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神々のいない食卓~日本の消えた異世界で、料理好きの俺は和食を作る~  作者: ちゃむたろう
第十章 神々が消した国

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第100話 絵を見ただけで、世界樹が鳴いた

銀枝降下図は、思っていたより小さかった。


人の背丈ほどもある巨大な絵を勝手に想像していたけれど、実物は両手を広げた程度の紙一枚。黄ばんだ紙の中央に黒い海と陸地が描かれ、その上から無数の白銀の線が降りている。


ただ。


近づくほど、気味が悪かった。


枝は空から生えている。


一本の幹から伸びているわけじゃない。絵の上端――つまり紙の外側から無数の枝だけが侵入し、陸地を囲み、その一部は地面へ突き刺さっている。


そして中央。


黒く塗られた島影があった。


形はかなり崩れている。


それでも。


俺には分かった。


縦に長い列島。


「……日本」


声が漏れた。


エルナが隣で息を呑む。


「これが?」


「たぶん」


断言はしない。


ハルは測量師じゃない。記憶を頼りに描いた可能性もある。


でも、交易帳簿。


航路図。


日ノ本という名前。


そしてこの位置。


全部が重なる。


セヴァンが俺たちを止めた。


「ここから先は、魔術板越しに観察してください」


「出さないんですか?」


「九十年間、出していません」


強い。


「そこまで?」


レオルが聞く。


セヴァンは頷いた。


「過去に、この絵を直接見た三名に異常が出た。それだけで十分です」


その判断は正しい。


昔の俺なら、「ちょっとだけなら」と近づいていたかもしれない。


祭壇で学んだ。


ちょっとだけ、が一番怖い。


まず外から見る。


レオルが測定石を置く。


魔力反応。


ほぼなし。


「普通の紙に見える」


「銀色の部分は?」


俺が聞く。


「微量に反応しているが……古い魔術顔料でもこれくらいは出る」


フィアは別のところを見ていた。


「絵の右下、文字ない?」


全員の視線が動く。


確かに。


黒い染みの下に、細い線がある。


正面からだとほとんど読めない。


俺は反射的に言った。


「灯り、低くできる?」


レオルが笑った。


「またそれか」


「使える方法は何度でも使うって言っただろ」


魔術灯を床近くへ。


角度を浅くする。


紙の凹凸へ影が落ちる。


文字が浮いた。


日本語。


今までの古い「日ノ本」の文字より。


ずっと。


俺の知っている字に近い。


胸が締め付けられる。


「読める?」


エルナが聞く。


俺はゆっくり読む。


**『これは樹ではない』**


沈黙。


「……何?」


レオルが聞き返した。


俺も二度見る。


間違ってない。


**『これは樹ではない。樹に見える何かだ。』**


ハルの筆跡だろうか。


その下。


さらに細かい文字。


**『枝は空から来たのではない。空が裂け、その向こうから現れた。』**


ぞくりとした。


サヨが呟く。


「向こう……?」


世界樹が空から降りた。


そう思っていた。


でもハルは違うと言っている。


空そのものが開いた。


その向こうに。


枝があった。


「異界?」


レオルの声が低くなる。


「可能性はある」


「世界樹が別の場所にあるってこと?」


俺が聞く。


ロヴァン神官から聞いた教義が頭をよぎる。


世界樹は、複数の領域をつなぐ基盤。


なら。


俺たちが普段見ている世界樹像は象徴で。


本体は。


この世界そのものの外側にある?


そこまで考えた時だった。


カン。


小さな音。


全員が止まる。


「何?」


ナギが周囲を見る。


もう一度。


カン。


金属を軽く叩いたような音。


エルナの顔色が変わった。


「……聖鈴」


「どこから?」


「上」


王都大神殿。


地下深くにいるのに。


上の神殿で鳴る祭具の音が。


石壁を通して。


聞こえている?


いや。


違う。


三度目。


カン。


今度は。


根室の壁そのものから鳴った。


レオルが測定石を見る。


「魔力が上がってる」


「絵?」


「違う」


彼の表情が硬くなる。


「周囲だ」


床。


壁。


天井。


根室全体の古い術式へ、微弱な魔力が流れ始めている。


セヴァンが即座に言った。


「全員、観察位置から下がってください」


誰も逆らわない。


俺たちは三歩下がる。


でも。


音は止まらない。


カン。


カン。


カン。


そして。


透明な魔術板の向こう。


銀枝降下図の一本が。


光った。


「まずい」


俺が言う。


白銀の線。


一本。


二本。


絵の中で。


まるで生きているように。


光が枝を走る。


エルナの胸元にある世界樹の祭司章も。


同時に光った。


「エルナ!」


「私は何もしてない!」


彼女が章を外そうとする。


しかし。


その手が止まった。


「……声」


「何?」


エルナの顔が真っ青になる。


「聞こえる」


昔。


村の神殿で。


世界樹像が割れた時。


彼女は声を聞いた。


**『食を分かつ者よ』**


そして。


**『まだ――名を呼ぶな』**


あの時と同じなのか?


「何て言ってる?」


サヨが聞く。


エルナは耳を塞ぐ。


それでも。


声は外からじゃないらしい。


「……違う」


「何が?」


「前とは違う」


彼女は震えながら。


言った。


「二つ、いる」


その瞬間。


絵の中央。


日本列島らしき黒い部分が。


赤く光った。


白銀。


赤。


二つの光が。


紙の上でぶつかる。


測定石が激しく明滅した。


「下がれ!」


レオルが叫ぶ。


全員、さらに下がる。


セヴァンは扉へ向かう。


「封鎖します」


「待って!」


俺は反射的に言った。


全員が俺を見る。


昔なら、ここから近づいていた。


でも。


違う。


「閉める前に、記録だけ!」


フィアが即座に動く。


「時間!」


「今!」


「白が先、赤が後!」


レオルが測定値を読む。


「白色反応、世界樹系統に近い! 赤は分類不能!」


サヨが絵を見る。


「赤……中央から広がっています!」


ナギが叫ぶ。


「何か描く!?」


俺は答える。


「位置だけ! 触るな!」


紙。


線。


時間。


順番。


一秒でも残す。


そして。


エルナが叫んだ。


「言葉が!」


「何て!?」


白い光。


エルナの口から。


低い声。


彼女自身の声ではない。


**『接続を固定せよ』**


空気が凍った。


次。


赤い光。


今度は。


サヨの勾玉が激しく輝いた。


彼女が胸を押さえる。


「サヨ!」


「大丈夫……です!」


そして。


別の声。


今度は俺にも聞こえた。


耳ではない。


頭の奥。


女の声か。


男の声か。


分からない。


ただ。


日本語だった。


**『断つな』**


白。


**『固定せよ』**


赤。


**『断つな』**


繰り返す。


二つ。


相反する命令。


そこで。


俺は初めて気づいた。


日本が消えた夜。


一方的に世界樹が日本を消した。


そう考えていた。


でも。


もし。


向こうも。


抵抗していたとしたら?


日本の神々が。


世界樹に?


「セヴァン!」


「封鎖します!」


今度は止めない。


全員が扉側へ下がる。


三つの鍵。


史料庁。


大神殿。


学院。


同時に戻す。


扉が動き始めた。


その瞬間。


銀枝降下図の光が。


一気に強くなった。


白と赤。


ぶつかる。


俺の頭の中へ。


一枚の光景が流れ込んだ。


ほんの一瞬。


夜の街。


見覚えのある。


電柱。


家。


道路。


自動販売機。


日本。


そして。


空いっぱいに。


白銀の裂け目。


その前に。


何かが立っている。


巨大な影。


一つじゃない。


いくつも。


俺は目を見開いた。


**「――っ!」**


次の瞬間。


扉が閉じた。


光が消える。


音も。


声も。


全部。


静寂。


俺は床に膝をついていた。


フィアがすぐ横へ来る。


「レン!」


「大丈夫……じゃないけど、意識はある」


もう大丈夫とは言わない。


息を整える。


レオルが測定石を確認している。


「反応停止」


エルナは壁へ背を預けていた。


サヨも勾玉を握りしめている。


誰も倒れてはいない。


それだけで。


かなり良かった。


セヴァンが眼鏡を外し、額を押さえた。


「……九十年ぶりの開封で、これですか」


「前も?」


俺が聞く。


「似た事例は記録にあります。ただし」


彼は扉を見る。


「二系統同時の反応は、記録にない」


二つ。


白。


赤。


世界樹側。


そして。


日本側。


俺は、自分が見たものを紙へ書いた。


忘れる前に。


夜の町。


電柱。


自販機。


白銀の空。


影。


複数。


「これ」


フィアが紙を見る。


「レンが知ってる場所?」


質問。


逃げられる。


いつもなら。


でも。


俺は口を開きかけて。


止めた。


まだ。


フィアへ話す時ではない。


ここで慌てて全部を告白するのは違う。


「……知ってるものが、いくつか映った」


それだけ答える。


フィアは俺の顔を見た。


しばらく。


それ以上聞かなかった。


ありがたい。


でも。


いつまでも、このままではいられない。


そして俺には。


もっと重要なことがあった。


ハルの絵。


白銀の枝。


赤い光。


二つの声。


**『接続を固定せよ』**


**『断つな』**


日本が消えた夜。


そこにいたのは。


日本を消す側だけじゃなかった。


消されまいとした側も。


確かに。


いた。


つまり。


これは。


災害じゃない。


事故でもない。


もっと。


最悪な言葉が。


頭に浮かんだ。


**戦争。**


神と神の。


世界そのものを使った戦争。


その巻き添えになったのが。


日本だったのかもしれない。


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