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神々のいない食卓~日本の消えた異世界で、料理好きの俺は和食を作る~  作者: ちゃむたろう
第十一章 名を呼べば、神は帰る

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110/111

第110話 神様は、噂でも増える

コハク村を出て王都へ戻る途中、俺はずっと一つのことを考えていた。


あの白い狐に、名前をつけなくてよかったと思う。


ただ同時に。


俺が名前を言わなかったところで、いつか誰かが気づく可能性はある。


赤い門。


狐。


米。


揚げた豆腐。


昔の資料を知っている人間が見れば、俺と同じ連想をするかもしれない。


そして一人が名前を言う。


隣の人へ伝える。


さらにその隣へ。


神様は。


そうやって戻ることもあるんじゃないか。


「噂みたいに?」


馬車の中で話すと、フィアが言った。


「そう。誰かが一人で百人に教えなくてもいい。一人が二人に話して、その二人がまた別の人に話したら、どんどん増える」


レオルが紙を出した。


「増え方を考えたいのか?」


「正確な計算は分からないけど、広がり方なら」


前世で聞いた感染症や情報拡散の話を思い出す。


一人から何人へ伝わるか。


どこで止まるか。


人が集まる場所はどこか。


俺は専門家じゃない。でも、全員へ直接伝える必要がなくても、条件次第で情報は一気に広がる。その考え方くらいなら使える。


フィアがすぐ反応した。


「市場だ」


「やっぱり?」


「あと宿。港。大きな食堂。人が入れ替わる場所ほど話が外へ出る」


ナギも加わる。


「祭りも。年に一回でも、近くの村から人来るよ」


レオルが地図へ点を打ち始めた。


市場。


港。


街道宿。


祭礼地。


学院。


大きな神殿。


俺は地図を見て。


少し嫌な気分になった。


「これ、旧神話災害対策局も分かってたんじゃないか?」


王都へ戻ると、すぐセヴァンに聞いた。


彼は少し黙った後、通常書庫ではなく、管理資料の棚から一冊の薄い冊子を出した。


**『口伝拡散警戒要領』**


あった。


「……やっぱり」


九十年も前。


ヴァル・ヘイムたちは。


神名が書物だけから広がるのではないと理解していた。


文書には、危険な神名が見つかった場合の対処が細かく書かれていた。


石碑を封じる。


祭具を移す。


古い歌詞を改める。


そこまでは分かる。


でも。


その先。


**『市場、宿場、船着場における口頭伝播を警戒せよ。』**


俺たちは顔を見合わせた。


フィアが小さく言う。


「同じだ」


もっと読む。


**『一名が知る名は記録なり。十名が知る名は噂なり。百名が同じ物語と共に語る時、それは再び信仰となり得る。』**


ぞくっとした。


「数そのものに魔術的な境界があるわけではありません」


セヴァンが言う。


「当時の目安でしょう」


「でも考え方は同じ」


レオルが答えた。


一人の記憶。


複数人の噂。


大勢が共有する物語。


そして。


習慣。


祭り。


文化。


段階がある。


神様は突然復活するんじゃない。


人間の中で。


少しずつ。


濃くなる。


さらに文書には、過去の失敗例があった。


山間の小さな集落。


最初は。


一人の老人だけが古い神名を覚えていた。


何も起きなかった。


その老人が酒場で話した。


五人ほどが覚えた。


まだ何もない。


数か月後。


面白い昔話として旅商人が別の村へ持っていった。


そこで子供向けの歌になった。


さらに半年。


三つの村へ広がる。


そして。


収穫祭で、その歌が歌われた。


神格反応。


発生。


「祭りで急に?」


ナギが聞く。


「急に見えるだけだと思う」


俺は答えた。


老人。


酒場。


旅商人。


子供の歌。


三つの村。


そこまでに。


何度も根を伸ばしていた。


最後に。


祭りで一気につながった。


レオルが地図を広げる。


「なら、危険度を見る時に人数だけ数えても駄目だ」


「つながり方だよ」


俺は言う。


「同じ百人でも、一つの村に百人いるのと、十の街道町に十人ずついるのでは意味が違う」


フィアの目が鋭くなった。


「後者の方が広げやすい」


「うん」


彼女はすぐ、商会で使う物流図を持ってこさせた。


街道。


水路。


宿。


市場。


週市。


季節市。


人の流れ。


そこへ。


旧資料で見つかった日本由来らしい習慣の分布を重ねる。


すると。


見えた。


「……これ」


サヨが指す。


東方由来の習慣は。


ばらばらに残っているわけじゃない。


昔の日ノ本交易路。


そこに沿って。


帯みたいに残っている。


港から。


宿場へ。


市場へ。


内陸へ。


料理。


言葉。


門。


祭り。


何十年。


何百年。


人の移動と一緒に。


流れている。


「文化の道だ」


俺は呟いた。


国が消えても。


貿易路が消えても。


一度渡ったものは。


人間が運ぶ。


俺がコハク村で名前を言わなくても。


どこか別の村には、まだ名前そのものが残っているかもしれない。


そして。


道が再びつながれば。


離れていた断片同士も。


出会う。


その時。


神は。


もっとはっきりした形を取り戻す。


セヴァンが表情を曇らせた。


「だから、旧対策局は交易路単位で資料を処理したのでしょう」


「村ごとじゃなく?」


「はい。危険な記憶が人の流れに乗るなら、人の流れを見なければならない」


フィアが資料を読む。


「でも完全には止められてない」


その通りだった。


むすび。


ミソ。


米。


祭守。


コハク村の習慣。


残っている。


なぜ?


セヴァンは答えなかった。


代わりに。


文書の最後の頁を開いた。


ヴァル・ヘイムの手書き。


**『根を断つには、人の往来を断たねばならぬ。』**


次。


**『人の往来を断つには、暮らしを壊さねばならぬ。』**


そして。


その下。


筆圧が。


少しだけ強い。


**『そこまでして守る世界を、守ったと言えるのか。』**


俺は。


その一文から目を離せなかった。


ヴァル・ヘイムは。


最初から全部を平然と消していたわけじゃない。


途中で。


気づいた?


神を戻さないために文化を消す。


文化を消すために人の交流まで止める。


交流を止めれば。


商売が死ぬ。


婚姻が減る。


技術が渡らない。


食べ物も。


物語も。


人も。


動かなくなる。


それは。


世界を守るために。


人間の世界を殺すことになる。


フィアが、しばらくしてから言った。


「商売を止めれば、噂も止まる」


「うん」


「でも、薬も止まる。食料も止まる。困ってる村へ物が届かなくなる」


レオルも言う。


「知識もな」


俺は。


学院で作った記録の仕組みを思い出した。


一か所だけに置かない。


複数人で持つ。


別々の場所へ写す。


消そうとする側から見れば。


最悪だ。


でも。


文化を生かす側から見れば。


最高にしぶとい。


そこで。


俺はようやく気づいた。


「俺が今までやってきたこと」


みんなが見る。


「神様を戻す方法としても、最悪なくらい相性いい」


料理を教える。


レシピを書く。


店へ渡す。


学院で共有する。


商人が運ぶ。


安くして広げる。


誰でも再現できるようにする。


俺は。


文化を。


広がりやすく。


消えにくく。


ずっと改良してきた。


自分では。


ただ料理を残したかった。


便利にしたかった。


誰か一人しか作れないものにしたくなかった。


でも。


神々から見れば。


俺は。


道を舗装していた。


フィアが。


俺の顔を見て言う。


「今さら全部やめる?」


答えは。


すぐ出た。


「やめない」


怖い。


神が戻る。


戦争が起きるかもしれない。


それでも。


人間同士が知識を共有することまで。


止めるのは違う。


ヴァル・ヘイムも。


たぶん。


そこへ辿り着いた。


「じゃあ、何を止める?」


サヨが聞いた。


俺は少し考える。


「知らずに危険なものを復元すること」


祭壇を勝手に直した俺みたいに。


「それと?」


「神様だからって、全部言うこと聞くこと」


危険な神はいる。


「それから」


俺は地図を見る。


人の道。


文化の道。


神へつながる道。


「知ること自体は、止めない」


隠すだけでは。


また誰かが偶然見つける。


知らないまま再現する。


それが一番危ない。


だったら。


知って。


危険も。


使い方も。


残した方がいい。


その日の夕食。


俺たちは史料庁の大食堂で食べた。


いつの間にか。


食堂の片隅に。


ミソを使った豆汁が出るようになっていた。


「誰が教えたの?」


俺が驚くと。


料理人が言う。


「東から来た職員が作っててな。美味かったから教えてもらった」


「その人は?」


「商人の宿で覚えたって」


俺はフィアを見る。


フィアも俺を見る。


もう。


分からない。


どこから。


誰へ。


どう伝わったのか。


でも。


汁は。


ここにある。


俺は一口飲んだ。


少し塩辛い。


俺ならもう少し薄くする。


でも。


これは。


俺のミソ汁じゃない。


この食堂の味だ。


それでいい。


たぶん。


文化って。


そういうものだ。


誰か一人が。


握っていられるものじゃない。


そして。


神様も。


人間が文化を渡し合う速度までは。


止められない。


俺は。


少しだけ笑った。


神々の戦争より。


人間の口コミの方が。


案外。


ずっとしぶといのかもしれなかった。


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