1568:ぽんこつ再発。
屋敷の片付けや報告書とお礼状の作成が終わったのは、創星神さま方の集会から三週間が過ぎていた。
少し大変だったけれど、屋敷はいつもの静けさを取り戻して日常へと戻っている。庭を見れば天馬さま方がのんびりと過ごし、時折グリフォンのイルとイヴがダッシュする姿も見ていた。おばあは陽の当たる場所でポポカさんたちの卵を温めながら寝ている。
お猫さまであるトリグエルさんは調理場が暇になったと知った途端に『カツオブシ!』と強請りに行っているそうである。クロとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんに毛玉ちゃんたち、ロゼさんも気ままに一日を過ごしている。ユーリも操る語彙が多くなっているし、身長も伸びて顔立ちが少し変わっただろうか。
部屋には変わらず七色に光る石が机に鎮座しているし、グイーさまから預かっている堕ちた神さまを捕まえるための石もあった。
神さまから譲り受けた石が二つあるなんて信じられないけれど、実際に机の上に存在しているのだから目を逸らすわけには……って、亜人連合国との連絡用の魔法具とAさまの婚約者の方から預かっている通信機だってとんでもない代物だ。
本当に他の貴族家にはないものが、アストライアー領主邸には存在しているなあとベッドからもぞもぞ起きて、朝ご飯を食べる準備を進める。エッダさんが部屋に顔を出し、入れ替わりでクロたちが部屋を出て行く。着替えを終えたと伝えればクロたちが忙しなく部屋に入ってくるのが毎日のルーティーンだ。
平和な時間は尊いなあ。
忙しいものの、平和な時間が流れている。私はみんなに朝ご飯を食べに行こうと伝えれば、部屋の外にはそっくり兄妹が待ってくれていた。おはようと三人で声を掛け合い、またいつも通りに廊下を歩いて行く。
既に仕事に就いている方は多く、しっかりとした足取りですれ違って行く。すると七色の創星神さま、シェクトさまの突然の登場に腰を抜かした下働きの小母さまの姿を捉える。下働きの小母さまも私の姿を認めて、廊下の端に寄り頭を下げた。
「おはようございます。落ち着かれましたか?」
仕事中だから上司である私が廊下を通っても気にしないで欲しいのだが、そうはいかないのが彼らの決まりらしい。顔を上げてくださいと伝えて声を掛けると、下働きの小母さまは眉尻を下げながら答えてくれる。
「おはようございます、ご当主さま。はい。驚いて腰を抜かしてしまいましたし、創星神さまの偉大さにまともに喋ることができず失礼な態度を取ってしまい……本当に申し訳ない限りでございます」
創星神さまに失礼な態度を取ってしまったが、あの場で問題は解決したはずである。シェクトさまもあのあとに下働きの小母さまに言及することはなかった。ただ下働きの小母さま的に、神さまに失礼な態度になってしまったからなにか起こるのではないかと気が気ではないらしい。たしかにソワソワしてしまう案件だろうか。まるで悪戯が親に見つからないようにと願う子供のようであるが、相手は創星神さまである。親より怖いはずと私は口を開く。
「機会があれば、彼のお方に伝えておきますね」
シェクトさまには困った時に石に声を掛ければいいと言われたが、流石に困っていない時に連絡は取れない。でもまあ、下働きの小母さまが私の言葉で落ち着いてくれると良いのだが。
「か、感謝いたします。ご当主さま」
顔を引き攣らせた下働きの小母さまに私は朝食を摂ってきますと伝え場を離れる。また侯爵邸の廊下を歩いて食堂を目指すのだが、私はうしろに顔を向けた。
「大丈夫かな?」
「さっきの人のことか?」
私の疑問にジークが小さく首を傾げた。当たっているので私は無言で頷く。するとリンが口を開いた。
「どうだろう。気にする人は気にするだろうし、気にしない人は気にしない」
たしかにリンの言うことには一理ある。神さまに対して取った態度を気にする人は気にするだろうし、気にしない人は気にしないのだろう。そして神さま側も同じではなかろうか。うーんと悩んでいる私にジークが片眉を上げながら笑う。
「こればかりはなるようになるしかない、じゃないか?」
ジークの声にそうだねと私が答えれば、丁度食堂の扉の前に辿り着いていた。中に入ればヴァルトルーデさまとジルケさまが席に腰を下ろしており、クレイグとサフィールも先にきていたようである。
私は遅くなって申し訳ないと謝ってから席に腰を掛けた。そうしてまたいつも通りに朝の食事が運び込まれてくる。今日はパン食と野菜ゴロゴロ入りスープだ。お腹に優しいし、味付けも優しいものだった。席に腰を降ろしているみんなも落ち着いて食べている。調子の悪そうな人はいないようだと私は安堵して、今日の仕事に取り掛かるかと気合を入れた。
「ごちそうさまでした」
ぱんと手を合わせて声を上げる。そうして椅子から立ち上がり『執務室に行くね』と口にすれば、肩の上にクロが乗り、ヴァナルたちが私の後ろをついてくる。これもいつも通りと笑いながら部屋を出ようとすれば、絨毯の目深さに足を取られるのだった。
◇
――どんくせえのに拍車が掛かってねーか?
時折、ナイはなにもない所でずっこけているものの、先程のアレは酷くないだろうか。クロたちが大丈夫かと聞けば、ナイは平気だと答えていたけれど……どうにも神さま方の集会を終えたあとから少しナイの調子がズレているというか。
以前にもそういうことがあったものの、ジークが行動に起こしたからだと結論付けていたし一過性のものだった。ただ一過性で終わったのは、腹を決めたジークの行動は忙しさに追われて、ナイの中でどっかに吹っ飛んでしまったからであるが。それにしても。
「飯、お代わりしなかったな……」
俺がぼそりと呟けば、食堂に残っていたサフィールとジークとリンにヴァルトルーデさまとジルケさまが顔を上げる。ナイは時折、転げそうになるのは偶にあることだが、飯をお代わりしないのは本当に稀有な事象だ。お代わりしない時は必ずあとでたらふく食べられる状況が控えている。だが、今日はこのあとなにか開催されるわけではない。
食事を残すことも彼女の中では禁忌に近い行為であり、仲間である俺たちはソレを知っている。残していないのは無理に食べていたのかと勘繰ってしまうくらいには。
「うん。驚いた」
サフィールが主のいなくなった席に視線を向けていた。彼もまた首を傾げ、今日のナイの行いが不思議でたまらないようである。
「珍しいな」
「大丈夫かな、ナイ」
そっくりな双子の兄妹もナイが出て行った扉を見つめていた。彼らは訓練に参加するため、ナイについていかなかったのだ。だからこそ二人はわざわざナイの部屋まで迎えに行くという過保護なところを見せているのだが。
まあ、ジークとリンがナイに過剰に甘いのはいつも通りなのだ。死地を潜ってきた彼らは、俺には分からないなにかで結ばれている。リンがナイを心配してソワソワしているが、ジークが訓練が終われば存分にナイの側にいられるとその態度を諫めていた。双子の関係も相変わらずだと眺めていれば、ヴァルトルーデさまとジルケさまは食事を再開させながら声を上げる。
「天変地異が起きる?」
「それを起こすのは姉御の役目だぞ。本来はな」
小さく首を傾げるヴァルトルーデさまにジルケさまが適格な指摘を述べた。たしかに天変地異を起こすのであれば、大陸を創造した女神さまであろう。愚かな人間の所業に呆れ、罰として火山の噴火や洪水に雷を落としそうである。
ただナイも出来そうだよなと思わなくもない。というかナイの方が酷い事態を招きそうである。実際、亜人連合国の竜の皆さまに頼み込んで、街を一つ囲ったからなあ……街で生活していた人たちは生きた心地がしなかったはずだ。
女神さまと変わらないことができるって、人としてどうなのかと呆れてしまうものの『ナイだしなあ』で済ませてしまうのは俺たちの悪い癖かもしれない。だから教会の面子を潰していると助言をしたり、いろいろとフォローを入れたつもりだが。体調の悪さは俺たちには防げない。はあと息を吐いて俺はみんなの顔を見た。
「とりあえず、家宰殿と侍女長に伝えとく。仕事量は落ち着いてきたから、早めに切り上げさせて欲しいこともな」
偶に変なことで悩むこともあるのがナイだ。他人が聞けば凄く些末なことで頭を悩ませている。神さま方が屋敷にきたことを悩まないで、小さなことに悩んでいるのは本当に不思議でどこかズレていると言いたくもなる。
俺はナイのはけ口になれるようにと、出来の悪い妹を相手にする兄のように接してきたのだが。頼ってくれないのは前からだが、男と女では分かりあえない溝があることも知った。だからまあ、陰ながら支えるだけだろう。今の俺の地位があるのはナイが引っ張り上げてくれたから。
「頼む、クレイグ。俺とリンは早めに訓練を切り上げて、ナイの側に就こう」
「分かった、兄さん」
そっくり兄妹が頷き合う。本当はナイの側にいたいに違いないのだろうが、訓練に向かう予定のため行動を変えれば怪訝に感じてしまう。双子も難儀な相手を気に入っているものだと俺は肩を竦めれば、サフィールも真面目な調子で口を開いた。
「僕はいつも通りだけれど、なるべくナイの様子を伺えるようにするよ。ナイはユーリのお昼寝の前に部屋へ向かうだろうしね」
サフィールの声に俺たちは頷く。やるべきことは決まったなと俺たちは出されていた飯を腹の中へと収めた。元孤児故かみんな早食いは得意である。ナイ以外は。
「なにもなければ良いけれど」
「ナイは考え込むと永遠に考えそうだからなあ。ホント、姉御に似てらあ」
ヴァルトルーデさまとジルケさまもナイを心配してくれているようだ。俺の記憶の中にあるナイは落ち込んだりすることはあるが、病気で寝込む姿を見たことがない。ジークとリンに教会宿舎時代のことを思い返して貰えば、寝込んだことはないそうだ。
今、ナイが倒れれば――教会に金を取られて黒髪の聖女が臥せったこと除外――アルバトロス王国どころか、アガレス帝国と亜人連合国とフソウの方たちが血相を変えるだろうし、ヤーバン王の陛下も心配するだろう。アルバトロス国内でもナイが倒れれば心配する人はいる。ナイが寝込むと想定しただけで、大事になってしまうと結論付けるのは如何なものかと呆れてしまう。
とはいえ、寝込めば本当に大変なことになるだろうから、元気で過ごせと願わずにはいられない。でもまあ、偶には寝込んでゆっくりする時間がナイには必要かもしれない。
貴族位を得てからというもの、本当に忙しなく動いていたのだから。




