第10話 消された日本と、天照大御神
村の神殿へ走った。
中央には大きな聖樹の像がある。
いや。
あった。
今は真っ二つに割れている。
「何が起きた?」
父さんが息を切らす。
神官たちも分からないらしい。
エルナだけが俺を見ていた。
「レン。もう一度聞きます」
「何を?」
「先ほど、何をしました?」
「だから粥を――」
「その前です!」
俺は黙った。
思い当たることは一つ。
日本。
その名前を口にした。
でも、それだけだ。
国の名前を言っただけで神殿が壊れる?
そんな馬鹿な。
「ニホン」
試しに呟いた。
バキッ。
「うおっ!?」
聖樹像に新しい亀裂が走った。
神官たちが悲鳴を上げる。
俺も悲鳴を上げたい。
「ちょっと待て!」
何だこれ!
俺、何もしてないぞ!
魔力も使ってない。
エルナが青ざめている。
「その言葉……どこで知ったのです?」
「……じいちゃんから」
「祖父?」
「いや、こっちじゃなくて……」
まずい。
説明できない。
すると。
「そこまでにしてもらおう」
聞き覚えのある声。
神殿の入口。
あの男が立っていた。
肉串を買った旅人。
世界地図を見せた男。
「やっぱり、あなた……」
「久しぶりだな、肉串の小僧」
男は笑った。
「名乗ってなかったな。俺はヴァルド」
そしてエルナを見る。
「その子から離れろ」
「なぜです?」
「死にたくなければな」
空気が変わった。
父さんが俺の前へ出る。
「どういう意味だ」
「この子は今、この世界で最も口にしてはいけない言葉を口にした」
ヴァルドは俺を見る。
「日本」
また。
ミシッ。
聖樹像が軋む。
「なぜ……」
エルナが呟く。
「なぜあなたまで、その言葉を?」
「知っているからだ」
「何なのです、日本とは!」
沈黙。
ヴァルドはしばらく俺を見つめた。
そして答えた。
「消された国だ」
心臓が跳ねた。
「消された?」
「そうだ」
「滅びたんじゃなくて?」
ヴァルドの目が鋭くなる。
「違う」
一歩。
こちらへ来る。
「国が滅びれば遺跡が残る。人が死ねば墓が残る。文化が滅びても、言葉や物語の欠片くらい残る」
もう一歩。
「だが日本には、それがない」
俺は息を呑む。
「土地も」
一歩。
「人間も」
一歩。
「歴史も」
そして俺の目の前で止まった。
「最初から存在しなかったことにされた」
頭の中が真っ白になった。
俺の知っている日本。
父さん。
母さん。
妹。
学校。
友達。
コンビニ。
神社。
じいちゃん。
料理。
全部?
「……誰が?」
声が震えた。
ヴァルドは答えなかった。
代わりに天井を見上げる。
そこには聖樹を中心に描かれた壁画。
八本足の馬。
槌を持つ戦士。
片目の老人。
そして巨大な狼。
見覚えがある。
あまりにも。
「まさか……」
俺が呟く。
ヴァルドが俺の口を塞いだ。
「名前を言うな」
その顔から笑みが消えていた。
「奴らは名前を呼ばれると、こちらを見る」
ぞくり。
第5話の夜を思い出す。
あの時。
何かに見られているような気がした。
まさか。
「お前が日本を知っていることは、誰にも言うな」
ヴァルドが言う。
「料理についてもだ」
「料理?」
なぜ?
「何で料理が関係ある?」
ヴァルドの表情が変わった。
「お前、気づいてないのか?」
「何に?」
「お前が作った料理を食べた人間の魔力が、ほんの少し変質している」
「……は?」
初耳だ。
「特にあの粥を食った妹は顕著だ」
リナ?
俺は振り返った。
いつの間に来たのか、母さんに抱かれたリナが入口にいる。
「おにーちゃん?」
いつものリナ。
どこも変わっていない。
だが。
エルナが息を呑んだ。
「嘘……」
リナの周囲。
淡い光が漂っていた。
金でも青でも赤でもない。
白い光。
それがゆっくりと形を作る。
小さな鏡。
いや。
鏡を模した、光の紋様。
俺はそれを知っていた。
神社の蔵で見たことがある。
じいちゃんが大切そうに教えてくれた。
『鏡はな、神様をお祀りするとき、とても大切なものなんだ』
まさか。
「レン」
ヴァルドが低い声で言う。
「お前は何者だ?」
知らない。
俺が聞きたい。
俺はただの高校生だった。
料理が好きで。
妹に飯を作って。
神社の家に生まれただけの。
ただの――。
その時。
地面が揺れた。
神殿の聖樹像が崩れ落ちる。
その下から。
何かが現れた。
石板。
古い。
聖樹像より遥かに古い。
表面には文字が刻まれている。
この世界の文字じゃない。
俺だけが読めた。
漢字だった。
そこには、たった四文字。
**天照大御神。**
息が止まった。
日本は消された。
日本人もいない。
日本語を知る者もいない。
そのはずなのに。
なぜ。
この世界に――
日本の神の名前がある?
そして遥か天空。
人の目では届かない場所で。
片目の老人が、ゆっくりと瞼を開いた。
「見つけたか」
老人の肩で、二羽の鴉が羽ばたく。
「ならば今度こそ――」
老人は地上を見下ろした。
「日の国の残滓を、消せ」
**――第一章 完。**
第一章 日本のない世界で、妹に料理を
…完結です。
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