第11話 天照大御神なんて、知らないことにした
「天照大御神」
石板に刻まれた四文字を見た瞬間、俺は呼吸を忘れた。
読める。
間違いなく日本語だ。
しかも、よりによって天照大御神。
日本神話の中でも俺ですら知っているほど有名な神様。
「レン?」
父さんが俺の肩を掴んだ。
「これが読めるのか?」
「……いや」
反射的に嘘をついた。
父さんの顔を見る。
母さん。
リナ。
エルナ。
そしてヴァルド。
ヴァルドだけは俺の嘘を見抜いたらしい。
「そうか。読めないか」
わざとらしく言うと、石板の前へ立った。
「なら全員、今見たものを忘れろ」
神官たちが騒ぎ出した。
「何を言う! これは神殿の地下から出た遺物だぞ!」
「だからだ」
ヴァルドの声が低くなる。
「聖樹像が割れ、その下から未知の文字が出た。中央神殿が知れば、この村は丸ごと調査対象になる」
「それの何が――」
「住民全員の記憶を調べられてもか?」
静まり返った。
記憶を調べる。
そんな魔法まであるのか。
俺は無意識にリナを見る。
もし俺の記憶を見られたら。
日本。
東京。
テレビ。
学校。
料理。
そして神社。
全部ばれる。
「石板は俺が預かる」
ヴァルドが言う。
俺は思わず声を上げた。
「待って!」
全員がこちらを見る。
まずい。
「……どうした?」
「いや、その……村のものなんじゃないの?」
ヴァルドが目を細めた。
「そうだな。なら封印しておく」
彼は石板を布で包み、地下の穴へ戻した。
その夜。
家族が寝静まった後、窓が二度叩かれた。
開けるとヴァルドがいた。
「七歳児を夜中に呼び出すなよ」
「七歳児らしく寝ているならな」
家の裏へ移動する。
「読めたな?」
「……うん」
もう誤魔化せない。
「天照大御神って書いてあった」
ヴァルドは目を閉じた。
驚いていない。
「知ってたの?」
「文字は読めん。だが、あれが何の名なのかは知っている」
俺の心臓が跳ねる。
「じゃあ教えてよ。日本に何があった?」
「今のお前には早い」
「そればっかりだな!」
腹が立った。
俺は突然ここへ来た。
前世の家族がどうなったのかも知らない。
日本そのものが消されたと言われた。
そのくせ、答えは教えない。
「俺には知る権利があるだろ!」
「知れば狙われる」
「もう狙われてる!」
ヴァルドが黙った。
俺も息を切らす。
やがて彼は言った。
「……一つだけ教えてやる」
「何?」
「石板は、日本が消されるより前のものではない」
意味が分からなかった。
「じゃあ、いつ作られたの?」
「日本が消された――後だ」
ぞくり。
「そんなのおかしいだろ」
「ああ」
ヴァルドは夜空を見上げた。
「だから俺も探している」
「何を?」
「消されたはずの国を、誰がこの世界に残そうとしたのか」
風が吹く。
そしてヴァルドは俺を見る。
「レン。料理をやめる気はあるか?」
「ない」
即答した。
「そう言うと思った」
「なんで料理まで?」
「分からん。ただ、お前が料理を作るたび、古いものが目を覚ましている」
俺は黙った。
料理をやめる。
そんな選択肢はない。
リナが美味しいと笑った。
父さんも母さんも喜んだ。
それだけで十分だ。
「なら覚えておけ」
ヴァルドが言う。
「お前が鍋で煮込んでいるのは、肉と野菜だけじゃない」
「……?」
「この世界が忘れた何かまで、一緒に煮起こしているのかもしれん」
意味の分からない忠告を残し、彼は去った。
俺は家へ戻る。
台所には昨日の粥が残っていた。
一口食べる。
普通の味だ。
神を蘇らせるようなものには到底思えない。
「……料理なんだけどな」
誰に言うでもなく呟いた。
だけど。
もう俺自身も。
本当にそれだけなのか、自信がなくなっていた。
第2章開始です。




