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神々のいない食卓~日本の消えた異世界で、料理好きの俺は和食を作る~  作者: ちゃむたろう
第三章 町へ――料理人、世界を知る

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第22話 街道飯は、やっぱりまずい

村の姿が完全に見えなくなってから、俺はしばらく馬車の後ろを眺めていた。


別に、今さら寂しくなったわけじゃない。たった数日の旅だ。父さんも母さんもリナも、帰ればいつも通り家にいる。それなのに、山の向こうへ村が消えてしまうと、胸の奥に小さな穴が開いたような感覚が残った。


前世では、こんな風に家を離れることなんてほとんどなかった。旅行に行くような余裕もなかったし、休日は買い物や家事で終わることが多かった。だからだろうか。寂しさとは別に、胸の奥にはどうしようもない高揚感があった。


街道は山と森の間を縫うように続いている。村の周囲とは違う種類の木が生え、時折、見たことのない鳥が枝から枝へ飛び移る。遠くには雪をかぶった山脈が見え、その手前には広大な草原が広がっていた。


ゲームやアニメなら何度も見た景色だ。でも、本物は違う。風は冷たいし、馬車は揺れる。尻も痛い。それでも、画面の向こうでは絶対に感じられなかった土や草の匂いがする。


「すげえ……」


気づけば、何度目か分からない感嘆の声が漏れていた。


「先ほどからそればかりですね」


御者台のハーゲンが笑う。


「だって初めてなんだから仕方ないだろ」


「昨日まで山を見たことがなかったわけでもないでしょう」


「違うんだよ。村から見る山と、村が見えない場所から見る山は」


言ってから、自分でも妙な説明だと思った。けれど、ハーゲンは笑わなかった。


「なるほど。確かにそうかもしれませんね」


そう言って前を向く。俺も再び景色へ目をやった。


広い世界。


以前ハーゲンが言った言葉を思い出す。この道の先に何があるのか。知らない食材はあるだろうか。村では手に入らなかった香辛料もあるかもしれない。海があるなら魚介類も欲しい。牛乳に似たものが普通に売られているなら、バターやチーズだって作れるかもしれない。


「レン君」


「ん?」


「今、何を考えています?」


「料理」


「でしょうね」


即答された。


「なんで分かった」


「顔に出ています」


「どんな顔だよ」


「商人が金貨の山を見つけた時と同じ顔です」


それは相当だな。でも否定できない。俺にとって未知の食材は、それくらい価値がある。


そんなことを考えながら馬車に揺られていたが、旅というものは当然、景色を眺めているだけでは終わらない。


昼を少し過ぎた頃、俺たちは街道沿いにある小さな休憩所へ入った。石と木で造られた簡素な建物で、軒先には何頭かの馬が繋がれている。中には旅人や商人らしい人々が十人ほどいて、酒を飲んだり、何かを食べたりしていた。


そして俺は、ここで旅の現実を知ることになる。


「……硬っ」


出されたパンを一口噛んだ瞬間、顎に鈍い衝撃が走った。もう一度噛んでみるが、やっぱり硬い。とにかく硬い。


「これ、パンだよな?」


「何に見えるのです?」


「建材」


「食べ物です」


ハーゲンは平然と同じパンを噛んでいる。


信じられない。前世で食べたフランスパンだって、ここまで硬くなかった。これなら魔物に襲われても武器として使えるんじゃないだろうか。


俺がパンを睨んでいると、ハーゲンが木椀を指した。


「旅人用の保存パンですよ。そのまま食べるものではありません。スープへ浸すのです」


「なるほど」


それなら話は変わる。


目の前には豆と干し肉が入った薄茶色のスープがある。俺はパンを浸し、十分に汁を吸わせてから口へ運んだ。


確かに柔らかくなった。


だが。


「…………」


今度は別の問題が発生した。


味がない。


いや、正確には味はある。塩だ。


猛烈に塩辛い干し肉の味と、豆の味と、水。それぞれは確かに存在している。でも、料理として一つになっていない。


「どうしました?」


「いや……」


俺はもう一口食べてみる。


まずい、というほどではない。腹は膨れるし、旅の途中で保存できる食材を使うなら合理的でもある。それでも――もったいない。その感情が一番近かった。


肉から旨味が出ている。豆にも甘味がある。少し工夫するだけで、もっと美味くなるはずなのに。


俺は三口目を食べたところで匙を置いた。


「ハーゲン」


「嫌な予感がしますね」


「厨房借りていい?」


「やはり」


ハーゲンが深いため息を吐いた。


「まだ食事を始めて数分ですよ」


「三口も我慢した」


「それを我慢と言うのですか?」


言う。俺にとっては。


休憩所の主人へ頼み込み、厨房を見せてもらった。食材は予想通り多くない。干し肉。豆。人参に似た白い根菜。それから香りの強い野草が数種類。


でも、十分だ。


まず干し肉を薄く切って水へ浸す。旅用の肉は保存のため塩が強い。このまま煮れば、当然汁まで塩辛くなる。


俺が肉を取り出した後の水を残していると、主人が不思議そうに覗き込んだ。


「その水、捨てないのか?」


「使います」


「肉を洗った水だぞ?」


なるほど。そういう認識なのか。


「ちょっと飲んでみて」


「は?」


「いいから」


主人は露骨に嫌そうな顔をしたが、少量を匙ですくった。


「……しょっぱいな」


「他には?」


「他?」


主人はもう一口、今度は考えながら飲んだ。


「ああ……肉の味もするな」


「それを使う」


肉から水へ移った味。出汁。


もちろん、こんな簡単なものを日本料理の出汁と同列に語るつもりはない。でも、「食材から出た味を捨てずに利用する」という発想だけでも、料理はかなり変わる。


鍋へ少量の獣脂を落とし、細かく刻んだ根菜を炒める。ジュウッ、と心地よい音が響き、水分が飛ぶにつれて甘い香りが立ち始めた。


「煮ないのか?」


「後で煮る。でも先に炒める」


「何のために?」


「美味くするため」


「説明になってないぞ」


確かに。


俺自身、前世では「こうした方が美味しい」と経験で覚えたことも多い。科学的に全部説明しろと言われたら困る。


でも、それでいいと思っている。料理は理屈だけじゃない。音や匂い、色の変化。そういうものを見ていれば、食材の方から今どうしてほしいのかを教えてくれる。


炒めた根菜へ豆と肉を加え、さっきの水を注ぐ。香草は匂いを確認しながら少量だけ入れた。


ぐつぐつと煮立ってきたところで火を弱める。


「そんな弱い火でいいのか?」


「いい。急がないから」


しばらくすると、旅人たちが一人、また一人と厨房を覗き始めた。どうやら匂いにつられたらしい。


俺は少しだけ嬉しくなった。


料理を作っている時、この瞬間が好きだ。まだ完成していないのに、誰かが匂いを嗅いで「何を作っているんだろう」と興味を持ってくれる。その期待を裏切りたくないと思うから、自然と手にも力が入る。


味を見る。


塩はもう十分。豆は柔らかくなり、根菜からはしっかりと甘味が出ている。


「よし」


完成だ。


主人へ一杯渡すと、男は恐る恐る口へ運んだ。二口目を飲む頃には、その眉がはっきりと上がっている。


「……同じ材料だよな?」


「ほぼ」


「何を入れた?」


「だから同じだって」


そのやり取りを聞いていた旅人が声を上げた。


「俺にも一杯くれ!」


「いや、俺の店じゃないから!」


結局、なぜか俺が作ったスープがその日の追加商品になった。


「うまい!」


「さっきの汁よりずっといいな」


「この野菜、こんなに甘かったのか?」


あちこちから声が上がる。


嬉しい。


やっぱり、誰かが美味そうに食べる顔を見るのは好きだ。


ただ、その光景を眺めながら、俺はふと気づいた。


村ではもう、俺の料理を疑う人間は少ない。弱火、出汁、下処理。最初は変なことをする子供だと思われていた。でも七年も続けていれば、それが少しずつ当たり前になっていく。


外では違う。


俺にとっての当たり前が、誰かにとってはまだ新しい。


その事実に、胸が少し高鳴った。


俺はこの世界で、まだまだ料理ができる。


休憩所を出る前、軒先の露店で見たことのない果実を見つけた。


拳くらいの大きさで、皮は紫色。割ったものを見ると、中は鮮やかな黄色をしている。


「これ何?」


「ラミの実ですね」


ハーゲンが答える。


「食える?」


「もちろん」


一切れもらって口へ運ぶ。


最初に感じたのは強い甘味だった。かなり甘い。果汁も多く、どことなく前世のマンゴーを思い出す。


これは普通に美味い――そう思った次の瞬間。


「っ!? からっ!」


喉と鼻が一気に熱くなった。


周囲から笑い声が上がる。甘いのに辛い。しかも唐辛子とは違って、舌よりも鼻の奥へ抜けるような鋭い刺激がある。


「水! 水!」


ハーゲンが笑いながら水筒を渡してきた。


「知らなかったのですか?」


「知るわけないだろ!」


水を飲み、ようやく息をつく。


それでも俺は、もう一切れ手に取った。


「まだ食べるのですか?」


「確認」


今度はゆっくり噛んでみる。


最初は甘味。次に果実らしい香りが広がり、その後を追うように辛味がやってくる。果汁も多い。


――これ、肉に合うんじゃないか?


特に脂の多い肉。果実の甘味と辛味で脂っぽさを切れれば、かなり面白い味になる気がする。潰して煮詰めればソースにもできそうだ。


「……ソース」


「はい?」


「これ、肉に合わせたら美味いかも」


ハーゲンが呆れた顔をする。


「辛いと泣いていた人間が、もう料理のことを考えているのですか?」


俺は笑った。


「だって面白いじゃん」


そう口にしてから、ふと気づいた。


俺はこの世界へ来てから、どこかで自分が「教える側」だと思っていた。


料理文化の発達していない世界。前世の知識を持っている俺。だから俺が料理を教える。俺が新しい調理法を作り、俺がこの世界の食文化を変えていく。


でも、違うのかもしれない。


俺の知らない食材がある。知らない味がある。なら、俺の知らない料理だってきっとある。


俺はこの世界に料理を教えるだけじゃない。


この世界から、料理を教わることだってできる。


そう思った瞬間、目の前に伸びる街道が、さっきまでよりずっと広く見えた。


夕方。


長い坂道を上り、馬車が丘の頂上へ差しかかったところで、ハーゲンが前方を指差した。


「レン君。見えてきましたよ」


俺は荷台から身を乗り出す。


遠くに巨大な石壁が見えた。


その向こうには、無数の屋根が並んでいる。煙突から煙が立ち上り、何本もの尖塔が夕暮れの空へ伸びていた。村とは比べものにならない。遠くから見ているだけなのに、そこに何千、何万という人間が暮らしていることが伝わってくる。


「……あれが」


「交易都市ベルクです」


胸が高鳴った。


知らない食材。知らない料理。知らない人々。この世界へ転生して七年。ようやく俺は、自分の村の外にある本当の意味での「世界」へ足を踏み入れる。


どんな市場があるんだろう。


どんな料理が食べられているんだろう。


もしかしたら、日本の料理に近いものだって――。


そこまで考えた時だった。


町の中央に、一際高い建物が見えた。


その屋根の上には、夕陽を反射して銀色に輝く巨大な樹が立っている。


聖樹。


そして、その周囲を二羽の黒い鴉がゆっくりと旋回していた。


胸の高鳴りが、一瞬だけ別のものへ変わった。


俺は無意識に腰の包丁へ手を添える。


「……また、鴉か」


風の音に消えてしまいそうな、小さな声だった。


それでも。


二羽のうち一羽が旋回をやめた。


遠すぎて、こちらを見ているはずなどない。


そう思ったのに。


なぜか俺には、その鴉と目が合ったような気がした。


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