メイドさんのいうとおり
明くる日の早朝、まだ薄暗い中、陣地備え付けの司令部宿舎で目を覚ましたマクシミリアンは、指揮官用の執務机に水差しとコップが用意されているのを見つけた。水差しを持ってみるとひやりと冷たさが伝わってくる。井戸水で冷やしたらしい水差しの中身は極上の冷茶だった。およそ6万の敵軍に囲まれているとは思えないほどの安らぎを覚えながら、冷茶をコップに注ぐ。久しぶりに死の恐怖と責任感から解放された睡眠は最高だった。
「ふう……」一杯目を空けたところでノックの音が響く。
「おはようございます、指揮官さま。参謀メイド、ゼクス参上いたしました」
朝から女性の来室というのは気分の良いものだ。特に絶世の美少女ならば。
浮ついた気持ちを悟られぬように重々しく入室の許可を与えた。入室したゼクスは夏だというのに重厚な黒の戦闘外套を着ていた。
「おはようございます。昨晩はよくお休みになられたでしょうか?こちら簡単なものですが朝食になります」
左手に提げたバスケットから手際よく食器と料理を並べる、服装以外は完璧なメイドの姿があった。
「おお、戦地らしくワンハンドメニューか。それでも期待してしまうな」
「お味の方はご期待ください。ですが、お召し上がりの後で構いませんので、昨日配布した助言書をこちらのものと差し替えたく存じます。内容に問題なければサインをいただきたく」バスケットの底からまたしても紙束を出すメイド殿、昨日よりは薄い。
「差し替え?」我慢できずオニギリを一つつまむ。美味い……
「はい。こちらへ実際に来て得られた情報をもとにしたところ、より良い成果を得られることに気付きましたので」
「なるほど、百聞は一見にしかずはメイド殿にも通じるのだな」
「はい。体験は何よりも優る経験となります」メイド殿は手を腰の後ろに回した。少し目が泳いだような気がするが気のせいだろう。
「それでは助言書を机に乗せてくれ、このタイミングで出してくるということは早く差し替えたほうが良いものだろう」朝食の内容的に、メイド殿は食事中の署名を期待していることを読み取れないようでは紳士失格だ。
「ご配慮、痛み入ります」メイド殿は豪邸が建てられそうな微笑みを浮かべた。
(いかん、変な気分になってくるな)戦地で鬱屈したものが騒ぎ出すが、彼女はメイド長候補者であり、なによりメイドである。神聖不可侵な存在に対しての邪念を振り払う。
「ところで戦闘外套か、この真夏に暑くはないのかね?」サインを続けながらも貴重な会話の機会を楽しむマクシミリアン。
「……ええ、特別製ですので通気性を良くする改造を施しております」後ろに回した手がこわばった気がしたがやはり気のせいだろう。
「これで全部か、急いでいるだろう。私の食べ終わりなど気にせず持っていってくれ」
「ありがとうございます!食器はそのままにしておいていただいて結構です!」弾んだ声を上げて助言書、いや命令書を受け取り退室しようとするメイド殿。こちらを向いたまま、ぬるりと退室していった。
──ここで時間は夜中にさかのぼる。
細い月が照らす整った山道に、くぐもった小さな歌声が流れている。
彼らは先発隊の一部、5人だけの小部隊。細い道から外れれば10歩先も分からない森の中を1列で進む。メイドからの指示書ではこの歩きやすい小道の真ん中を歩いて安全に下山するように書かれている。武器といえるものは懐に抱えたナイフが各人1本ずつとナタが2本のみだ。彼らが敵と遭遇することは無いとされているためだった。
(って言ってもなぁ……昼間にあの大軍を見てしまうとよ……)列の真ん中で進む兵士が心の中でぼやく。
本来、彼らのこもる小山に6万もの兵力は過剰投入にも程がある。一兵士の彼には肌感覚でしか分からないが、この山の攻め手として投入するなら一度に5千名がいいところではないかと思う。
(あんなにごちゃごちゃしていたら動きづらいだろうに……)
王国と険悪な関係にある国の将がこれを聞いたら、青筋を立てて「お前らの陣地がおかしいからだ!」と吐き捨てるだろう。 少数の兵力でメイド謹製陣地に挑んですり潰された例は枚挙にいとまがない。いくつか、過剰な戦力投入で押しつぶしたという「伝承」が残っている。
(ぎゅうぎゅうの野営地から押し出された兵隊が俺等の前に現れないとも限らねえ……)実際、周囲の森の中には敵兵がひしめいていた。彼らはそこら中に罠が仕掛けられたこの山での経験で、命令が出ない限りふらつこうとはしなくなっていたが。
震える手で彼は胸に手を置く。その懐にはメイドさんからの指示書──命令とは別に、行動の要領や注意事項などを示したもの──が丁寧に折り畳まれて収められている。几帳面な字で書かれた指示書の内容は優しかった。不思議なことに夜でも読める字で書かれているのはメイドさんの魔法なのだろう。
・大声は出さないようにしてください。小声で歌ったり話すのは構いません。
・急がず昼間よりもゆっくりと下りてください。
・明朝に命令されたことをしていただいた後は全員で仮眠を取っていただいて結構です。火の始末を忘れないでください。
・出がけに炊事所から明日の朝食と昼食を受け取ってください。おやつも出ます。
・あなたがたの部隊が一番遠いところまで行きます。ごめんなさい。
まさに模範的なメイドさんのお言葉だった。5人の中でもっとも敬虔なメイド教の信者であるこの小部隊の隊長は指示書を受領し、目を通した途端に髭面を歪ませて感涙にむせび、文字の香りを嗅ごうとして読めなくなるからやめろと取り上げられた。
彼らはメイドさんを信じている。しかし自分たちの勇気など信じてはいないので、物音で大声をあげないように、厚い布で口を覆っている。そして歌う。メイドさんを称える戯れ歌を。布の下から出る歌声はくぐもっていたが、心がこもっていた。
♪めーいどさんのいうとーり
♪やさしいおかおにふわふわふりる
♪おいしいおちゃにごちそうやまもり
♪いうこときかなきゃもらえない
メイドさんの歌で心と足を奮い立たせて歩き続けた。いつ終わるとも知れない暗夜の下山は兵士にとって唐突に終わった。
「地面が平らだ……」先頭の兵士がつぶやいた。ここは山の終わり、包囲網からはだいぶ離れている平野に入ったところだ。
「俺達やったのか……?」「メイドさんの言うとおりだった……!」
「オメェら、まだ終わってないぞ。もう少し先の窪地で焚き火の準備だ。メイドさんのいうことを全部やったらメシだ」夜が明けようとしているなか、信仰心が頂点に達した隊長の眼はらんらんと光っていた。
・冷茶しかなかったけどいいかな?なんてことはメイドさんにはありません。王宮出発前にマクシミリアンの好みを把握しています。
・マクシミリアンがずいぶんと調子良くなってますが、10日以上5000→2000人の部隊を率いて数十倍の敵と戦ってきたので、彼も相当に疲れてました。安眠大事。
・オニギリはサンドイッチと迷いましたが、王国の設定的に稲があるなら積極的に使っていきたいのと美少女メイドが作ってくれるんならサンドイッチよりお握りのほうがいいだろ。常識的に考えて……
・メイド教などという教団はありませんが、王国民のほとんどはメイド信者です。
・4話はPHP問題が流れ弾レベルで着弾したので日曜日の17:10予定です。土曜日17:10までに投稿できるようなら早まります。




