1575:復調。
――翌朝。
二日も寝込めば、風邪菌は私の身体の中で弱ってくれたようである。免疫力万歳とベッドの上で唱えていれば、ジークとリンが普段より早く私の部屋に訪れた。私の顔を見た途端、そっくり兄妹は安堵の表情を浮かべておはようと声を上げる。
私もおはようと返すのだが声も元通りになっているし、身体のだるさもすっかり取れている。クロたちも私の様子を見て『治ったみたいだねえ』と目を細めていた。毛玉ちゃんたちは私の風邪が治ったことで、さっそく部屋でワンプロを始めている。
いつもの朝だなとみんなで笑っていると、介添えのために様子を見にきたエッダさんがぱあと顔を輝かせて『体調が戻られたようで安心しました』と口にする。そんなに心配を掛けていたのかと私が驚いていれば、屋敷の皆さまから活気がなくなっていたとか。
私が寝込むことで、そこまで影響を与えているとは驚きである。しかしヴァルトルーデさまとジルケさまの食欲が失せていたと聞いているし、これから健康には一層気を付けないといけないなと苦笑いを浮かべるのだった。
エッダさんの介添えを受けるのは三日ぶりだと笑いながら着替えを終えて、朝ご飯のために食堂へと向かう。すでにヴァルトルーデさまとジルケさまとクレイグとサフィールが席に腰を下ろしており、控えている給仕の方がエッダさんと同じく顔を輝かせている。給仕の時くらいしか関わらないというのに、どうにも心配してくれていたようだ。私は挨拶をしてようやく治りましたと告げてから席に腰を下ろす。ふうと席に座って背を正して、私はゴホンと一つ咳払いをした。
「おはよう。ご心配をお掛けしました」
部屋の外の状況は分からないけれど、ジークとリンの心配振りや亜人連合国の竜の方がやってきたことでなんとなく理解はできる。幼馴染組はただの風邪と分かっているので騒ぎはしないだろうけれど、三日間顔を合わせていない。随分と久し振りに会うような気持ちを持ちつつ私が頭を下げると、クレイグが腕を組みこちらを見る。
「三日で治ったか。馬鹿は風邪引かねえって言うのにナイが引くとはな」
「いやあ、申し訳ない」
クレイグの軽口を流して私は謝るしかない。普段であれば『風邪くらい引くこともあるよ!』と言い返したかもしれないが、今日は甘んじて受けるべき言葉であろう。へへへと照れながら私が笑っていると、クレイグは微妙な表情になりながら口を開く。
「そこは馬鹿を否定して突っ込んでくれよ!」
「え?」
クレイグなりの冗談のつもりだったようで、私は彼の優しさを受け取れなかったようだ。それは申し訳ないことをしたなと反省していると、サフィールが苦笑いを浮かべてフォローに回ってくれる。
「ナイはみんなに心配を掛けたって本気で思っているんじゃないかな?」
「いつも通りに『うっさいよ!』とか『言い過ぎだよ!』とか返ってくると思ってたんだけれどな。まだ風邪は治り切っていないらしい」
ふふと笑うサフィールにクレイグが盛大な溜息を吐いた。まあ普段通りならそう返していたけれど、今日は別である。明日になればいつもどおりに突っ込み返すから、そう呆れた表情を浮かべないで欲しい。幼馴染に気を使われているなと私が苦笑いを浮かべていれば、ヴァルトルーデさまとジルケさまが小さく笑いながら口を開く。
「治って良かった」
「だな。なんだかよー慣れねーし」
へらりと笑うヴァルトルーデさまとなんだかしおらしいジルケさまの言葉に私のお尻がむずむずするが、昨日の夜はお世話になっている。
「ヴァルトルーデさま、ジルケさま、昨夜はご飯を運んでいただき感謝致します。味が分からなかったのは残念ですが……」
昨夜の夜ご飯はお粥だった。それもお米さまを使ったものである。アルバトロス王国では麦粥が主流だというのに、料理長さまは気を使ってお米さまでお粥を作ってくれたようだ。
残念なことはまだ味覚が戻っていないことだろう。今日は味を感じることはできるだろうか。やはり味を感じなければ、咀嚼するだけの作業となってしまい食事を楽しむことができない。それにしたって、調理部の皆さまにも手間を掛けさせてしまった。献立は数日分決まっていただろうから、作業予定を変更せざるを得なかったはず。感謝を伝えなければと私は頭の中でメモを取る。
「ナイが元気になったならそれで良い」
「味が分からねーってのはキツイよなあ……ヨウカンの味が感じられねーっことだろ?」
女神さま方は私が元気になったことを喜んでいるけれど、味覚がどうなっているのかが気になるようである。それは食べてみて検証しなければと思うものの、一つ気になることが頭に浮かぶ。
「あ。聖痕の件はどうなったのでしょう?」
そう、聖痕の一件はどうなったのだろうか。これで聖痕が消えたとなれば大騒ぎであるし、聖王国の面子が本当に地に落ちてしまうのではなかろうか。あ、いや、地よりも下に潜ってしまいそうだ。フィーネさまとウルスラさまお二人の名誉にも関わることだから、解決していると良いのだが……するとヴァルトルーデさまが私から視線を逸らして天井を仰ぎ見た。
「分からない」
西の女神さまのあっさりとした答えに私は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「あとで問い合わせてみますね」
「お願い。違和感を受けないから大丈夫なはず?」
私の声に真面目な顔でヴァルトルーデさまが答えてくれるけれど、疑問形で言葉を終えるのは如何なものだろうか。ヴァルトルーデさまの隣にいるジルケさまは『適当だなあ』とぼやいていた。
まあ、ヴァルトルーデさまの適当さは今に始まったことではない。父親であるグイーさまも適当だから血筋なのだろうと納得していると食事が運ばれてきた。給仕の方の説明によれば、お粥とパン食を両方用意してくれたとのこと。どちらも選べず迷っていれば、両方になさいますかと問われたため私は素直に頷いておく。私の分が運び込まれるのを待っていれば、ジークがなにか言いたげにこちらを見ている。なんだろうと視線を合わせると彼は更に笑みを深めた。ジークにしては珍しいようなと私は声を上げる。
「どうしたの、ジーク?」
「いや。いつも通りに戻ったと思っただけだ」
どうやら私の食欲が戻っていることにジークは安堵しているらしい。朝から心配させて申し訳ないけれど、これから普段通りに進むはずである。調理部の皆さまが手塩にかけて朝ご飯はまだかなーと扉を見れば、クレイグがはあと息を吐く。
「ま、ナイが飯はいらねえなんて断るなら、天変地異が起きるだろうな」
寝込む前でさえ完食していたしとクレイグが呆れながら肩を竦めた。流石にご飯を一食抜くだけで天変地異は起こるはずもない。お腹が極限まで空けば、私の魔力が暴走するかもしれないけれど。
「起きそうだね」
「起こしそうなのがなあ……」
私がクレイグに突っ込む前にヴァルトルーデさまとジルケさまが援護射撃を開始した。二柱さまであれば天変地異を簡単に起こすことはできるだろう。でも私はただの人間である。気合を入れなければ起こせないと言わんばかりに私は声を上げた。
「失礼ですよ!」
天変地異が起きればあとが大変である。設備が整っていない場所で起これば、回復に十年以上の単位が必要となるはずだ。軽々しく口にしてはならないと考えていれば、私の分の食事が運ばれてくる。
そうして手を合わせてお粥を口に運べば、少し味を感じることができた。まだ本調子ではないけれど、仕事に取り掛かる体力は十分に戻っている。お腹を満たして溜まっているであろう仕事を片付けようと、私はご飯を口の中へと掻き込んだ。
その様子を見たクレイグは『喉に詰まらせるなよー』と声を上げる。咀嚼機能はまだ弱っていないと突っ込みたい気持ちを抑えつつ、お粥とパンを食べ終える。味を感じるのは難しかったけれど、内臓は動いてくれているようで三日前の感覚とは大違いである。
「一日、頑張ろう」
私がそう告げれば、みんなは自分の持ち場へと向かう。ジークとリンはサボっていたからと訓練に参加するようだ。私も執務室へ行こうと席から立ち上がり、給仕の方に『料理人の皆さまにありがとうございました、とお伝えください』とお願いをする。
本当は美味しかったと伝えるべきであろうが、味覚は完全に戻っていないので感謝のみに留めておいた。そうして食堂を出て歩いていると、出会った皆さまから『ご当主さま、心配しました』『ご快癒されたのですね』と声を掛けられる。私は迷惑を掛けたと謝りつつ廊下を進んで、執務室に辿り着く。普段より到着の時間が掛かってしまっていた。でもまあ、仕方ないかと私は笑みを浮かべて、一度息を吐いて扉のノブを回して中へと入る。
いつも通り、執務室にはソフィーアさまとセレスティアさまと家宰さまが既に待ってくれており、私の顔を見るなりぱっと顔を輝かせる。なにか言われる前に先手を打とうと、私は礼を執った。
「すみません、ご迷惑をお掛けしました」
前世であれば菓子折りを差し出すのだが、今の立場の私が差し出しても困るだけである。社長みたいな立ち位置だし、私が休んでしまっても問題は少ないだろう。でもやはり、私が決めなければならないことがあるわけで。本当に申し訳ないと顔を上げれば、苦笑いを浮かべるお三方が私の視界に入った。
「気にするな。たった三日のことだ。どうにかなるし、どうにかするさ」
「ええ。真面目に日々の執務を捌いているナイですから、問題は特に起きることなく終わりましたわ」
「病み上がりですので、ご当主さまはゆっくりと作業に取り掛かりましょう」
お三方の声に素直に頷いて、当主用の席へと私は腰を下ろす。やはりある程度の重要な書類が溜まっていると、さっそく手に取って仕事を捌いていく。しばらく時間が経つと、ソフィーアさまが私の前に立っていた。
「ナイ」
「はい?」
なんだろう、ソフィーアさまが深刻な顔を浮かべて。悪い話かなと私が身構えれば、彼女は口を開いた。
「病み上がりで申し訳ないが、各国から見舞いの品が届いている。たくさんの竜の方が空を飛び、アルバトロス王国を目指していたからアルバトロス上層部に問い合わせが殺到したらしい。それに我々も黙っているわけにはいかないからな……」
凄く申し訳なさそうにソフィーアさまが声を上げた。まあ、風邪を引いた私が悪いし、各国の皆さまに悪意はないだろう。縁を繋ごうと躍起になっている方がいるかもしれないが、そんな方は厳重なチェックの中で弾かれている。とりあえず仲の良い方たちから返事をしますと私が声を上げると、セレスティアさまと家宰さまも申し訳なさそうな顔になっていた。
「お仕事、頑張ります!」
手一杯だからと気分を下げるよりも、ひとつひとつ捌いていくしかない。なんとかなるさと軽く考えておいた方が割と仕事が進むし、失敗したとしても重く捉えなくて済む。しかし見舞いの品ってどんなものが届いているのだろうと、変な方向にテンションが上がる私であった。




