嫌そうな顔をした。
「俺の店だ!」
周囲から笑い声が上がる。
いつの間にか人だかりは、さっきよりさらに大きくなっていた。
そこで初めて、少し緊張した。
村で料理を作る時、周りにいるのはほとんど知っている人間だった。前世でも家族に食わせることが多く、人前で料理の腕を競うような経験はない。
今は違う。
俺を見ているのは知らない人ばかりだ。
しかも、七歳児が包丁を持って料理勝負をする。
どう考えても目立つ。
「レン君」
ハーゲンが人垣から近づいてきた。
「やめるなら今ですよ」
「やめない」
即答すると、ハーゲンは予想していたらしく肩をすくめた。
「でしょうね。ただし、勝つことばかり考えないことです」
「どういう意味?」
「料理なのでしょう?」
それだけ言うと、ハーゲンは少し離れた。
妙に胸へ残る言葉だった。
勝負なんだから勝ちたい。当然だ。カイルの料理は美味かったし、だからこそ俺の料理の方が美味いと言わせたい。
でも、料理だ。
最後に食べる人間がいる。
そこを忘れて、自分の技術を見せることだけに夢中になったら、料理人ギルドで言われたことと同じになってしまう。
俺は一度息を吐き、肉へ向き直った。
まず問題は硬さだ。
カイルの肉が硬かった最大の原因は火を入れすぎたことだと思う。ただし、本人が言っていたように、この肉は獣臭さが強い。焼く時間を単純に短くすれば、今度は匂いが気になる可能性がある。
なら、先に臭みを取る。
酒と香草。
ただし時間は三十分しかない。漬け込むだけでは足りない。
俺は肉を木台へ置き、包丁の背を使って軽く叩き始めた。
トントン、と乾いた音が続く。
隣で準備していたカイルがこちらを覗き込んだ。
「何やってんだ?」
「肉を柔らかくしてる」
「叩いて?」
「筋を少し壊すんだよ。やりすぎると駄目だけど」
カイルは半信半疑の顔をしていたが、俺の手元をじっと見ていた。
少しだけ得意な気分になる。
こういう時、前世の知識はやっぱり強い。
そう思った直後だった。
カイルは自分の肉へ包丁を入れ始めた。
表面へ浅い切れ目を斜めに入れ、今度は反対側からも切る。格子状に細かな傷がついた。
「それ何してるの?」
今度は俺が尋ねた。
「味が入りやすくなるんだよ。厚い肉だと表面にしか味がつかねえから」
「なるほど」
素直に感心した。
理にかなっている。
俺の知らない技術を、こいつはちゃんと持っている。
少し嬉しくなった。
俺が教えて、カイルが驚くだけではつまらない。こいつには、俺の知らないものをいくつも持っていてほしい。
だから競える。
だから面白い。
俺は叩いた肉へ塩を少量振り、酒と香草を揉み込んだ。さらにラミの実を潰して混ぜる。ただ、そのままでは甘味が強すぎる。
欲しいのは酸味だ。
周囲の露店へ目を走らせると、小さな緑色の果実が積まれているのが見えた。
「あれ、一つ!」
「酸っぱいぞ?」
「それがいい!」
一個買う。
財布を見る。
また金が減った。
ちらりとハーゲンを見ると、離れた場所で額を押さえていた。
今は見なかったことにする。
果実を切って汁を絞り、ラミの実へ加える。舐めてみると、舌がきゅっと縮むほど酸っぱい。
でも悪くない。
甘味、辛味、酸味。
そこへ肉汁が入れば、まとまりそうだ。
次は火だ。
かまどへ薪を入れ、火をつける。
問題は火力調節。
この世界では、薪を足すか減らすかで調整するのが普通だ。俺も最初はそうしていたが、今は魔法がある。
ただ炎を出すのではなく、炎の燃え方そのものを変える。
前世の知識では、火は空気が多ければ強くなり、少なければ弱くなる。
もちろん俺は科学者ではないし、細かい理屈を説明できるわけでもない。それでも、料理をするには十分だった。
風魔法をほんの少しだけ使い、かまどへ入る空気の流れを調節する。炎がゆっくりと小さくなった。
「おい」
カイルが手を止めた。
「今、何した?」
「火を弱くした」
「どうやって?」
「風魔法」
「風で火を弱く?」
カイルが本気で不思議そうな顔をする。
「逆に強くもできるよ」
「そんな使い方、聞いたことねえぞ」
「俺も料理以外で使ってる人は見たことない」
「料理のために魔法覚えたのか?」
「だいたいそんな感じ」
カイルは俺をしばらく見た後、「変な奴」と呟いた。
否定はしない。
鉄板を十分に熱し、肉を置く。
ジュウッ、と心地よい音。
表面へ一気に焼き色をつける。
香ばしい匂いが立ったところで裏返し、もう片面にも焼き色をつけた。
ここから。
火を弱める。
外は香ばしく、中にはゆっくり熱を通す。
焦るな。
前世の俺なら、温度計が欲しいと思ったかもしれない。でも今は、音と匂いと肉の弾力を見る。
七年間。
この世界の道具で料理してきた。
俺は前世の知識だけで料理しているわけじゃない。
この身体で失敗して、覚えたこともちゃんとある。
その事実に、少しだけ自信が持てた。
肉を火から外し、短く休ませる。
その間にソースを作った。
潰したラミの実へ緑の果実の汁と酒を加え、鉄板に残った肉汁を混ぜる。それを弱火で煮詰めていくと、ばらばらだった甘さと辛さ、酸味が少しずつ一つの香りへ変わっていった。
味見。
「……よし」
皿へ肉を置く。
切った断面を確認し、少しだけ不安になる。
火は通っている。
でも前世の衛生観念がある以上、慎重になりすぎるくらいでちょうどいい。
勝負より、食べる人。
ハーゲンの言葉を思い出し、余熱でもう少し熱を通す。
その間にカイルを見る。
彼の料理も完成しかけていた。
同じ肉。
同じラミの実。
なのに、俺とは全然違う。
カイルは肉を少し薄く切り、強めの火で一気に焼いている。香草と塩は控えめ。ラミの実を潰したものを最後に肉へ塗っていた。
ただ、一つ気づいたことがあった。
「カイル」
「何だよ」
「さっきより焼く時間短くしてる?」
一瞬、手が止まる。
「別に」
「俺が硬いって言ったから?」
「うるせえ! 自分の料理やってろ!」
思わず笑ってしまった。
ちゃんと聞いていたらしい。
俺がカイルの技術を見て学んだように、カイルも俺の言葉を取り入れている。
勝負なのに。
相手から学ぶ。
なんだか、それがすごく楽しかった。
「時間だ!」
店主の声。
俺たちはほぼ同時に皿を出した。
人だかりが静かになる。
まず店主がカイルの肉を食べる。
一口。
しばらく噛み、もう一度食べた。
「……さっきより柔らけえな」
カイルの顔が明るくなる。
「だろ!」
「ラミの味もさっきより肉に合ってる。悪くねえ」
次に俺。
店主が肉を切る。
ソースをつけて口へ入れる。
噛む。
何も言わない。
俺の心臓が急にうるさくなった。
これまで村の人たちへ料理を出した時とは違う。
美味しいと言ってほしい。
勝ちたい。
でも、それ以上に。
俺が考えて作ったものが、本当に美味しいのか知りたかった。
店主は二口目を食べた。
今度はソースを多めにつけている。
そして俺を見た。
「坊主」
「はい」
「お前、本当に七歳か?」
「そこ?」
周囲から笑い声が上がった。
店主も笑う。
「俺はこっちだな」
指差したのは。
俺の皿だった。
「肉が柔らかい。それにこのタレがいい。甘いのに重くなくて、食った後にもう一口欲しくなる」
勝った。
その実感が胸の中へゆっくり広がった。
嬉しい。
思っていた以上に。
でも、すぐにカイルの方が気になった。
負けたと言われて怒るだろうか。
見る。
カイルは俺の皿を睨んでいた。
悔しそう。
やっぱり。
そう思った時、カイルが手を伸ばした。
「食わせろ」
「え?」
「お前の料理。食わせろ」
俺は皿を渡す。
カイルが一切れ取って口へ入れた。
すぐには何も言わない。
もう一口。
今度はソースもつける。
「……何でこんな柔らけえんだよ」
「最初に肉を叩いたから。それと火の入れ方」
「途中で弱くしてたやつか」
「そう」
カイルは皿と俺を交互に見た。
悔しそうな顔は消えていない。
でも。
そこに嫌なものはなかった。
「もう一回やるぞ」
「は?」
「次は負けねえ」
思わず笑った。
負けて。
悔しくて。
だからもう一度作る。
その感覚を。
俺は知っている。
前世で、妹に美味しいと言わせたくて。
何度も失敗して。
それでも作った。
「いいよ」
「明日な!」
「明日?」
「魚でやるぞ」
「ちょっと待て。俺の予定も――」
「逃げんのか?」
「逃げねえよ!」
「では逃げましょう」
後ろから襟を掴まれた。
「ぐえっ」
ハーゲンだ。
「宿へ行きます。もう日が暮れます」
「待って! まだ話の途中!」
「あなたは放っておけば夜中まで料理の話をしています」
否定できない。
俺は引きずられるように人だかりから離れていく。
背後からカイルの声が飛んだ。
「レン!」
振り返る。
「次は絶対負けねえからな!」
夕暮れの市場で、カイルが笑っていた。
俺も手を上げる。
「俺も負けないから!」
そのまま歩き出す。
胸の奥が、まだ熱い。
勝ったからだけじゃない。
俺の料理を食べて、悔しがって、もっと美味いものを作ろうとしている奴がいる。
そんな相手ができたことが、何より嬉しかった。
前世でも、この世界でも。
俺はずっと一人で料理を覚えてきた。
でも。
これからは、少し違うのかもしれない。
「レン君」
隣を歩くハーゲンがこちらを見る。
「楽しそうですね」
俺は少しだけ考えた後、素直に頷いた。
「うん。すごく楽しい」
村を出てよかった。
心からそう思った。
ただ、この時の俺はまだ知らなかった。
カイルとの出会いが料理だけで終わらず、やがて俺をこの世界の歴史そのものへ踏み込ませる、最初のきっかけになることを。




