第104話 同じ飯でも、意味が違えば
八咫烏が去った翌日、俺たちは実験結果を最初から整理し直した。
米そのものでは、ほとんど反応しない。誰かへ差し出すつもりで置くと、弱い反応が出ることがある。さらに、俺が前世の妹を思い浮かべた時には、明らかに反応が強くなった。そして八咫烏は、神が受け取るものについてこう言った。
**『人が、誰を忘れぬか。それが、神の食だ』**
問題は、それがどこまで本当なのかだ。
「八咫烏が嘘をついてる可能性もある?」
ナギが白飯を食べながら聞く。
「ある」
俺が即答すると、サヨが少し驚いた。
「神使を疑うのですか?」
「神様側の関係者だろ? だったら、その立場から説明してる可能性はある」
八咫烏を信用していないわけじゃない。何度も導かれたし、少なくとも今のところ俺を害そうとしたこともない。それでも、神の言葉だから正しいと決めてしまえば、ヴァル・ヘイムたちが恐れたものへ自分から近づくことになる。
レオルが頷いた。
「なら、『食物』『記憶』『共有』を分ける必要がある」
「できる?」
「完全には無理だ。ただ、条件を近づけることはできる」
そういう話になると、レオルは強い。
用意したのは、三つの小さな部屋だった。
同じ広さ。同じ机。同じ食器。同じ量の白米。調理した鍋も同じで、盛り付けた時間まで揃える。参加者には、それぞれ別の説明をする。
一組目には、ただ「味を評価してください」。
二組目には、「これはヒムカで長く作られてきた米です」。
三組目には、もう少し詳しく、「この米とよく似たものが、かつて東の海の向こうにあった国でも、人々の毎日の食卓を支えていた記録があります」。
国名は出さない。
神名も出さない。
「料理の味を見るのに、説明を変えるの?」
手伝ってくれた史料庁の若い職員が首を傾げた。
「味じゃなくて、説明を聞いた人の反応を見るんです」
俺が答えると、さらに分からない顔になった。
まあ、そうなる。
前世なら心理実験とか、条件を変えた比較とか、そういう形に近いと思う。でも俺は専門家じゃない。だから今回分かるのは、「同じ飯でも与えられた意味によって神格反応が変わるかもしれない」くらいだ。
**「被験者の心を完全に読めない時点で、戦闘力測定器としてはだいぶポンコツなんだよな……」**
「また戦闘力って言った」
フィアに聞かれていた。
実験を始める。
一組目。
三人が普通に飯を食べる。
「少し粘りがある」
「普段の麦より好きかも」
「塩欲しいな」
測定石。
ほぼ変化なし。
二組目。
ヒムカで長く作られてきた米、と説明する。
「東の方では毎日食べるんですか?」
「田んぼ、見てみたいな」
会話は増えた。
測定石も、ほんの少し動く。ただし誤差と言われても仕方ない程度だ。
そして三組目。
俺は同じ説明をする。
海の向こう。
今は失われた土地。
そこでも、同じように家族が飯を囲んでいたらしいこと。
特別な祭りの料理ではない。
毎日食べる、普通の飯だったこと。
三人の反応が少し変わった。
一人の女性職員が、白米を見る。
「なくなった国の人も、これを?」
「似たものを、たぶん」
「子供も?」
「うん」
彼女はそれ以上聞かず、一口食べた。
測定石が動いた。
レオルがすぐ数値を書き留める。
一組目より明らかに高い。
二組目よりも。
でも、まだ弱い。
何かが出てくるほどじゃない。
俺たちは場所を入れ替え、参加者も変えて繰り返した。順番で結果が変わらないように、次は三組目の説明を先にする。さらに、説明する人も俺ではなくフィアへ替える。
それでも傾向は同じだった。
「食べ物は全部同じ」
フィアが集計表を見る。
「違うのは、それを何だと思って食べたか」
「それだけじゃない」
レオルが訂正する。
「話を聞いたことで、失われた人々を具体的に想像したかもしれない」
それが大事なのだと思う。
ただ「昔の国の米です」と言われるのと。
そこで誰かが家族と飯を食べていた、と聞くのでは違う。
国は地図だけじゃない。
人だ。
食卓だ。
記憶だ。
俺が日本を思い出す時だって、国会議事堂や富士山が最初に出てくるわけじゃない。
狭い台所。
母さんが疲れて帰ってきた顔。
父さんの遅い夕食。
妹。
鍋。
そういうものだ。
「もう一つ試したい」
サヨが言った。
彼女が持ってきたのは、ヒムカのむすびだった。
「これを、日本と関係のあるものだとは説明せず、私の家に伝わった供え方の話だけをしてみては?」
なるほど。
食べ物はヒムカのもの。
しかし、意味だけは古い祭祀へ近づける。
危険かもしれない。
だから人数を一人にする。
神名なし。
祭壇なし。
供えず、普通に食べてもらう。
参加したのはエルナだった。
サヨが五つの配置について説明する。昔、穀物を置く場所として伝わっていたこと。でも誰のためかは分からないこと。
エルナは一つのむすびを食べる。
測定石。
弱い。
でも。
確実に動いた。
「米の種類じゃない」
俺が呟いた。
ヒムカの米でも。
日本の白米を想起しなくても。
失われた意味へ触れれば、反応が出る。
エルナが手元のむすびを見る。
「神々は、食べ物に宿っているわけではないんですね」
「たぶん」
俺は答えた。
「人の方に宿ってる」
自分で言って。
少し怖くなった。
神殿。
神器。
巨大な魔法。
そんなものより。
人間の記憶。
その方が根っこなのだとしたら。
神を完全に消すなんて、ほとんど不可能じゃないか?
本を焼いても。
神社を壊しても。
誰かが昔話を一つ覚えている。
料理を一つ作る。
名前の由来だけ残る。
それだけで。
どこかに根が残る。
だから日本は、あそこまで徹底して消された?
土地まで。
人間まで。
歴史まで。
「……ヴァル・ヘイムは、これを知ったんだ」
俺が言うと、セヴァンが頷いた。
「おそらく」
だから神名だけでは足りなかった。
祭りを止める。
米を増やさせない。
供物を再現させない。
生活習慣の中に残った神への道まで、断とうとした。
それでも。
ヒムカが残った。
失敗したんじゃない。
人間の生活を全部消すなんて、できなかったのだ。
夕方。
実験を終える。
大量に余った白米を前にして、ナギが腕を組んだ。
「で、これは?」
「捨てるわけないだろ」
研究に使ったからといって、食べられる飯を捨てる理由はない。
俺たちは厨房を借りた。
冷めた飯。
卵。
少しの野菜。
干し肉。
油。
だったら。
「焼き飯にしよう」
大きな鍋を熱する。
油。
卵。
刻んだ肉。
野菜。
米。
火力を上げる。
水分を飛ばす。
鍋を振る。
香ばしい匂いが研究棟まで広がると、さっきまで真面目な顔で測定石を見ていた職員たちまで厨房を覗き始めた。
「何の研究ですか?」
「余り物処理」
「研究じゃない」
ナギが突っ込む。
でも。
俺は焼き飯を皿へ盛りながら、ふと思った。
さっきの白飯は、「失われた国の食事」と説明された瞬間に意味を持った。
今は違う。
ただの夕飯。
みんな腹が減ったから食べる。
フィアが最初の一皿を取る。
レオル。
サヨ。
ナギ。
エルナ。
セヴァンまで。
誰も神様のことを考えていない。
「いただきます」
誰かが自然に言った。
俺じゃなかった。
もう誰だったかも分からない。
みんなが続く。
俺は一瞬だけ測定石を見た。
机の端。
ほんのわずかに。
光っていた。
でも。
止めなかった。
警報になるほどじゃない。
何かが降りてくる気配もない。
ただ。
小さな光。
俺は焼き飯を一口食べた。
たぶん。
神を生かすのは。
大げさな祈りばかりじゃない。
誰かから教わった言葉を。
次の人が当たり前に使う。
誰かが作った料理を。
別の誰かが、自分の味に変えて作る。
そこに。
昔の意味がほんの少し混ざっている。
そういう。
普通の毎日の積み重ねなのだ。
だったら。
神々が人間を必要とするのは。
人間が神々へ跪くためじゃない。
むしろ逆なのかもしれない。
人間が普通に生きて。
忘れず。
受け渡してくれるから。
神々の方が。
この世界にいられる。
その関係なら。
少しだけ。
俺にも理解できる気がした。




