1573:消滅の危機か。
アストライアー侯爵家とアルバトロス王国上層部に連絡を取れば、解決は少しでも早い方が良いだろうと転移魔術陣の使用許可を出してくれ、私、フィーネとウルスラはアストライアー侯爵領領主邸へ移動することになった。
多くの方たちに聖痕が薄くなっていることを知られれば、不安に駆られてしまうだろうと今回の一件は極少数の人たちだけに伝えてある。アリサは私とウルスラの聖痕が薄くなっていると知って、凄く驚いていたけれど……ヴァルトルーデさまに頼ればどうにかなると考えていたようだ。私もヴァルトルーデさまを頼って聖痕が薄くなってしまった理由を知ろうとしているのだから、アリサのことを安易に考え過ぎではと責められはしない。
ナイさまがいなければ私とウルスラは途方に暮れていただろうし、聖王国もまた象徴たる存在である大聖女を失うと悲嘆に暮れたはずである。本当に西の女神さまが下界で生活していることに、良かったと思う日がこようとは。
そしてナイさまが寝込んだと知らせが入った次の日のこと。
私とウルスラはアルバトロス城の転移魔術陣のある部屋に辿り着いていた。魔術陣に魔力を込める役はロザリンデさんが担ってくれたようである。彼女は凄く心配そうに私たちの前に立っていた。
「大聖女フィーネさま、大聖女ウルスラさま、ようこそ、アルバトロス王国へ」
しずしずと礼を執るロザリンデさんに私は私語を交わしたい気持ちを抑えて、大聖女としての挨拶を交わそうと口を開く。
「出迎え、感謝致します」
「筆頭聖女補佐さま、ありがとうございます!」
私の隣にいるウルスラも慌てて頭を下げる。今回の移動は極秘裏に行われているため、アルバトロス王国側は私たちの存在を知る人たちを最低限に抑えてくれていた。秘密を握って聖王国を脅すこともできるだろうに、アルバトロス王国の陛下の気遣いが有難いと胸を撫でおろす。
しかも転移陣にはエーリヒさまとユルゲンさまが控えていて、アルバトロス王国側の同行者として侯爵邸まで付いてきてくれるそうである。ありがとうございます、陛下と私は感謝をしながら、また転移陣の上に乗った。
今度はエーリヒさまたちも一緒だ。そして私が転移陣に魔力を込めるから実質、私の魔力でエーリヒさまを包み込むことができる。ちょっとした優越感を抱きつつ、魔力を込めればアストライアー侯爵領領主邸の地下室に転移を終えていた。
ナイさまは寝込んでいるから誰が転移魔術陣に魔力を込めてくれたのかと、私は部屋をきょろきょろと見渡す。見知った方はソフィーアさんしかおらず、もしかして彼女が転移魔術陣に魔力を込めてくれたのかと首を傾げれば、私たちの前に立つ。
「大聖女フィーネさま、大聖女ウルスラさま。ようこそ、アストライアー侯爵邸へ」
ソフィーアさんが私たちに向けて礼を執る。大聖女として受け入れてくれているからか凄くよそよそしい感じだ。でも挨拶を終えればいつも通りの彼女の語り口調になるはずと私も小さく頭を下げる。
「ナイさまが寝込んでいる時にお邪魔してしまい申し訳ありません。本日はよろしくお願い致します」
「よ、よろしくお願い致します!」
私とウルスラが頭を下げると、ソフィーアさんは『では行きましょう』と一階へと続く階段の方へと身体を向ける。階段を昇る彼女の背を見つめながら、私は気になることを問うために言葉を紡ぐ。
「ナイさまのご様子は?」
「今は寝ているよ。神父曰く、風邪らしい。寝て、滋養に良いものを食べれば自然に治ると」
私の声にちらりとソフィーアさんが振り返る。どうやらナイさまの病気自体は大したことはないようである。風邪は侮れないけれど、侯爵邸の環境であれば酷くなることはないのだろう。良かったと私は安堵して、ふと、大事なことに思い至る。
「あ。私かウルスラがナイさまに治癒を施しましょうか?」
そう、そうだ。私とウルスラは聖女である。いつも大聖堂に訪れる信者の方に治癒を施していたためか、寝込んでいる方に治癒を施すという感覚が薄くなっていた。侯爵領にも既存の聖女さまがいるはずだが、無駄な問いにはならないはずだ。良く思い出した、私と自画自賛しながら階段を上がり切ったソフィーアさんが扉の前で立ち止まり、私たちも扉の前で立ちずさむ。
「頼みたいところだが、ナイに一言聞いておきたいな」
ソフィーアさんはナイさまご本人の意思が大事だから、治癒は待って欲しいとのことだ。たしかにナイさまの意思を無視して治癒を施すのは乱暴だろう。怒られはしないし感謝されるかもしれないが、知らない間に治癒を施されていたと知れば納得いかない可能性もある。
「そうですね。ナイさまとお話できると良いのですが」
私とウルスラは小さく頷きながら、屋敷の主が目覚めるようにと願う他ないとソフィーアさんの案内に従って庭にでる。侯爵邸の庭は凄く広くて、綺麗に整備されている。季節の花が咲いている場所もあれば、紅葉している木も見えた。
冬というのに陽射しは十分注ぎ込んでいて温かいけれど何故か寂しさを覚えてしまう。そういえば広い公園には人の気配があるというのに、侯爵邸の庭では綺麗な花や木が見えるだけで今日は誰も見ていない。原因はこれかと一人で納得していると東屋に辿り着いていた。そこには既に椅子に腰を掛け、私たちを待っていてくれる方がいるのだった。お待たせしては申し訳ないと私たちは少し足早になった。そんな私たちに気付いた方が席から立ち上がって迎え入れてくれるのだった。
「フィーネ、ウルスラ。また会えて嬉しい」
ヴァルトルーデさまは相変わらず綺麗な方であるが、どことなく意識がこちらに向いていない。そわそわしているとでも言おうか……どんな言葉が正解になるか分からないけれど、知っているヴァルトルーデさまの空気ではないのだ。ジルケさまは『おう』と軽く言葉を紡いだだけで終わっている。本当にどうしたのだろうと不思議でならないが挨拶を返さないと失礼に当たる。
「ヴァルトルーデさま、ジルケさま。今日は私たちのためにお時間を割いてくださり感謝いたします」
「よ、よろしくお願い致します!」
私とウルスラが頭を下げる。案内を担ってくれたソフィーアさんは後ろに控えてくれるようだ。エーリヒさまとユルゲンさまも外務部員として後ろに控えてくれている。聖王国の面子も後ろに控えてくれて、二柱さまと私とウルスラだけの話し合いの場となっていた。
「構わないよ。ナイは寝てるし、私は暇だから」
「だよなあ。なんとなく調子狂うっつーか……」
ヴァルトルーデさまとジルケさまは肩を竦めた。なんとなく力が入っていないようなと考えていれば、ヴァルトルーデさまは私とウルスラの向こうを見ていた。
「エーリヒとユルゲンも一緒なんだね」
西の女神さまはエーリヒさまとユルゲンさまにも声を掛ける。通常の外交であれば無視すべき方たちであるが、ヴァルトルーデさまに外交習慣なんて分からないだろう。
微笑ましいと私は小さく笑って見守ることにした。エーリヒさまがヴァルトルーデさまに靡くことはなさそうだし、反対もなさそうだから落ち着いた心境で見守ることができる。もし相手が普通の美人な人であれば私はエーリヒさまに嫉妬の嵐を向け『デレデレしないでください』と心の中で叫ぶだろう。
「はい。今日は外務部員として、同行させて頂いております」
「同じく僕も外務部員として参りました」
ユルゲンさまとエーリヒさまが礼を執った。身内同士の会話というよりは説明を行うためのタンパクなものである。するとヴァルトルーデさまも『あれ?』と思ったようで、なにか考えるような素振りを取る。
「話しかけない方が良い?」
「大聖女フィーネさまと、大聖女ウルスラさまとの話が終われば問題は少ないかと」
困り顔でヴァルトルーデさまが問えば、エーリヒさまも少し困ったような表情で答える。ヴァルトルーデさまは私たち人間の習慣をなるべく汲み取るようにしているのか、少し考えているようだ。
「難しい……分かった」
「仕事ってのも大変だな」
ゆっくりと頷いたヴァルトルーデさまにジルケさまが片眉を上げながら『姉御はしょうがねえなあ』みたいな雰囲気で見上げている。見た目はそのままの姉妹であるが、人間の常識やルールとなればジルケさまの方が詳しい。
ヴァルトルーデさまは末妹さまに諭されてしまったことになにか思うところがあるようだし、ジルケさまはジルケさまでエーリヒさまとユルゲンさまに大変そうだなという表情を向けていた。
そうして、本題を終わらせようと私たちは話し合いの席に着く。私たちの聖痕が薄くなったとアルバトロス王国上層部とアストライアー侯爵家に連絡を入れると、直ぐに対応してくれたのだから感謝しかない。ウルスラは聖痕が薄くなっていることに気を揉んでいたから、西の女神であるヴァルトルーデさまから直接言葉を頂いたなら、仮に聖痕が消えたとしても心の傷は深くならないはず。
「こちらをご覧ください」
私が声を出し、ウルスラに視線を移す。すると彼女は腕を捲って薄くなった聖痕を皆さまに見せるように手を伸ばした。
「私の聖痕は位置が位置ですので……今、見せるのはご勘弁して頂けると助かります」
私の聖痕の位置はアレだし、皆さまも理解してくれているようで安堵の息を吐く。そうしてヴァルトルーデさまとジルケさまが興味深そうにウルスラの腕に視線を向けた。
「あ、本当だ」
「姉御の気分が落ちてるからなあ。それが影響してんだろ」
ヴァルトルーデさまが目を細め、ジルケさまが呆れたように息を吐く。
「え?」
「えって自覚ねえのかよ。姉御、ナイが寝込んで気落ちしてんじゃねーかよ」
驚くヴァルトルーデさまにジルケさまが声を上げた。いつもとヴァルトルーデさまの雰囲気が違うのはやはりナイさまが寝込んでいるからのようである。私がナイさまの下を訪ねると、ヴァルトルーデさまが側にいる。
人間の世界に興味があるからとヴァルトルーデさまはアストライアー侯爵邸に滞在するようになったけれど、ナイさまのあっけらかんとした性格が女神さま方の過ごしやすい環境となっているのだろう。だからこそ、屋敷の主が倒れてしまい寂しいと感じてしまうのは必然かもしれない。それにナイさまが倒れるイメージなんて全くなかったのだから。
「それは妹も」
「…………うっせ!」
姉妹で言い合いをしながら、ジルケさまが仮に聖痕が消えてしまっても、ヴァルトルーデさまに付与し直して貰えば良いと仰る。それは、凄く恐れ多いというか、聖痕が現れた以上の奇跡になってしまうのではないだろうか。
ナイさまのお陰で神さま関連のことに鈍くなっているような気もするが、改めて考えてもこうして女神さま方と話をしている時点で奇跡なのだから。いろいろと聖痕について話していれば、ウルスラが口を開いた。
「では、聖痕が消えることはないのでしょうか?」
ウルスラが眉を八の字にしながら二柱さまに問うている。
「消えたら消えた時。でも、フィーネとウルスラなら私の力を悪用しないから、なにかあれば付与し直す」
「そうして貰え。消えたら立場上、不味いんだろ?」
うんうんと二柱さまが頷いている。初めて会った頃に比べて随分と丸くなったのではないだろうか。そうしてお茶を頂いていれば、ナイさまが目を覚ましたという連絡を受けるのだった。




