いっぱいいっぱいなメイドさん
夕闇が迫るなか、赤々と火照る少女の顔にもはやどういう感情を持っていいか分からなくなったマクシミリアンを尻目に、配布された命令書に則って先発隊が動き出した。
「この任地でのわたくしの軍務はすでに始まっているものと判断いたします。規定に従い、軍装に着替えるために天幕をお借りしたいのですが」部隊の動きに気を持ち直したメイド殿は、かっちりとした口調で告げた。
「それなら倉庫を使うと良い。内から鍵が閉まるところがある。いや、君たちはそれを把握しているか」と紳士として提案し、軍人と色男としての勘で攻めどころを見つけ、付け加えた。「着替えを覗かれたとあっては殿下に顔向けできんからな」
「……ご配慮、助かります」顔を隠すように深々と一礼し、頭を下げたまま続けた。「陣地に残られている方々には夜明けまでしていただくことはございません。指揮官さまもごゆっくりお休みください」顔を見る隙もなく素早く踵を返して倉庫に歩を進めるメイド、その歩みに迷いは無い。
ところどころから見える彼女の人間らしさと生還が絶望的だった状況からの解放に軽口を叩く余裕が出てきた。「全体的にきゃしゃな割にはやけに豊かな腰つきだな……いやいや、あのスカートの中に何が潜んでいるかわからん」
メイドさまの秘密には触れぬが吉。マクシミリアンは翌朝までの休養を伝えるため、司令部要員を呼び集めた。彼らの戦いは実質的に終わったのである。
──その少し後、一方のメイドは薄暗い倉庫で孤独な戦いを強いられていた。
「ふんっ……もう少し、なんとか、お願い、頑張って……!」想定された内容量をはるかに超える肉を押し込められようとしている、伸縮性に乏しいメイド用野外ズボンに対する少女の励ましは届かなかった。
「去年測った寸法からさらに余裕を見たはずなのに……!」
彼女の主である王子から「至急、国境警備隊の救援に行ってもらいたい」と指令を受けてから出発するまできっかり1時間、現地の地形、収集できた敵味方の状況を頭に詰め込むので精いっぱいだったため、出発直前に同僚メイドにサイズを伝えて既成品のメイド用軍装を持ってきてもらった。同僚は何か言いたそうだったが、ずっと横で、やれ「生水は飲むな」だの「虫除けは持ったか」だの、やいのやいの言ってくる王子の相手をしていて聞くことはかなわなかった。
無理に伝えなかったのも同僚の配慮かもしれない。もし聞いていたら「ゼクスのお尻じゃこのサイズでは入らないよ?大丈夫?寸法直そうか?」と王子が喜びそうなことを言ってきただろうが、1人前の王宮メイドなら現地に着いてからの寸法直しで対応することは朝飯前なのである。結局、同僚はゼクスが出発を最優先にしているため、ズボンのサイズについて特に対処はしなかった。それでも彼女は最悪を想定して、魔法のような詰め込み術で確保した鞄の余裕に丈の長い参謀メイド用戦闘外套を忍ばせることにした。
力及ばなかった野外ズボンは矯正されることに決まったが、ゼクスには迷いがあった。それは、彼女はいまだメイドとして裁縫の訓練を受けていなかったのである。彼女が王子の執拗な勧誘に折れて酒場の一人娘から王宮メイド団に放り込まれたのは3年前、そこから16歳になる今日までに詰め込まれたのは王国の経済、軍事などの国家的事業の運用法である。個人的な技能の習得はそれに一段落が着いてからとされていた。
普通のメイドなら16才にもなればそのキャリアは10年前後になるだろう。王宮メイド団の教育体制であれば、6年ほどで全ての訓練カリキュラムは完了し、実務に励む時期となる。荷物作りを手伝ってくれた同僚メイドも13才であったが、普段は現場での指導のため王国中を駆け回り、その日も一月ぶりに王宮に戻ってきたところでゼクスが出動を命じられた場面にでくわしたのである。ゼクスの裁縫技能は知る由も無かった。ただ、訓練カリキュラムを十万人に一人の才能の倍の速度でこなす人智を超えた天才の姿は時折見ていたため、判断を誤ることとなった。
(お母さんに裁縫を習っておけば良かった……!)酒場の一人娘時代に父の手伝いで料理の腕前はめきめきと上達していたが、裁縫は母に任せきりだった。才能を開花させた今では一目見るだけで要点を押さえて習得出来るはずなのに基礎の基礎すら身に付いていない現状では何から始めて良いかすら分からなかった。
ここで彼女が冷静になれれば、陣地にいる兵士の中で裁縫が出来るものに教えてもらうという選択肢が浮かんだはずだが、無意識のうちにそれを排除している。年頃の少女が男性に“ズボンの寸法直し”を教えてくださいと言うイメージが彼女の早すぎる頭の回転でその選択を禁忌肢としていた。実際はぼろきれを縫い合わせるところを見せてもらうだけで十分であるのに。
途方に暮れたゼクスだったが、同僚メイドがこっそり忍ばせてくれた戦闘外套を見つけた瞬間、天啓が降りてくるのを感じた。天使たちが微笑みを浮かべてゼクスを囲むことすら幻視したが、その天使の誰も彼もが同じ美少年の顔をしていたので、現実に舞い戻ってきた。
ゼクスのこの事態に対する弥縫策は以下の通りである。
一つ、ズボンの背中側正中線、つまりお尻の谷間の線に沿って半分ほどハサミを入れる。これで尻の入る容量は確保出来る。
二つ、ズボンが絶対にずり落ちないようにベルトを通した上でベルトごと紐で肩から吊り上げる。
三つ、無惨なことになってしまったお尻周りと肩から下がる謎の紐を膝下まで丈がある戦闘外套を常に着ることで隠す。
この方針で決定したため、本来は規定違反であるもののメイド服に着替え直し、ゼクスは休養を取ることを決めた。身体能力では健康維持程度の運動しかしていない少女に、王宮を出てから早馬で2日、そののち夜明けから夕方までの山道の徒歩移動はこたえた。野外ブーツと厚手の靴下を脱ぐと白魚のようだった足はいくつもマメが出来て、潰れていた。
(これは王子に見せられない……)
この状態を見た王子は怒るだろうか悲しむだろうか、少なくとも喜びはしないだろう。
ゼクスの能力であれば、敵軍に包囲された山道といえど、大部分の行程を馬で移動することが出来たはずだが、同時に幾つかの地点で見つかる確率が無視できなくなる。馬を捨てればその危険は無くなるし、もっとも手前で捨てた場合でも2時間程度で陣地に着けたはずだ。しかし、王宮の大切な財産である早馬を山中で敵軍に見つからず繋いでおくことは不可能であろうと見積もられたため、包囲の外側の川辺に馬を繋ぐことにした。その結果がこれだ。
(でも、王子には隠せない……)
王家の男性長子に代々発現する、読心じみた洞察力に対して隠し事など不可能であった。「初めての任務どうだった?」これで全てが終わる。
おそらくズボンの件は笑ってくれるだろう、指揮官さまに醜態を晒したことも。でも王子のものであるこの身体に私の意思で傷を付けたことは許してくれるだろうか。
不安がぐるぐると頭を回る。人智を超えた頭脳もこの問題に対しては無能だった。しかし、別の問題については速やかに解決策を示してくれた。
「予定よりももっと上手く勝って王子に褒めてもらえるようにしよう!」
先発隊500名に配布した命令書の差し替えは不可能だけど、その内容は全て頭に入っている。本来は味方に被害を出さずに敵軍を撤退させるものだけど、本隊の命令に手を加えることで、もっと大きな成果を挙げよう!
50枚の差し替える助言書は2時間ほどで書き終わり、水瓶から水を汲み身体の隅々を拭き取り、王子が持たせてくれた虫除けや各種の薬品から傷薬を選び、足の傷の処置を行いメイド服のまま就寝した。疲れと良い思いつきのお陰で寝付きは良かったが、初陣の天才少女はその思いつきがどのような結果を生むかは考えなかった。
・情けないズボンだよ!「いやレディメイドにあの体積は無理っす」
・サスペンダー軍装女子は良いぞ!あの子が思い浮かんだおっさんは握手しよう!
・本作のシリアスなんだかシリアル成分はこのくらいの水準です。一章ラストまでにはもう少しシリアス感もあるかな。




