1570:案の定。
今日も一日頑張ったと自分で自分を褒めてベッドの中に潜り込む。寒さが深くなっていく季節、少し肌寒さを覚えながら私の意識が落ちていく。夢も見ないまま朝、目が覚めて身体を起こすと身体が軋んだ。運動はほぼしておらず、身体が軋む理由はどこにもないはず。あり得るとすれば睡眠時間を取り過ぎるくらいだろうけれど、いつも通りの時間に寝て、いつも通りの時間に起きている。
頭の中で疑問符を浮かべながらベッドから降りようとすれば、クロが寝床の篭の中から身体を起こした。まだ眠いのかくわっと口を開けて大きな欠伸をしている。指を突っ込んだら大変なことになりそうだと私は小さく笑って、声を出そうとすれば喉に違和感を覚えるものの、込み上げてきた言葉を堪えることはできない。
「ぉはょう、ク、ロ……あ、れ?」
喉が異様に乾いており、声が凄く出辛かった。ちゃんとクロに届いたか分からないなと私が言い直そうとすれば、クロは目を見開きながら声を上げる。
『ナイ、おはよう。声、凄いことになってるよ? 大丈夫?』
「だ、いじょうぶ。こえ、でづらいだけだから」
なんで声が出辛くなったのやら。そういえば昨晩は少し冷えていたから、私は気温の変化の影響を受けたのだろうか。まあ体調には差しさわりないと、ベッドの下にあるスリッパに足を通した。するとヴァナルも起きてきて、私の前にちょこんとお座りの姿勢を取って顔を覗き込んでくる。
『主、大丈夫?』
「だい、じょうぶだよ。たいしたことないよ」
声を詰まらせながら答えると、雪さんと夜さんと華さんがやれやれと言った様子でヴァナルの横に腰を下ろした。毛玉ちゃんたちも起きたようで、不思議そうに私の顔を見上げている。
『ナイさんの大丈夫はあまり信用がありませんねえ』
『エッダがくれば、他の者に伝えて貰うようにお願いしましょうか』
『寝台の上で大人しくしていましょうね。ナイさん』
雪さんたちの声にクロとヴァナルが賛同していた。そうしてクロは籠の中から飛んで出てきて、私の寝間着の肩の部分の布を優しく噛んだ。どうやら起きることを阻止しているようだ。
ヴァナルも座ったまま『動かない方が良い』と言っている。壁に飾られているヘルメスさんは魔石を光らせるものの、なにも口にしない。良く喋るヘルメスさんが珍しいと感心していると、そういえばロゼさんも私の影の中から出てこないのは珍しい現象ではなかろうか。なんだろうなあと考えながら、喉が痛いくらいで仕事を休むわけにはいかないと私は部屋のみんなを見た。
「あさごはん、よういしてもらっているし、しごともあるから』
私は寝間着を食んでいるクロに手を伸ばして、放して欲しいとやんわりと伝える。するとクロは『駄目だよ~』と声を上げ、ヴァナルたちまで駄目だと険しい顔になっていた。
みんな過保護だと笑ってベッドの上でエッダさんを待つしかないようである。しかし喉の調子以外は本当に普段通りだから、問題ないと判断されるはず。今日の仕事はなにをすべきかと頭の中で捌く順番を考えていれば、毛玉ちゃんたちがしゅばっと立ち上がり廊下に続く扉の方へと身体を向けた。
『よんできゅりゅ!』
『あたちもいく!』
『えっだ~~~!!』
尻尾をぶんぶん振りながら、毛玉ちゃんたち三頭が走って部屋を出て行く。朝、毛玉ちゃんたちが勝手に廊下に出るのは珍しいことだから、他の方たちは驚かないだろうか。そしてエッダさんも驚いて、急いで部屋に駆け込みそうだ。私の喉が痛いくらいで騒ぎすぎだとベッドの上でエッダさんがくるのを待っている。すると毛玉ちゃんたちに『早く』と急かされながら、エッダさんが少し困った顔を浮かべて部屋にきてくれた。
「あさ、から騒がしく、て申し訳、ありません」
「ご、ご当主さま!? 声が枯れておられますよ! 少々、お待ちくださいませっ!!」
私の声を聞くなりエッダさんは目を丸く見開いていた。目ん玉が落ちそうだなと妙なことを頭に過らせれば、エッダさんは踵を返して部屋を出て行く。足がいつもより速く、直ぐに部屋からエッダさんは姿を消してしまった。
「はなす、ひま、ないまま、エッダさんが、いっちゃった」
『声、起きた時より酷くなっているねえ。ナイ、大人しくしてよう?』
私がエッダさんが出て行った方に視線を向けていれば、クロが膝の上に乗って顔を見上げている。あまり見たことのない表情でクロが見上げるものだから、大人しくしていた方が良いのだろうか。
おそらくベッドから私が降りたとしても、みんなはじっとしていろと言うのだろう。であるならば、次に訪れる方を待って、起きて良いかどうかの判断を仰いで貰うしかない。大人しくしていようと私はベッドの頭に背を預け、ぼけーと誰かがくるのを待つのだった。
◇
体調がよくないのは、ご当主さまを一目見れば分かった。
朝。毛玉ちゃんたちが廊下を歩く私の下へとやってきて『はにゃく!』『こっち!』『にゃいが!』と忙しなく声を上げた。要領を得ない毛玉ちゃんたちの言葉を聞いていれば、なんとなくご当主さまに異変があったということだけは分かった。
私は急ぎ足になって毛玉ちゃんたちと一緒にご当主さまの部屋へと急げば、ベッドの上でご当主さまがちょこんと乗っていたのだ。
私に視線を向けたご当主さまは力ない様子で苦笑いを浮かべる。そうして朝の挨拶をしなければとご当主さまが声を上げた。その声は枯れている上に、表情に覇気がない上に目がとろんとしていた。熱がありそうだと一瞬で判断をしたものの、ご当主さまの侍女として私がすべきことは侍女長さまへの連絡である。昨日、家宰さまから『ご当主さまの体調に留意して欲しい』という知らせが下されていた。
どうやらご当主さまは昨日から体調が優れなかったようで、昨日も介添えを果たしていたというのに全く気付けなかった私は侍女失格なのかもしれない。気付けなかった悔しさにぐっと歯噛みしてしまう。とはいえ過去を取り戻すことはできないから、一刻も早く侍女部屋に向かい侍女長さまにご当主さまの状況を伝えるべきである。
ご当主さまの侍女となり早三年。毎朝、元気に私に挨拶をくれるご当主さまが、今日は凄く辛そうにしている。でもご当主さまのことだから、いつも通りに朝ご飯を食べて仕事をしなければと動くはず。
ベッドの上で私を待ってくれていたのは、クロさまたちの説得があったからに違いない。侍女部屋前に辿り着き、私は勢い良く扉を開ける。すると侍女長が私の姿を見て、ぴくりとこめかみを動かした。いつもであればご当主さまの介添えの時間だ。だというのに私が侍女部屋に現れたことに、侍女長は幾通りの可能性を考えているのだろう。
「侍女長さま!」
「エッダ、どうしました? ご当主さまの介添えの時間では?」
やはり私の行動に侍女長は不信感を覚えたようだ。でも、今はそんなことよりも。
「ご当主さまの体調が優れないようです。急ぎ伝えるべきと判断して戻って参りました」
侍女長は私の声を耳にして、席から勢い良く立ち上がる。家宰さまから連絡が入っていたことと、調理部の料理長から、ご当主さまの昨日の食事量が下がっていると報告が入っていたこともあり、念のために備えていたようだ。
「関係各所に連絡を! エッダ、ご当主さまの部屋へ一緒に向かいましょう」
侍女長は部屋にいる侍女に命を下した。そして初めての事態に緊張した雰囲気を醸し出している。ご当主さまの体調が優れないと、私たちが動くのはこれが初めてのことである。今まで忙しいであろうご当主さまが、調子を崩さなかったことが奇跡なのだろう。
先を歩く侍女長の後ろ姿を私は眺めながら廊下を足早に歩いていれば、ジークリンデさんと途中で合流した。私がご当主さまの部屋にいないことが不思議だったようだけれど、なにかはっと気づいたような顔になり、ジークリンデさんが凄い勢いで廊下を走り始めた。ジークリンデさんの後ろ姿は直ぐに小さくなるとジークフリードさんも姿を見せる。彼はジークリンデさんが走る姿を見た途端になにかを察知したのか、ばっと廊下を走り始めた。
「足速い……」
「騎士ですもの。それにご当主さまの専属護衛に就いていますもの」
私がジークフリードさんとジークリンデさんの足の速さに驚いていれば、侍女長が私の方を見た。そして我々も急ぎましょうと声を上げて、また廊下を足早に移動する。こういう時はタウンハウスの子爵邸のこじんまりとした感じが懐かしい。アストライアー侯爵領の領主邸は王都のタウンハウスである侯爵邸より広いし……早く辿り着けと足を動かしていれば、ご当主さまの部屋の前に辿り着く。
不思議なほどに廊下はしんと静まり返っていた。
ご当主さまの部屋の中に足を踏み入れ寝室へと進んでいく。いつもであれば誰かがご当主さまの部屋に入れば毛玉ちゃんたちが歓迎してくれるのに、お迎えがない。毛玉ちゃんたちはご当主さまの側にいるのだろうか。
慌てた様子で私を呼びにきてくれたのだから、ご当主さまが辛そうにしている姿は毛玉ちゃんたちにはショックな光景なのかもしれない。侍女長と私がご当主さまの寝室に入れば、丁度、ジークリンデさんがご当主さまに掛布団を被せている。
ジークフリードさんはジークリンデさんの隣で小さく息を吐いていた。侍女長さまと私に気付いたクロさまが翼を広げてこちらへと飛んでくる。侍女長が腕を差し出せば、クロさまがゆっくりとそこに乗り広げた翼を閉じた。
『戻ってくるのを待っていたんだけれど、ジークとリンがきて、ナイ、寝ちゃった』
クロさまは普段より随分と声を絞っていた。ご当主さまの寝顔を私は初めて見たかもしれない。ご当主さまは朝はお一人で起きられ、私が介添えをしようと部屋を訪ねれば既に起きておられる。時折、ジークリンデさんと床を共にした時はベッドの上で話をしながら、私を待ってくれることもあるけれど……思い返せばご当主さまの寝顔を私は一度も見たことがなかった。幼馴染であるジークフリードさんとジークリンデさんがご当主さまの下へ行けば安心なされたのだろうか。
ヴァナルさんと毛玉ちゃんたちは床にお尻を付けて心配そうにしている。神獣さまはヴァナルさんの隣で私たちの顔をじっと見ていた。侍女長はごほんと小さく咳払いをして、クロさまに視線を向ける。
「クロさま。ご説明感謝致します。ジークフリードさん、ジークリンデさん、ご当主さまのご様子は?」
「熱があるようです。おそらく体調不良かと」
「風邪っぽい」
侍女長の声にジークフリードさんとジークリンデさんが答えてくれる。どうやらご当主さまの身体は普段より熱いとのこと。侍女長は私に掛け布を増やすことと、領都の教会にいる神父さまを呼ぶようにと命じた。
私は急ぎ掛け布を取りに行き、出会った侍女仲間に教会の神父さまを召喚して欲しいと事情を話てお願いをする。そうして待っていれば、息を切らした神父さまがご当主さまの部屋へと向かった。神父さまと一緒にきていたシスターがご当主さまの身体に触れる。そうしてシスターは神父さまと一言二言、言葉を交わして私たちの方を見た。
「風邪でございましょう。滋養のある食事を摂り、良く寝ていれば自然に治るかと。酷くなるようであれば聖女を派遣致します」
そう告げた神父さまはそそくさと部屋を出て行く。私は水桶や布を用意して、あとのことはジークフリードさんとジークリンデさんに任せようと部屋を出た。なんとなく侯爵邸に活気がないようなと、いつも歩いている廊下が随分と長いように感じて私は窓の外を見るのだった。




