1571:割と大騒ぎ。
アルバトロス王国王城にある国の頂点たる私の執務室では、良い歳をした男連中が集まって神妙な顔を浮かべていた。
部屋の隅には所在無さげにベナンター準男爵とジータス侯爵子息がこちらを見ている。私が一人掛けの椅子に腰を下ろし、他の者……宰相と宰相補佐と内務卿と外務卿に私の叔父であるボルドー男爵にヴァイセンベルク辺境伯が応接用の三人掛けの椅子二つに座っていた。
「まさかナイが寝込むとはなあ。十年近く後ろ盾を務めてきたが初耳だ」
「アストライアー侯爵は間を置かず、事件が起きて巻き込まれていますから。今まで倒れなかったことが奇跡なのかもしれません」
ボルドー男爵とヴァイセンベルク辺境伯が苦笑いを浮かべていた。叔父上はアストライアー侯爵の後ろ盾を十年ほど務め、ヴァイセンベルク辺境伯も三年近く務めているが、元気な姿のアストライアー侯爵しか見たことがないようだ。私も彼女の身がひ弱とは思っていなかったので、昨日の昼頃『ご当主さまが寝込んでおります。ただの風邪のようですが、念のためにご報告いたします』とアストライアー侯爵家の家宰から連絡があった。
アストライアー領主邸の者たちは当主が寝込んでしまったことにより、普段の活気がないそうである。アストライアー侯爵と共に過ごしている竜たちや天馬にフェンリルとフソウの神獣たちとグリフォンもなんとなく元気がないとのこと。
現に執務室に集まっている面子も落ち込んでいるような気がするのは、私の気のせいであろうか。風邪ということなので、長くても一週間ほど回復に時間が掛かるはず。私は執務室にいる面子を見渡して声を上げる。
「アストライアー侯爵が寝込んだと話が広まれば、方々から問い合わせや見舞の品が届くはずだ。一応、窓口を増やしておくべきか」
彼女の顔は四大陸全ての国に知れ渡っている。もし大陸全てに情報が流れれば、見舞いの品にかこつけて、侯爵と深い縁を繋ぎたいと願う者は大勢いるはず。
全てを受け入れたならばアストライアー侯爵家は手一杯となるだろうし、我々アルバトロス王国がある程度制限を設ける方が無難だ。既に侯爵と縁を繋いでいる各国の王室ならば特に問題はあるまい。あとはアストライアー侯爵の威光に預かろうとする不届き者をどれだけ防げるかが勝負であろうか。私は宰相や外務卿に『小者から送られた品は送り主に戻せ』と伝えた。
宰相は私の言葉を聞いて苦笑いを浮かべながら口を開く。
「貴族だけではなく、王都や他の領地の者たちが知れば騒ぎになるでしょうね」
「あまり噂が広がらないで欲しいが……無理だろうな」
私が無理だと言えば、他の者たちが神妙な顔を更に神妙にさせた。叔父上だけは愉快そうな表情で話を聞いているから、心の中で面白いことにならないかと望んでいるようである。本当に叔父上だけはと呆れながらも、叔父上だからと私は目を瞑る。
「ええ、無理でしょうね」
「無理ですな」
宰相補佐と内務卿の声が聞こえると、最近は自部署の忙しさに嬉しそうな者が言葉を紡ぐ。
「噂はすぐに広まりましょう……現に竜たちが王都の空を飛び、アストライアー侯爵領を目指しているのですから……アストライアー侯爵になにがあったと騒ぎになるかと」
外務卿の声に我々一同は執務室の窓を見た。どうやら亜人連合国の竜たちはアストライアー侯爵が寝込んだと話を聞いたようで、空を見上げれば竜が飛んでいる。飛竜便のお陰か、三年前より王都の者たちは落ち着いているものの、今日のように頻繁に竜が空を飛べばなにかあったと勘づくはず。創星神さま方の受け入れが終わったと安堵した矢先の出来事に、我々一同は驚きを隠せないでいた。なににせよ。
「早く治ると良いのだがな。アルバトロス上層部もアストライアー侯爵になにか贈ろう」
私は閉じていた目を開いて部屋に集まっている者たちに視線を送り、なにが良いかと案を求めた。普通の貴族令嬢が寝込んだ際に送る品といえば、花束が定番となり、親密度が深ければ装飾品や宝石にドレスとなる。
さて。私はアストライアー侯爵との付き合いは長くなっているが親密度となれば叔父上には敵わない。ただ花束を贈るとなれば距離感があり過ぎる気がしてならない。
丁度良い品を選ぶとなれば難しいものはない。寝込んでいれば暇な時間も出てくるだろうから、本を贈っても良いだろうか。しかしながらアストライアー侯爵が本を読む姿を私は想像できない。幼馴染の双子と侯爵がアルバトロス城の廊下を歩いている姿の方を頭に想い浮かべてしまう。良い案が思いつかないと、私はベナンター準男爵とジータス侯爵子息に視線を向け、なにか良い品はないだろうかと問うてみた。
「アストライアー侯爵閣下であれば、美味しい料理やお菓子を喜ばれるかと」
「先日の集会では創星神さま方に美味しい品を紹介し、お菓子もお薦めを告げておられました」
やはりそうなるかと執務室にいる一同が肩を竦めた。そうなれば王都で人気のある焼き菓子店の品を贈るべきか。それとも他国から取り寄せるべきか。そもそもアストライアー侯爵家では我々でも口にしたことのない珍しい料理が提供されていると聞く。難儀なものだなと私がベナンター準男爵とジータス侯爵子息から視線を離して皆の方へと顔を向ける。
「装飾品や衣装で喜ばないというのも考えものだな……」
はあと私は小さく溜息を吐く。もし私がアストライアー侯爵につまらない品を贈れば、創星神さまへと話が伝わる可能性がある。この星の創星神さまはアストライアー侯爵を随分と気に入っているから、妙な品や適当な品を贈れば創星神さまの機嫌を損ねるかもしれない。うっと腹が痛くなるのを感じて右手で抑えると、叔父上とヴァイセンベルク辺境伯が私を見た。
「ナイだからな」
「侯爵閣下ですからねえ」
たしかにアストライアー侯爵だからで済ませることはできる。できるのだが、彼女の周囲の者たちのことを考えると下手は打てないだろう。本当になにを贈るべきかと我々は悩み抜きながら侯爵の快癒を願うのだった。
◇
ナイが寝込むのは珍しい、というか付き合いの長い俺たちでも初めてのことだった。
俺と妹のリンが貧民街の仲間たちの輪に加わる前、クレイグとサフィールは一度だけナイが調子を崩したところを見たことがあるそうだ。その時は一晩寝て、起きればナイは回復していつも通り仲間内で食べ物を探しに王都の街へと繰り出したとか。
今回は本格的に風邪を引いたようで、ナイは自室のベッドの中で静かに寝息を立てている。クロとヴァナルとフソウの神獣と毛玉たちもナイが寝込んでいることを理解して、部屋で静かに過ごしている。
普段の毛玉たちは気ままに三頭だけで庭に出て遊んでいるというのに、今日は一日ナイの部屋で過ごす気でいるようだ。三頭は固まって床の上に寝転び、前脚の上に顔を置いて時折鼻を鳴らしているのだが、寂しいのかなんなのか随分と高い音である。
俺もリンも午前の訓練を休ませて貰い、ナイの部屋で過ごしていた。静かに眠るナイの側にはクロが枕の横で様子を見守っている。俺たちも椅子に腰を掛け、水に濡らした布を彼女の額の上に置いているのだが……効果はどれほどのものなのか。本当に珍しいことがあるものだと俺は隣にいるリンを見る。
「流石に疲れが溜まっていたか」
「多分。ナイは弱いところを見せたがらないから、分かりづらい」
俺の声に妹のリンが答えた。出会った頃から誰かを導く立場を取ることが多かったナイだからか、弱いところは見せられないと努めている。俺たちの前でくらい弱音を吐いて欲しいと願ってしまうが、おそらく前世のこともあって余計に言い出し難いようだ。
本当に難儀な性格をしているというか、頭が固いというか……俺もリンもそんな彼女が好きだから側を離れられないのだが。俺たちの声にクロが顔を上げてこちらを見る。
『ナイは身体の調子が悪いって自覚が薄いみたいだからねえ。困ったものだよ』
「だな」
「だね」
クロの声に俺たちが同意すると、外で竜の咆える声が聞こえてきた。ぴりぴりと窓が揺れて外を見ると、庭に中型の竜の方が降り立ったようである。他にも小型の竜たちも降りてきているようで外が騒がしくなっていた。
『ボク、外に出てみんなと話してくるね~ナイが起きちゃうよ』
クロはやれやれと言った感じで目を細めながら、外に出ようと翼を広げる。流石に亜人連合国から竜の方がくると連絡を受けていないので、彼らは唐突に侯爵邸に赴こうと思い至ったのだろうか。なににせよ数多くの竜が飛んできたようだから、少し騒ぎになるかもしれないと俺はクロに頷く。リンが席から立ち上がって、クロのために窓を開けば翼を広げて庭へと飛んでいく。
「くるなら知らせが入りそうだけれど……」
「ああ。代表殿が知らない間に竜が飛んできた可能性もあるな」
リンが不思議そうに首を傾げ、俺はふいに考えたことを口にする。ぱっと思いついたにしては、割とあっているのではないだろうか。代表殿が今訪れている竜より先にナイが倒れたと聞いたなら自制を求めるはず。
ただ、ナイは本当に竜に慕われているのだなと窓の外を見れば、出て行ったクロがパタパタと翼を広げて部屋に戻ってきた。ゆっくりと部屋の中へと入ったクロは何度か翼を上下に動かして俺の肩に乗る。するとアズが嬉しそうにクロの身体にすりすりと自分の顔を擦り付ける。クロは照れ臭そうにしながら、外の竜たちと話した内容を伝えてくれた。
『妖精が教えてくれたって。代表たちより彼らは先に教えて貰ったみたい。妖精がね、大変だー大変だーナイが死んじゃうーって向こうで触れ回ったみたい……だから急いでこっちにきたみたいだから、あまり怒らないであげて~』
「俺たちより、代表殿とアルバトロス王国に伝えた方が良いかもしれないな」
「代表は竜が迷惑を掛けたって謝ってきそう」
クロの声に俺とリンは肩を竦めながら笑う。本当に竜や妖精の姿がありありと情景に浮かんでくるのは面白い。窓の外には中型の竜が顔を伸ばして、部屋の中を覗き込んでいた。俺は椅子から立ち上がって窓へと歩いて行く。
『聖女さまは御無事でしょうか?』
「はい。風邪を引き安静にしております。しばらくすれば回復しましょう」
俺の声に中型の竜の方が首を傾げた。
『重傷を負ったり、危篤ではないのですね?』
「ええ。大丈夫です」
『それなら良かった、というのもおかしい話ですが……ご自愛くださいと伝えてくださいましょうか』
どうやら目の前の中型の竜は心配症らしい。俺がもう一度声に出せば安堵したように目を細めていた。
「分かりました。必ず」
『それと先程は慌ててしまい、つい咆えてしまいました。真に申し訳ございません』
「いえ」
中型の竜の方がしゅんと首を下に下げれば『では、長居をしてもご迷惑ですので戻ります。代表たちにも伝えておきますね』と言い残して庭を飛び去って行く。すれ違いに家宰殿が部屋に現れて、状況の説明と亜人連合国から謝罪の報が入ったと教えてくれるのだった。
◇
――アストライアー侯爵家、調理場。
昼の時間が過ぎた頃。屋敷の主だった方たちの昼食も終わり、従業員に向けた食事の提供をしようとなった頃、急いで調理場へと駆けこむ若い料理人がいた。俺はアストライアー侯爵家の古参の料理人として振舞わなければと、若い料理人を見ながら目を細める。時と場合に寄れば走ってはならないと注意をしなければと少し溜息を吐く。そして急いで調理場へと駆けこんだ若い料理人は調理台の上に両手をばんと乱暴に置く。
「み、皆さん! ヴァルトルーデさまとジルケさまが昼食のお代わりを求めませんでした!!」
「な、なんだと!?」
「もしかして女神さま方も体調不良なのか!?」
若い料理にの声に調理場がざわめき立つ。いつも美味しい、美味しいと幸せそうに食事を摂る女神さま方がお代わりをなさらなかっただと!? それはとんでもない事態だと皆が顔を青褪めさせた。どうする? どうしよう? どうすれば?? という声がどこからともなく上がれば、どこからともなく別の声も上がる。
「ご当主さまが寝込んでおられる影響か? ご当主さまと凄く懇意になさっているから、心配で食事が喉を通らないと?」
その声に一同がはっとした顔になる。ご当主さまと二柱さまは御姉妹のように仲が良い。だとすれば、女神さま方が食事のお代わりをなさらないことにも納得ができてしまう。ご当主さまは女神さま方の食事量にも影響を与えてしまうのか。早くご当主さまの御病気が治りますようにと、調理場の者たちは夜に提供する予定の病人食をどうしようかと相談を始めるのだった。




