第24話 初めての料理勝負【前半】
「こんなもん、料理じゃねえ!」
赤茶色の髪の少年がそう言い放った瞬間、露店の店主の顔がみるみる赤くなった。
「もう一度言ってみろ、このクソガキ!」
「何度でも言ってやるよ! 肉をそのまま焼いて塩振っただけじゃねえか。こんなの俺でも作れる!」
「だったら作ってみろ!」
「だから作ったんだろ!」
どうやら喧嘩の原因は、少年が店主の料理に文句をつけたことらしい。
俺は東穀の袋を抱えたまま、人だかりの隙間から二人の様子を眺めていた。先ほど感じた香りは、やはり少年の前に置かれた皿から漂っている。
焼いた肉の表面には赤茶色の液体が絡み、細かく刻んだ緑色の香草が散らされている。その隙間には、小さく潰された黄色い果肉のようなものまで見えた。
俺は鼻を動かした。
「……ラミの実?」
ついさっき食べて、辛さに悶絶した果実だ。
偶然かもしれない。だが俺も、あの果実を食べた瞬間、真っ先に肉へ合わせることを考えた。脂の強い肉に甘味と辛味を合わせれば、後味を軽くできるんじゃないかと思ったのだ。
目の前の少年は、俺と同じ発想にたどり着いたらしい。
それだけで胸の奥が妙に落ち着かなくなった。
「レン君」
後ろからハーゲンに肩を掴まれる。
「念のため言っておきますが、関わってはいけませんよ」
「まだ何もしてない」
「今からする顔をしています」
失礼な。
とはいえ、否定はできなかった。俺はもう一度、少年の皿へ視線を戻す。
食べたい。
単純に、そう思った。
美味いかどうかだけじゃない。あのラミの実をどう使ったのか、なぜ香草を合わせたのか。何を考えてあの皿を作ったのか知りたい。
村にいた頃、新しい料理を考えるのはいつも俺だった。みんなは喜んで食べてくれたけれど、俺が知らない料理を誰かが作ってくれることはほとんどなかった。
だからこそ、目の前の皿が気になって仕方がない。
「ちょっとだけ」
「レン君」
「見るだけだから」
「その言葉を信用できないと言っているのです」
ハーゲンの手をするりと抜け、人だかりの中へ入った。
「ちょっと失礼」
「お、おう」
大人たちの間を抜ける。
身体が小さいのも、こういう時だけは便利だ。
近くで見ると、少年は俺が思っていたより細かった。年齢は十歳か十一歳くらいだろう。赤茶色の髪はところどころ跳ね、頬には黒い煤がついている。袖を肘までまくった腕には、小さな火傷の痕もいくつか見えた。
料理をしてできたものだろうか。
そう考えると、ますます興味が湧いた。
「なあ」
気づけば声をかけていた。
少年が振り向く。
「何だよ」
「それ、食べていい?」
少年が黙った。
露店の店主も黙った。
なぜか周囲の大人たちまで黙った。
「……は?」
「その肉。食べてみたい」
「お前、誰だよ」
「レン」
「そうじゃねえよ」
じゃあ何を聞いたんだ。
少年は呆れたように俺を見た後、腰に下げた包丁へ視線を落とした。
「お前も料理すんのか?」
「する」
「何歳?」
「七歳」
「嘘つけ」
「なんでだよ!」
周囲から笑い声が起こった。俺としては何も面白くない。
「七歳のガキがそんな包丁持ち歩くかよ」
「持ち歩いてるだろ、実際」
「親のじゃねえの?」
「俺の!」
なんだこいつ。
初対面なのに妙に腹が立つ。
それでも本気で嫌な感じはしなかった。少年の視線が俺の顔より先に包丁へ向かったことが、少し嬉しかったのかもしれない。普通なら七歳の子供が話しかけてきた時点で追い払うだろう。それなのにこいつは、俺が料理をする人間かどうかを確かめた。
少年は少し考えた後、皿をこちらへ押し出した。
「いいぜ。食ってみろよ」
「いいの?」
「その代わり、ちゃんと感想言え」
その言葉に、俺は少しだけ驚いた。
美味いと言え、ではない。
ちゃんと感想を言え。
「分かった」
木の匙で肉を一切れ取る。
近づけると、香りがさらに分かりやすくなった。やはりラミの実が使われている。それに香草、肉汁、わずかに焦げたような甘い香り。ラミの実は生のまま添えたわけではなく、何かと一緒に火を入れているらしい。
口へ運ぶ。
最初に来たのは肉の強い旨味だった。少し強めの塩味に続いて、ラミの実の甘さが広がる。さらに噛むと、あの独特な辛味が鼻へ抜けた。
「……うまい」
思わず声が出た。
少年の口元が上がる。
「だろ?」
悔しいが、本当に美味い。
この世界へ来てから食べた料理の中では、かなり上位に入ると思う。特にラミの実の使い方がいい。肉の脂を果実の辛味が切ってくれるし、香草も獣臭さをうまく抑えている。
何より、ただ食材を火へ放り込んだ料理じゃない。
こうしたら美味くなる。
その意図が、一口食べただけで伝わってくる。
ただ、一つだけ気になった。
俺はもう一度、肉を噛む。
「肉、硬いな」
少年の笑顔が消えた。
「……あ?」
後ろでハーゲンが小さくため息を吐いた気がした。
でも仕方ない。
ちゃんと感想を言えと言ったのはこいつだ。
「味は好き。でも肉がちょっと硬い。もう少し火を弱くするか、焼く時間を短くした方がいいと思う」
「この焼き方が一番うめえんだよ!」
「いや、硬いって」
「この肉はしっかり焼かねえと臭いが残るんだ!」
「じゃあ、先に臭みを取ればいいじゃん」
「どうやって!」
「香草とか酒とか。酒はある?」
「あるに決まってんだろ!」
「だったら焼く前に漬けてみるとか。酒と香草で臭いを抑えられれば、そこまで焼かなくても――」
そこで少年が黙った。
俺も口を閉じる。
周囲にいた人間も、さっきまでの喧嘩を見る顔とは少し違った表情でこちらを見ていた。
少年の目が細くなる。
「……お前、本当に料理するのか?」
「だから最初からそう言ってるだろ」
「七歳なのに?」
「年齢関係ないだろ」
「あるだろ!」
面倒くさいな、こいつ。
そう思ったのに、気づけば俺は笑っていた。
料理のことで言い返される。自分とは違う考えが返ってくる。それだけのことなのに、妙に楽しい。
村では俺が新しい料理を作れば、みんな驚いてくれたし、美味しいと言ってくれた。それはもちろん嬉しかった。でも、「なんでそうするんだ」「俺ならこうする」なんて、本気で料理について意見をぶつけてくる相手はいなかった。
前世でも同じだ。
料理を始めた理由は、妹だった。
両親が帰ってくるのが遅かったから、本を読んだり動画を見たりしながら一人で覚えた。安い鶏むね肉を何度も焼いて、火を通しすぎて硬くしたこともある。逆に生焼けになって、慌てて焼き直したこともあった。味付けを濃くしすぎて、妹に水を何杯も飲ませたことだってある。
それでも次はどうすれば美味しくなるか考え続けた。
いつも一人で。
だから、料理について誰かと本気で言い合うという経験そのものが、もしかすると二つの人生を通して初めてなのかもしれない。
「何笑ってんだよ」
少年が怪訝そうな顔をする。
「いや。別に」
「気持ち悪い奴だな」
「お前に言われたくない」
「何だと?」
また睨み合う。
けれど、さっきまで店主と少年がしていた喧嘩とは少し違う。少なくとも俺は、本気で腹を立ててはいなかった。
むしろ、このまま話していたかった。
こいつなら俺の知らない料理を知っているかもしれない。俺とは違う方法で、食材を美味しくすることを考えているかもしれない。
そんな相手に、俺の料理を食わせたらどうなるんだろう。
美味いと言うのか。
それとも、まずいと言うのか。
その答えを知りたいと思った。
少年も何か考えていたらしい。俺の腰に下がった包丁をしばらく見つめたあと、口元を吊り上げた。
「じゃあ、お前が作ってみろよ」
待ってました。
「いいよ」
「同じ肉でだぞ」
「いいよ」
「材料もここにあるもんだけだ」
「それでいい」
「後から言い訳すんなよ?」
「そっちこそ、負けても七歳相手だからって言い訳するなよ」
「誰が負けるか!」
露店の店主が目を丸くして俺たちを見比べている。その後ろでは、ようやく追いついてきたハーゲンが額を押さえていた。
「どうして市場を見学していただけなのに、料理勝負になるのです……」
俺にも分からない。
でも、不思議と嫌な気分はしなかった。むしろ楽しい。料理のことで遠慮なく言い合えて、俺の知らない考え方をぶつけてくる相手がいる。それだけで、村を出てよかったとさえ思えた。
少年が拳をこちらへ突き出した。
「俺はカイル。十一歳」
「レン。七歳」
「ベルク一の料理人になる男だ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなった。
料理人。
この世界へ生まれて七年。自分以外の誰かが、その言葉をこんなにも誇らしげに口にするのを、俺は初めて聞いた。
俺も拳を出し、カイルの拳へ軽くぶつける。
「俺も料理人だ」
「七歳が名乗んな!」
「だから年齢関係ないだろ!」
拳を合わせて終わるはずが、結局また言い合いになった。
それでも、悪くない。
たぶん俺も、カイルと同じような顔で笑っていた。
こうして、俺の異世界人生で初めての料理勝負が始まった。




