第107話 いい神様だけが、帰ってくるわけじゃない
「物語で神様の形が変わるなら、作り話でも神様を作れるのかな」
翌朝、フィアがそう言った。
かなり怖い疑問だった。
昨日、神名を一度も呼んでいないのに、失われた女神の物語を語っただけで神格反応が出た。しかも、語った人がその物語をどう受け取ったかによって、光の性質まで少し変わった。
だったら、人間が新しい話を作って、みんなで信じれば。
存在しなかった神まで生まれるのか。
「……試したくないな」
俺が言うと、レオルが即座に返した。
「調べるぞ」
「お前、こういう時だけ容赦ないよな」
「危険だからこそ、条件を小さくして確かめる」
正論だった。
ただ、本当に神を一柱作ってしまったら困る。
そこで俺たちは、「絶対に神様とは思えない話」を用意することにした。
考えたのは俺だ。
名もなき厨房の妖精。
鍋の蓋を開けっぱなしにすると現れ、燃料を無駄にした料理人の頭を木べらで叩く。
好物は豆。
嫌いなものは、生乾きの布巾。
「……レン」
フィアが真顔で言った。
「何?」
「それ、本当に前の――じゃなくて、昔聞いた話じゃないよね?」
危ない。
サヨまでこっちを見た。
「違う。今考えた」
「妙に具体的なんだけど」
「厨房には敵が多いんだよ」
ナギが妙に納得していた。
名前も付けない。
絵も描かない。
俺が一人で作り、他の参加者には「古い厨房の伝承」とだけ説明する。
もし単に「昔からある話だと思うこと」や「物語へ感情移入すること」だけで反応するなら、これでも何か起きるはずだ。
三人へ聞かせた。
「鍋の蓋を開けた料理人は、翌朝、額に木べらの跡をつけて目覚めたそうです」
史料庁の職員が真面目に聞いている。
一人が尋ねた。
「なぜ豆が好物なんです?」
「……たんぱく質?」
「タンパク?」
余計なことを言った。
ともかく。
話し終える。
測定石。
無反応。
もう一度。
語り手を変える。
ナギが妙に怖く語る。
「そして、生乾きの布巾を置いていた料理人は――」
「勝手に話を増やすな!」
それでも。
無反応。
フィアが少し笑った。
「木べらの妖精はいないみたいね」
「よかった」
「ちょっと残念」
何でだ。
ただし、これで一つ切り分けられた。
人間が物語として受け入れれば、何でも即座に神格化するわけではない。
少なくとも。
数人。
数回。
一日や二日。
その程度では。
「元から何かが存在していて、物語がそこへ接続する可能性の方が高い」
レオルが結論を書く。
俺も頷く。
つまり。
昨日の女神の反応は。
俺たちが新しく作ったわけじゃない。
どこかに残っている存在へ。
古い物語が道を作った。
少し安心した。
人間が思いつきで神様を量産できる世界だったら、本当にどうしようかと思った。
問題は。
次だった。
根室の資料には。
別の説話も残っていた。
セヴァンがそれを机へ置いた時から、サヨの顔が硬い。
「知ってる?」
俺が聞く。
「似た話を」
表紙に神名はない。
本文も、かなり削られている。
ただ。
内容は。
俺にも分かった。
高き国にいた荒々しい男。
怒る。
暴れる。
田を壊す。
神聖な場所を汚す。
追放される。
その後。
地上へ降り。
巨大な怪物を討つ。
そして。
人を助ける。
悪い奴なのか。
いい奴なのか。
一言では言えない。
俺の知っている神話にも、よく似た神がいる。
「これ、読むの?」
ナギが聞く。
「今日は読まない」
俺は答えた。
レオルが見る。
「なぜ?」
「昨日の話と違う」
女神の話は、比較的静かだった。
でもこっちは。
怒り。
破壊。
追放。
戦い。
もし、人がどう語るかで反応が変わるなら。
これを適当に再現するのは危ない。
「だから先に、資料だけ比べたい」
俺たちは根室の同系統資料を集めた。
ヒムカの昔話。
東方の古い航海記。
農村の伝承。
子供向けの寓話。
名前は消されている。
でも。
同じ人物らしき話が。
妙に多い。
ある村では。
嵐を起こす恐ろしい神。
別の地域では。
田を荒らす災厄。
さらに別の地方では。
大蛇を倒して娘を救った英雄。
「同じ人?」
ナギが疑う。
「たぶん」
俺が答える。
「性格変わりすぎじゃない?」
「人間だって見る相手で変わるだろ」
フィアが言った。
「商人から見た父さんと、レンから見た父さんが同じとは限らないし」
分かりやすい。
物語は。
履歴書じゃない。
誰かが、その神のどの面を覚えたか。
それが残る。
俺は複数の話を並べた。
そこで。
別の違和感に気づいた。
「レオル」
「何だ」
「年代」
古いものから並べる。
最初期。
荒ぶる。
田を壊す。
追放。
次。
怪物を倒す。
さらに後。
農地を守る。
病を退ける。
船乗りを助ける。
「……変わってる」
エルナが言った。
ただ話が増えただけじゃない。
時代が下るほど。
人間との関係が近くなっている。
怖い神から。
守る神へ。
「神が変わったのか」
レオルが言う。
「人間が見方を変えたのか」
サヨが続ける。
「あるいは、その両方」
俺は昨日聞いた声を思い出した。
**『そうではなかった。けれど、それでもよい』**
人間が語り。
神がそれを受け入れ。
また人間が語る。
それを何百年も繰り返した結果。
最初とは違う神になる?
料理と似ている。
味噌だって。
むすびだって。
元の形から変わった。
でも。
変わったから偽物とは限らない。
そこでフィアが一枚の紙を抜いた。
「これ、時代が違う」
約九十年前。
ちょうど。
旧神話災害対策局が本格的に動き始めた頃。
内容は。
昔話ではなかった。
**『東方神格再発現事例』**
俺たちは黙った。
日本が消えてから三十年以上後。
ある山村で。
古い祭りが偶然復元された。
長い干ばつの年。
村人たちは、祖父母から聞いた「嵐を呼ぶ古い祭り」を思い出した。
酒。
米。
塩。
剣を模した木札。
そして。
失われていた神名。
誰かが古い墓石から見つけた。
「名前は?」
ナギが聞く。
「ここでは削られてる」
セヴァンが言った。
記録は続く。
最初。
雨が降った。
村は喜んだ。
翌日も。
雨。
三日目。
暴風。
五日目。
川が氾濫。
そして。
祭壇の上に。
人型の神性反応が現れた。
記録には。
村人が聞いた言葉が残っている。
**『もっと呼べ』**
ぞっとした。
次。
**『我が名を隣村にも伝えよ』**
さらに。
**『忘れた者に思い出させよ』**
俺は紙を握りそうになり。
また手を緩めた。
危ない。
「自分から広げさせようとした?」
フィアが言う。
「神様が?」
そう。
今まで。
人が神を思い出す。
人が名前を呼ぶ。
その結果、神が戻る。
そう考えていた。
でも。
戻りかけた神の側が。
もっと自分を覚えろと。
人間へ要求することもある。
当たり前といえば。
当たり前かもしれない。
神に意思があるなら。
消えたくない。
強くなりたい。
もっと世界へ触れたい。
そう考える神がいても。
不思議じゃない。
「その後は?」
俺が聞く。
頁をめくる。
村人の一部は祭りを続けようとした。
一部はやめようとした。
対立。
神格反応はさらに不安定化。
最終的に。
近隣の神殿と行政魔術師が祭壇を解体。
神名の使用を禁止。
反応は七日ほどで消えた。
死者。
三人。
負傷者。
四十二人。
田畑の損害。
甚大。
俺は何も言えなかった。
これが。
旧神話災害対策局ができた理由の一つ。
ヴァル・ヘイムが。
日本の名を隠した理由。
「これを見たら」
レオルが静かに言う。
「封印という判断そのものは理解できる」
「うん」
俺も。
否定できなかった。
名前を消すなんて酷い。
文化を奪うなんて間違っている。
今でもそう思う。
でも。
三人死んだ村で。
「文化だから自由に語らせろ」と簡単に言えるか。
俺には。
言えない。
サヨが長く黙った後。
小さく言った。
「神々は、人に覚えていてもらわなければならない」
誰も口を挟まない。
「ならば、人を大切にするはずだと……どこかで思っていました」
俺も。
たぶん同じだった。
でも。
必要とすることと。
大切にすることは。
同じじゃない。
支配する神もいる。
脅す神も。
自分を忘れるなと強いる神も。
そして。
人間を守る神もいる。
日本の神々。
という一括りでは。
何も分からない。
被害者だった。
でも。
善人ではない。
そもそも。
神だけど。
夕方。
俺たちは記録を閉じた。
今日はもう実験しない。
代わりに。
厨房へ行った。
怖いものを読んだ日は。
温かいものが欲しくなる。
干し肉。
根菜。
豆。
少しのミソ。
大鍋で煮る。
アクを取る。
火を弱くする。
そこで、史料庁の若い職員が鍋を覗き込んだ。
「もっと強火の方が早く煮えるんじゃないですか?」
「沸いた後は、ずっと強くしても水の温度はそんなに上がらない」
「え?」
来た。
俺は木べらを持ったまま説明する。
「普通に開いた鍋なら、沸いてる間は入れた熱のかなりの部分が、水を蒸気にする方へ逃げるんだ。強火にし続けても、燃料の割に煮える速度は増えにくい」
職員が鍋と火を交互に見る。
「では……弱くしていい?」
「沸騰を維持できるくらいでいい。蓋も使えばもっと燃料を減らせる。ただ、吹きこぼれには注意」
レオルが横から言う。
「学院で測定済みだ。鍋と量によるが、かなり差が出る」
「本当に?」
職員の目が変わる。
史料庁なのに。
明日から厨房の薪代が減るかもしれない。
こういうのでいい。
神様の戦争なんて。
俺一人には大きすぎる。
でも。
目の前の鍋なら。
少し良くできる。
出来上がった汁を。
みんなで食べる。
「いただきます」
今日は。
測定石を置かなかった。
何かを測るためじゃない。
神を呼ぶためでもない。
ただ。
腹が減ったから食う。
俺はそれでいいと思った。
そして。
一つだけ。
はっきり決めた。
日本の神々を。
まとめて取り戻すなんて。
もう考えない。
一柱ずつ。
何を望むのか。
人間をどう見るのか。
この世界へ戻ったら何をするのか。
それを知る。
もし。
人間へ。
「もっと呼べ」
と命令する神がいるなら。
俺は料理人だろうが。
ただの人間だろうが。
言わなきゃいけない。
神様だからって。
人の食卓を。
勝手に自分のものにするな、と。




