1572:消えそう。
ナイが寝込んだと聞きつけて屋敷の主室に赴けば、寝台の上で静かに寝息を立てている姿があった。額に濡れた布が置かれていたから熱があるようだ。たしかに昨日のナイはご飯のお代わりしなかったから、身体が警告を鳴らしていたのだろう。
私たちは女神だから病気に罹ることはないし老いることもない。唯一、生まれれば死ぬということだけは絶対的なものであるが、長い時間を生きる神にとっては遠い未来のこと過ぎて実感が湧かない。人間は凄く短い一生を過ごすし、血が出ると割と簡単に死ぬ。そんなことにはならないよねと、庭で惰眠を貪っていた妹のところに私は足を運んでいた。
末妹はおばあの背の上でぼーっと空を見上げている。末妹のお腹の上にはポポカの卵が四つ乗っていた。おばあと一緒に卵を抱いているようだけれど……末妹はなにも思っていないようである。
私がおばあと妹の側に寄れば『なんだよ、姉御』と声を上げた。いつもであれば『どうしたんだ、姉御』と言いそうなものなのに、今日に限っては少し突き放すような言い方である。機嫌が悪いのかと思うものの、私の気持ちを聞いて欲しくて末妹の所にきたのだ。すごすごと自室に戻っても暇な時間を過ごすだけだと私はおばあの隣に腰を下ろす。
「ナイ、大丈夫かな?」
私が声を出せばおばあが『ぴょえ~』と情けない鳴き声を上げる。末妹は寝転がっていた身体を起こして、卵を四つ器用に抱き上げながら胡坐をかく。
「ただの風邪で死にはしねえけどよ、なんつーか変な感じだよな」
ゆっくりと卵を胡坐の上に置いた末妹は晴れた空を見上げた。どうして空を見上げたのか理解できないけれど、私も釣られて青い空に目を細める。視線の先には竜がくるくると空を飛んでいた。先程、中型の竜の仔や小型の竜の仔たちがナイを心配して屋敷まで飛んできている。亜人連合国に戻ると言っていたけれど、心配だから空で滞空飛行を続けているようだ。
「屋敷がなんとなく寂しい」
ナイ以外の人間はいつも通り元気だというのに、どうして寂しいと感じてしまうのだろうか。庭でくつろいでいるグリフォンと天馬たち普段より大人しい。私を見つければ駆け寄ってくれるルカとジアもいないようだし、穏やかに私の下へきてくれるエルとジョセもジャドも姿を見ていない。本当にどうしたのかと首を傾げれば、末妹がはあと小さく溜息を吐く。
「だなー。ナイの奴、昼からちょろちょろ動いてユーリの部屋で遊んだり、あたしらを呼んで茶の時間だって誘ってくれるけどよ、寝込んでるからそれもねえしなあ……」
末妹の声に私はナイの姿を思い描く。午前の執務が終われば自由時間だと言って、ナイは屋敷の中をウロウロしている。ユーリの下へ行き遊んでいることが一番多いけれど、時々、屋敷の人間と話をして仕事に支障はないかとかご飯は美味しいかとか、家族は元気とかいろいろ聞き回っていることもある。
庭で過ごしているグリフォンと天馬たちの様子を見ていることもあるし、警備部の訓練に顔を出して軽い怪我の治療に当たることもある。なにもすることがなければ図書室にきて静かに本を読むこともあった。そんなナイの姿が見れないだけで違和感を受けるとは思わなかった。もし屋敷の誰かが病気になったとして……気にはなるけれど、ナイが寝込んでいる今と同じ気持ちを抱けるのか。
うーんと唸れば、ふと夜のご飯もナイは姿を見せないのかと視線を空から庭へと移す。それにしたって、ナイがいないことで初めて経験することが起きていた。
「ご飯食べていても、いつもみたいに進まない」
本当にいつもみたいにご飯をお代わりしようと思えない。ナイがよく食べる上に美味しそうに、そして幸せそうに食べているからか、私の食も自然と進んでいた。今日、ナイが初めて朝ご飯を共にしなかったことで気付いたことである。やはり、ナイがいなければ美味しいご飯のはずのものが何故か物足りないのである。
「姉御、あたしが言えた義理じゃねえが、お代わりしなかったな。腹でも壊したのか?」
「違う。単にお腹が満たされた。不思議」
末妹が揶揄うような顔になり私を見ている。ナイの下で過ごすようになって、私と末妹は食欲が旺盛になっているけれど、今日はなんだか普段より半分も食べていない。食べないと屋敷のみんなが心配するから、一人前は食べておいたけれど……ナイが食事の席にいないなら別に食べなくても良いかな、なんて考えてしまう。
けれどナイが私たちが食事を摂らなかったと知れば、驚いて食べられるものはないかとか、食べたいものはないかとか、いろいろ聞き出してくれるはず。私は大陸を創造した女神だというのに、まるで人間のように扱ってくれるナイの側が心地良いのかもしれない。
「どうした姉御。オークがキレ散らかしているみたいな顔になってんぞ?」
「どんな顔なの……」
末妹を見た私は眉根に皺を寄せる。オークがキレている顔って一体どんな表情だろうか。それに私はオークのような顔ではないはずである。失礼な末妹だとむっと口を曲げれば、目の前の彼女は肩を竦めた。私は末妹に揶揄われたようだと息を吐き、庭から見える主室に視線を向ける。
「いつも通りに早く戻れば良いけれど」
「だなあ。ナイがいねえと調子が狂う」
私と末妹が溜息を吐く。ナイが早く元気になって、今抱えている妙な気分が解消されると良いのだが。またあとでナイの様子を伺いにいこうと末妹と話して、私はごろんと芝生の上に寝転がる。なんとなく身体の力が抜けるような感じを受けるけれど、寝込んでいるナイの所為だろうと決めつけて。
◇
――聖王国、大聖堂。
ナイさまが風邪を引いたという一報が朝に入った。大事にはしたくないそうで、仲の良い方たちのみの連絡となるそうである。風邪であれば、栄養のあるものを摂り数日寝ていれば、直ぐに元の調子に戻るはず。とはいえナイさまが寝込むイメージを持っていなかったから、珍しいこともあるものだと私は聖王国の大聖堂の中で訪れた信者の方へと魔術を施している。
以前とは違い、寄付金を募るようになった治癒院は随分と平和だ。
怪我や病気でもないのに聖女に治癒を施して貰おうと考える方は随分と少なくなっている。三年前にナイさまが聖王国に訪れていなければ、私は大聖女フィーネとして慌ただしく治癒を皆さまに施していたのだろう。
創星神さま方の集会も無事に終わり、大聖女として末席に加わらさせて頂いていた私は聖王国上層部の間で『今度は他の星の神と縁を結ぼうとは……』と驚かれている。
それも、これもナイさまのお陰である。誘ってくれなければ私は集会を行ったという事実しか知らされていないだろう。そして私が創星神さま方の集会に参加したことにより、聖王国は神に嫌われているのではないかという噂が立たずに済んでいる。危うい立場の聖王国だからナイさまも気を使ってくれたようだ。なにか滋養によさそうな品を贈ろうと考えていれば、ぱたぱたとこちらに向かう足音が耳に届く。
「だ、大聖女フィーネさま!」
ウルスラが凄く慌てた様子で私の下を訪れる。いつにも増して声量も大きいのだが、私はまだ彼女の顔は見ていない。随分と急いで私の下へときたようだ。私の隣にはアリサがおり、突然のウルスラの登場――今日の治癒院の当番からウルスラは外れている――に目を丸くしていた。私は大聖女たれと自分の心に言い聞かせて、自然に、でも少し威厳があるような笑顔を浮かべるようにと表情筋に命じてウルスラへと視線を向けた。
「どういたしました、大聖女ウルスラ?」
なるべく努めて平静を装った。周りには患者さんが多くいるため、地の私は見せられるはずもない。しかしウルスラも随分と落ち着いて大聖女らしくなってきたというのに、今日は危なっかしかった頃の彼女を見ているようだ。
「教皇猊下が大聖女フィーネさまをお呼びでございます! 急ぎ、執務室へ赴くようにと」
息を切らしながらウルスラが猊下の所に赴くようにと告げた。今日はなにも予定はなく、治癒院への奉仕を終えれば自由時間のはずであった。予定が埋まってしまったし、ナイさまになにを送るかも決めていない。
でもまあ、教皇猊下にナイさまへ送る品を一緒に考えて頂くのもアリだろう。用事が終われば、少し話があると伝えて悩んで貰おうと私は目の前の患者さんに視線を合わせる。私は診ていた患者さんに治癒を施したあと、私は静かに席を立った。
「申し訳ございません。予定が入ってしまいました。あとのことはこの場にいる聖女たちに任せます。では」
私の列に並んでいた人には申し訳ないけれど、教皇猊下が私を呼んでいるとなれば直ぐに向かうべきだろう。急げ、ということなので、なにか起こったようである。真面目なウルスラの顔色もあまりよろしくはない。
大聖堂の一角にある部屋で私は礼を執ったあと、アリサに『あとは任せます』と伝えれば『はい!』と彼女の元気な声が返ってくる。踵を返して大聖堂を抜け隣にある官庁へと移動をし、教皇猊下の執務室を目指す。廊下を歩いていると、私とウルスラさの姿を見た人たちが端によって礼を執る。私も目礼しながら足早に過ぎ、声を掛けてきた人には『急いでおりますので、失礼致します』と返して先を急ぐ。
そうして教皇猊下の執務室の前に辿り着き、息を整えたあとウルスラと一緒に部屋の中へと足を進めた。
すると執務机で肘を突き、手を顔に当てた教皇猊下がなんとも言えない表情で私とウルスラを見ている。そうして彼の目の前に立った私は口を開いた。
「召喚の命に従い馳せ参じましたが……猊下、どういたしましたか?」
どうにも執務室の空気がピリついているというか。部屋の中には教皇猊下の他にも護衛の騎士の人やシュヴァインシュタイガー卿もいるし、信頼できる神職者の方が数名控えており、皆さま一様に教皇猊下と同じ重い空気を醸し出していた。
「君は気付いていないのかな?」
教皇猊下の声に私は一体なにと押し黙った。うーんと頭を捻るものの皆目見当もつかないし、起きたことといえばナイさまが寝込んでしまったことくらいである。私が黙っていれば教皇猊下が視線の先をウルスラへと変える。
「ウルスラ」
「は、はい!」
教皇猊下の命にウルスラは腕の袖を捲って私の方へと向けた。ウルスラの差し出された腕には聖痕が……ある、あれ?
「聖痕が薄くなっている!?」
以前、見せて貰った時より確実に薄くなっている。複雑な模様だから、形をきちんと覚えていないけれど、聖痕の赤色がかなり薄くなっていた。私は驚いて目を丸く見開き、ウルスラに視線を向ける。
「ですので、大聖女フィーネさまの聖痕も確かめようとなったのです」
ウルスラは眉を下げ、悲し気な表情となった。彼女は大聖女であることに誇りを持っているから、消えればかなりショックな出来事となるであろう。私の場合はエーリヒさまと大手を振って婚姻できる、となるけれど……ウルスラは消えたことにショックを受けて、なにかとんでもない方向へと走りそうだ。しかし私の聖痕を確かめるのか、と微妙な気持ちになる。
「えっと……流石に私の聖痕をこの場で見せるのは……」
憚られるという言葉が私の喉から出なかった。
「もちろん承知している。シスター」
教皇猊下は私の聖痕のある位置を知っている。それ故に位の高いシスターを既に執務室へと呼んでいたようだ。
「はい。では別室へ参りましょう。大聖女ウルスラも同席してくださりませんか?」
「は、はい!」
シスターの声にウルスラが答え、私も頷き隣の部屋へと移動した。これで覗いている人がいれば最悪だけれど、変な行動をする人はいないはず。人払いが済まされ、部屋にはシスターとウルスラと私に護衛の女性騎士しかいない。皆、信用できる人たちだから、もし仮に私の聖痕が薄くなっていたとしても吹聴することはないはず。ごくりと息を呑んで私は服を脱いだ。
「大聖女フィーネさままで……一体、なにが起こっているのでしょうか……!?」
目を丸く見開いたシスターの顔色が次第に青くなっていく。護衛の女性騎士も顔を青褪めさせていた。ウルスラもまた『フィーネお姉さままで……!』とショックを受けている。でも、これ、ナイさまの屋敷で過ごしているヴァルトルーデさまに問い合わせれば、解決するのではないかと私は片眉を上げた。
「教皇猊下と話の続きをしましょう」
落ち着き払っている私にシスターと護衛の女性騎士がほうと安堵するような態度になった。慌てても仕方ないし、原因はなんとなく分かる。一先ず、対応策を練るべきと教皇猊下と話ために執務室へ戻るように私は促した。
……私の聖痕の位置は、右側のお尻の上にある。流石に男性には恥ずかしくて見せられないため、聖痕の確認をする時はこうして女性だけで行っていた。聖痕の位置についてもヴァルトルーデさまに聞いてみよう。特に決めておらずランダム付与だと答えが返ってきそうだけれど。




