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神々のいない食卓~日本の消えた異世界で、料理好きの俺は和食を作る~  作者: ちゃむたろう
第十一章 名を呼べば、神は帰る

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第109話 その神様に、俺が名前をつけていいのか

翌朝。


昨日、白い狐が消えた赤い門の前には、何も残っていなかった。


足跡もない。魔力反応も、レオルの測定石が拾えるほどではない。ただ、門の向こうに置かれた最初の一椀だけが空になっていた。


「狐が食べたのかな」


ナギが覗き込む。


「普通の狐かもしれない」


「尻尾光ってたけど?」


「光る普通の狐が、この世界に絶対いないとは言い切れない」


「レンが急に慎重になりすぎて面倒」


ひどい。


でも、慎重になる理由はあった。


昨夜、俺はあの白い狐を見た瞬間、一つの名前を思い浮かべていた。


赤い門。


米。


狐。


油で揚げた豆腐。


豊作。


前世の日本人なら、同じ名前を連想する人は多いと思う。


だからこそ。


口に出せなかった。


名前は道になる。


意味を知った人間が呼べば、神へ届く。


しかもこの村には、名前以外の道がもう揃っている。


ここで俺が一言。


「その神様は○○だ」


と言ってしまったら。


何が起きる?


昨日まで「昔からこうするもの」だった習慣が、一夜で特定の神への信仰へ変わるかもしれない。


俺は、それをする権利があるのか。


朝飯の後、村で一番年長だという老婆に話を聞いた。


八十を越えているらしいが、背筋は曲がっていても声は強い。


「赤い門? わしの爺さんの頃にもあったよ」


「その時から、誰のための門か分からなかった?」


「知らんなあ」


「狐は?」


「田んぼの鼠を食うから追うな、とは言われた」


実用的だった。


神聖だからではない。


鼠を食うから。


「最初の米を外へ置くのは?」


「先の人に食べてもらう」


「その『先の人』って?」


老婆は笑った。


「だから知らんよ」


強い。


百年以上残っているのに、説明がほぼ全部なくなっている。


でも。


なくなっていない。


サヨが尋ねる。


「昔、この村に神殿や祭壇があったという話は?」


「神殿はないな。小屋ならあった」


全員の顔が上がった。


「どこに?」


老婆が指したのは。


村外れ。


田んぼと林の境目だった。


行ってみると、小屋はもうなかった。


あるのは基礎石だけ。


四角く並んだ石。


中央に一つ。


そして。


少し離れて。


壊れた石柱。


俺たちは触らずに調べた。


レオルが寸法を測る。


サヨが石の配置を写す。


フィアは、昔の村道と現在の道の違いを村人から聞いていた。


ナギは。


なぜか近くの畑のおじさんと稲の話をしている。


「ここの田んぼ、水抜くの早くない?」


「この辺は土が重いからな。ずっと張ってると根が弱る」


「去年は?」


「雨が多かったからもっと早く落とした」


また俺より詳しい人がいる。


当然だけど。


農業は。


料理人が米を見ただけで分かるほど簡単じゃない。


俺が石を見ていると、フィアが戻ってきた。


「面白いこと分かった」


「何?」


「昔、この場所は村の中心じゃなかった」


古い水路。


田んぼ。


道。


それを村人の記憶からつなぐ。


フィアが地面へ簡単な図を描く。


「ここ、昔は田んぼへ入る道の分岐だったみたい。つまり小屋は、村を守る場所というより」


「田んぼを見る場所?」


「たぶん」


サヨが石の配置を見て言った。


「豊穣に関わる祭祀だった可能性は高いですね」


でも。


まだ。


名前はない。


しばらくして。


石柱の裏側に。


レオルが削られた跡を見つけた。


文字があった。


意図的に消されている。


九十年前?


根のない樹?


一瞬そう思ったが。


「違う」


セヴァンから借りた削除事例の写しと比べたレオルが言う。


「工具痕が新しい。せいぜい五十年ほど前だ」


「じゃあ旧神話災害対策局じゃない?」


「少なくとも最初の削除ではない」


村人に聞く。


すると。


意外な答えが返ってきた。


「ああ、それなら爺さんたちが削ったらしいぞ」


「なんで!?」


思わず声が大きくなった。


農家のおじさんが肩をすくめる。


「何て書いてあるか誰も読めなくなってたから、子供が真似して変な字を書くと縁起が悪いって」


そんな理由?


神話弾圧でも。


秘密組織でも。


ない。


意味が分からなくなったから。


消した。


文化って。


こういう消え方もするのか。


誰かに奪われなくても。


意味が届かなくなれば。


普通に薄れていく。


その日の昼。


村の人たちが俺たちへ飯を出してくれた。


米。


豆腐。


山菜。


川魚。


例の揚げ豆腐もある。


老婆が俺の隣へ座った。


そして。


唐突に聞いた。


「お前さん、知ってるんだろ?」


箸が止まる。


「何を?」


「あの門のこと」


俺は答えられなかった。


「昨日から見てりゃ分かる。門見た時、お前さんだけ顔が違った」


鋭い。


年寄りを侮ってはいけない。


「昔の国のことを調べてるんだろ?」


「……はい」


「じゃあ、あそこにいたのは何の神様だ?」


空気が変わった。


フィアも。


サヨも。


レオルも。


黙った。


俺が言えば。


名前が戻る。


たった一言で。


この村の人たちは。


明日から最初の米を置く時。


その名前を思うかもしれない。


赤い門を見るたび。


狐を見るたび。


揚げ豆腐を食べるたび。


意味が結びつく。


神への根が。


一気に太くなる。


昔の俺なら。


嬉しくて教えていたかもしれない。


日本が残っていた。


神様も残っていた。


なら名前を取り戻そう。


でも今は。


それが。


怖い。


「似た神様を」


俺は慎重に言った。


「俺は知っています」


老婆が目を細める。


「同じじゃないのか?」


「分かりません」


正直に答えた。


「赤い門も、狐も、米も。俺が知ってるものと似てます。でも、この村で百年以上続いてきたものが、俺の知ってる神様と完全に同じだって証拠はない」


老婆は黙って聞く。


「それに」


俺は続けた。


「名前を教えたら、たぶん……今までと同じではいられません」


村人たちも聞いている。


変な話だと思われるかもしれない。


それでも。


「今は、誰か分からない『先の人』に最初の飯を置いてる。でも名前が分かったら、その神様のために置くようになる。やることが同じでも、意味が変わる」


サヨが静かに頷いた。


俺は老婆を見る。


「だから、俺が勝手に決めたくないんです」


長い沈黙。


そして。


老婆は。


揚げ豆腐を一つ食べた。


「じゃあ、分かるまで今まで通りでいい」


軽い。


「いいんですか?」


「百年分からなかったんだろ。あと一年や二年増えて何が変わる」


強い。


本当に。


俺よりずっと強い。


ナギが笑いを堪えている。


フィアも。


「何だよ」


「レン、神様の名前を取り戻す旅してたのに」


「うん」


「今は、名前を戻さない方を選ぶんだね」


そうだった。


でも。


矛盾しているとは思わなかった。


取り戻すことと。


急いで元へ戻すことは。


違う。


夕方。


俺たちはもう一度赤い門へ行った。


白い狐は。


いなかった。


俺は門の前で。


何も言わない。


名前も。


知っている神話も。


ただ。


村の田んぼを見る。


稲が揺れている。


人が働いている。


子供が走っている。


夕飯の煙が。


家々から上がっている。


ここには。


もう。


この村の百年がある。


もし。


昔の日本から何かが流れ着いていたとしても。


今は。


それだけじゃない。


ヒムカの土地で。


ヒムカの人たちが。


自分たちのやり方で残した。


その時間まで無視して。


「本当はこうだった」


と俺が上書きするのは。


違う。


日本を取り戻す。


その言葉の意味が。


少しずつ。


変わってきていた。


消えたものを。


昔と同じ形に戻すことじゃない。


今まで残った形も。


その途中で変わったものも。


全部含めて。


つなぎ直す。


たぶん。


その方が。


ずっと難しい。


帰ろうとした時。


赤い門の向こう。


一瞬だけ。


白い尾が見えた。


俺は止まる。


狐は。


こちらを振り向かない。


ただ。


田んぼの方へ歩いていく。


そして。


頭の奥へ。


ほんの小さな声が落ちた。


**『それでよい』**


俺は目を見開いた。


声の主が。


俺の知っている神なのか。


この村で別の形になった何かなのか。


まだ。


分からない。


だから。


名前は呼ばなかった。


ただ。


「またな」


それだけ言った。


白い尾は一度だけ揺れて。


青い稲の中へ。


消えていった。


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