第16話 神官見習いは、神様を信じられない
エルナが家に来なくなった。
三日。
四日。
五日。
毎日のように夕飯を食べに来ていたのに。
「エルナおねーちゃん、こないね」
リナが寂しそうに言う。
「神殿忙しいんじゃない?」
そう答えながら、俺にも理由は分かっていた。
聖印。
俺の料理を食べるたび、彼女の聖樹の紋章は黒くなっていった。
そして日本という言葉を口にした日、神殿そのものが壊れた。
さすがに気まずい。
俺は夕方、神殿へ行った。
エルナは裏手の階段に座っていた。
「よ」
「……レン」
隣へ座る。
しばらく無言。
俺は持ってきた包みを渡した。
「何です?」
「燻製肉入りパン」
「私は今、食欲が――」
ぐう。
「身体は正直だな」
「うるさいです!」
結局食べる。
しばらくしてエルナが言った。
「美味しいです」
「そりゃどうも」
「腹が立つくらい」
知らんがな。
彼女はパンを見つめる。
「私は、小さい頃から神殿で育ちました」
両親を病気で亡くしたらしい。
神殿に引き取られた。
「神々は私たちを見守ってくださる。正しく生きれば導いてくださる。そう教わりました」
「うん」
「でも……」
聖印を握る。
「あなたが日本という言葉を口にしただけで、神殿は壊れた」
声が震えている。
「それを神官長は『邪悪な力』だと言いました」
「俺が邪悪?」
「そうです」
「ひどくない?」
「私もそう思いました!」
初めてエルナが声を荒げた。
「リナを助けるために料理をした。それの何が邪悪なんですか!」
俺は黙る。
「魔物肉を美味しくした。冬の食料を増やした。村の人が笑った。それが神々に逆らうことだというなら……」
エルナは俯いた。
「私は、何を信じればいいんですか?」
七歳児に聞くなよ。
そう思った。
でも。
俺は前世を思い出す。
神社の家に生まれた。
じいちゃんは神様の話をよくした。
だけど、俺は熱心に信仰していたわけじゃない。
むしろ祭りの日に出る飯の方が楽しみだった。
「別に、今決めなくてもいいんじゃない?」
「え?」
「分かんないなら、分かんないままで」
エルナが俺を見る。
「神様が正しいか、人間が正しいかなんて俺も知らない。でも」
残ったパンを指す。
「美味いものは美味い」
「……それだけですか?」
「大事だぞ」
エルナが吹き出した。
「本当にあなたは……」
その瞬間。
彼女の聖印にひびが入った。
ぱきん。
銀の飾りが二つに割れ、地面へ落ちる。
二人で固まる。
「俺、何もしてないよ?」
「分かっています」
割れた聖印の下。
エルナの胸元に淡い光が浮かんだ。
それは聖樹ではない。
丸い鏡のような形。
リナに現れたものと同じ。
エルナが震える指で触れる。
「……温かい」
そして。
どこからともなく、女の声が聞こえた。
『食を分かつ者よ』
俺とエルナは同時に立ち上がった。
「聞こえた?」
「はい」
『まだ――名を呼ぶな』
それだけ。
声は消えた。
俺たちは顔を見合わせる。
俺には。
その声が誰なのか。
なぜか少しだけ、分かった気がした。




