1528:ちょっと試しに。
陛下の謁見により、皆さまの不安が多少は和らいだようである。
完全に取り除くことは無理だろうが、やらないよりマシといったところだ。ロステート伯爵さまも気が気ではないようだし、怖い人は心の底から双子星の前に浮かぶなにかが怖いのだろう。
私は双子星の前に浮かぶ物体よりも幽霊の方が怖いし嫌いである。ふとこの話をアストライアー侯爵家の面々の前で零せば『何故?』という顔をされている。だって触れないし、話が通じないだろうし、この世に未練を残して留まっているって根性があり過ぎている。
念仏を唱えて空の上に昇ってくれれば嬉しいのに、テレビでは霊媒師の言うことを聞いてくれない場面が多かった。それに霊感のある人たちも『あーいるね』と呟くだけで放置が基本である。見えない、感じられない私からすれば正体不明過ぎて怖いのだ。だから肉眼で捕らえることのできる物体Xの方が怖くなかった。
他国からの情報によれば、物体Xは今だ発光信号を出しているとのこと。アルバトロス王国は真昼間のため双子星も物体Xも見えないのだが、夜の時間帯の国々から連絡用の魔術具で状況は伝わっている。連絡がリアルタイムで取れる状況に感謝しながら、私たちアストライアー侯爵家一行は魔術師団に顔を出していた。
「では、閣下。今すぐ試してみましょう」
「アストライアー侯爵の魔力量だと無茶が押し通せるから助かる」
ふふふと笑う副団長さまとにんまりと術式を思い浮かべる猫背さんに紙を手渡された。びっしりと紙に書き込まれた文字は猫背さんのものである。ところどころに副団長さまの字で補足的なことが書きこまれていた。
副団長さまと猫背さんの他にも魔術師団の方が集まっているうえに、何故か陛下まで見学にきている。その隣にはボルドー男爵さまと宰相閣下と宰相補佐さまと外務卿さま、そして何故かエーリヒさまとユルゲンさままでいた。試験発動なので失敗する可能性もあるのだが、見学にきている面子を考えると術が不発動とか途中で霧散するとかできないなあと私は小さく息を吐く。
「大丈夫ですよ。失敗しても誰も咎めはしません。記してある通り、こちらはアストライアー侯爵閣下専用の術式となります」
そもそも一度で成功できる保証はありませんし、皆さまも理解なさっているでしょうと副団長さまが続けて声を上げた。猫背さんは副団長さまにうんうんと頷きながら私を見下ろしている。
「世界中、どこを探しても誰も発動できない。できるとすれば……かな。術式は凄く単純だから、きっと問題ない」
猫背さんが発動できる他の方は女神さまくらいかなと声の音量を落として言った。そして猫背さんが続けて口にした言葉に私は微妙な気持ちになる。恐らく私の魔力量を考慮して凄く発動しやすいものになっているようである。効果の高い魔術ほど複雑なものとなり、魔力消費を抑える術式や効率を上げる術式が組み込まれているのだ。今回、新術式を開発して貰い、早々に組み上がった理由は私の魔力量の多さが起因しているようだ。
『マスター! マスター! 私、ヘルメスにも術式を見せてください! 補助役として全力を挙げさせて頂きます!』
「ヘルメスさん、術式読めるんだ」
腰元で声を上げたヘルメスさん――ペかぺかと魔石を光らせていない――が新たな術式に興味を持ったようである。しかしヘルメスさんは紙に記された術式を理解できるのだろうか。
私は実地で魔術を覚えた口だから、術式を読み解いて発動させるのは少々苦手としている。だからヘルメスさんが術式を読み解いてくれるのであれば大変有難い。しかし術式を読み解けないのも聖女として如何なものだろう。学院でも特進科で魔術を習っていたものの、魔力量でゴリ押しができたので無事に卒業できた節がある。暇な時間を見て再度勉強し直しかなと私が苦笑いをしていれば、腰元のヘルメスさんがドヤとしたげな雰囲気を醸し出した。
『錫杖ですから当然です!』
本当に腰元の錫杖さんは規格外だと感心していると、私の影からロゼさんがポーンと飛び出てくる。離れた位置に着地したロゼさんは何度か跳ねながら私の足下へとやってきた。
『ロゼも! ロゼも見るの!!』
スライムさんの粘性のあるボディーをぷよんぷよんと動かしながらロゼさんも術式を見たいと望んでいる。私はしゃがみ込んで地面に置けばロゼさんがにょんと身体を縦に伸ばして、術式をマジマジと見ている。まあ、ロゼさんの目の位置がどこかは分からないけれど、なんとなく覗いている気がするのだ。腰元のヘルメスさんはロゼさんの行動が不思議だったようである。むむと悩ましい声を上げてとんでもないオーラを発した。
『スライム如きになにができるのでしょう?』
『ロゼ、マスターと協力して魔物を倒したことある! ヘルメス、そんなこと一度もやっていない!! ロゼの方がマスターと一緒に協力できる!!』
ヘルメスさんはロゼさんの言葉に『ぐぎぎぎぎ』と歯軋りしていた。ヘルメスさんに歯はないというのに声からぎぎぎと歯軋りしているような音が漏れているのだ。器用というか、芸の幅が広いというか。ロゼさんはヘルメスさんのことは無視を決め込んで術式を覚えていた。すると副団長さまと猫背さんが小さく笑う。
「元気ですねえ」
「元気だねえ」
魔術狂いのお二人からそんな言葉が出るなんて驚きである。
「呑気ですね」
お二人は呑気だなと私は思わなくもない。ロゼさんとヘルメスさんが喧嘩に発展しなかったから良いけれど、もっと言い合いになっていればお二人は止めてくれただろうか。私も止めに入るけれど、気の強いロゼさんとヘルメスさんの喧嘩は収まりそうにないと安易に想像できるのだから。
まあ、なんだかんだと言いつつこうして普段通りに過ごせるのは有難いことである。それと同時に頭上にある問題に対処しなければいけないけれど、私だけが動いているわけではなく、皆さま忙しなくいろいろと方々を駆けずり回っているのだ。文句や愚痴を零すわけにはいかないと、私は副団長さまと猫背さんに始めましょうと声を上げた。
「攻撃魔術ではありませんし、周辺国に告知を行っているので空に思いっきり放ってください」
「閣下の全力」
副団長さまと猫背さんがにんまりと笑っている。たしかに攻撃魔術ではないから失敗した時の被害はないだろう。でも、失敗により魔素が霧散しそうだ。その辺りのことを副団長さまと猫背さんに相談すると、自然に還るだけだし、クロを始めとした竜の方やロゼさんとヘルメスさんたちに魔獣や幻獣の方たちが吸収してくれると。
更に不味い状況であれば亜人連合国の竜の方たちに頼れば良いよとクロが軽い調子で教えてくれる。そして集まった魔術師の方たちも微力であるものの、空になった魔石に魔素を詰め込ませて欲しいとお願いされた。皆さま言いたい放題のようなと私は呆れつつ、魔術師団の練習広場に進み出た。クロはジークの肩の上で待機して貰っている。なんとなく背中に皆さまの視線を感じつつ、私はふうと息を吐く。
「今は新たな魔術の成功を祈って……失敗した時は失敗した時……よし」
あれこれ考えても仕方ない。今はただ、副団長さまと猫背さんにお願いした超広域障壁展開術を成功させることだけを考えよう。もし、なにかが起こった時に後悔をしないように。今は無力だった貧民街時代とは違う。多くのものを背負っているけれど、その代わり多くのことを私は享受している。綺麗ごとだし、たった一人で出来ることは少ないけれど背負った責任を果たすために。
「六節の魔術なので、ヘルメスさんは私の魔力量の調整をお願いします! ロゼさんは念のために同じ術式の展開をお願いしても良いかな?」
そういえば六節の魔術を唱えるのは初めてだ。慣れておかないと即応できないので真剣に行わなければ。魔力量の調節はヘルメスさんに任せられるため、私は魔術の発動に専念できるため随分と楽になる。
『もちろんです、マスター! 私は貴女さまの錫杖です。必ずや役に立ってみせます!』
嬉々とした声のヘルメスさんに反応したのか、ロゼさんがぷよんと身体を動かした。
『マスターと同じ魔術! ロゼ、頑張る!!』
ロゼさんには私の障壁がもし突破された時のために同じ魔術を唱えて欲しかった。ロゼさんの魔力量は私に届いていないけれど、私の足下のスライムさんは器用にどんな魔術でも発動させることができる。お互いに頷き合って私は最初の詠唱を口にする。
「――"神をも超えし者、力を見せよ"」
神さまに対して随分と不謹慎な第一節であるが、私の魔力がごっそりと減った。それに不謹慎ならグイーさまの声が即座に頭の中に響いているはず。今、グイーさまの声が聞こえないのであれば、怒っていないし、お酒を飲んで寝ているかだろう。
第二節は超広域に魔力を張り巡らせるための詠唱だ。結構長い言葉を唱えながら私は右手を空へと伸ばす。ばさばさと揺れる髪が少しだけ視界を隠した。
そうして第三節を唱えれば、魔力が可視化されて丸い魔術陣を空に描いていた。そして、空に浮かんだ魔術陣は王都を軽く超える大きさだ。告知されてて良かったと安堵して、第四節目を唱える。第四節目は障壁を強化するため。そして第五節目も強化のために詠唱を唱え、第六節は完成の狼煙を上げるものである。
「――"世界を超える壁は護り手とならん"」
第六節を唱えると『キン』と魔力が締まる音がする。そしてロゼさんも詠唱を唱え終えており、私が発動させた超広域障壁魔術より一回り小さいものが展開されていた。
『ロゼの魔力……』
ロゼさんがへちょんと地面に伸びており、私は左手をロゼさんの方へと伸ばした。
「ロゼさん、こっちに」
私の声にロゼさんがぴょんと跳ねて左腕で受け止める。そしてヘルメスさんが『スライムの癖に!』と愚痴を零しているけれど、なんだかんだと言いつつもきちんと私の魔力をロゼさんに引き渡してくれるのは有難い。私がやるとロゼさんがパーンしかねないのだから。
『魔力増えた!』
「大丈夫、ロゼさん」
パンパンになったロゼさんボディーの柔らかさを左腕で私は感じ取る。空を見上げると私とロゼさんが展開した超広域障壁魔術陣がキラキラと光りながら、空をゆっくりと回っていた。アルバトロス王国を護る障壁も綺麗だけれど、それとはまた別種の美しさがあった。
『マスターの魔力貰えたから平気』
「発動できたけれど……相手の攻撃を防げるか分からないし、展開にちょっと時間が掛かるね。もっと早く展開できるようになれば良いけれど」
私たちが空を見上げていると、副団長さまと猫背さんとアストライアー侯爵家の面々にアルバトロス王国のお偉いさん方がやってきた。まだ障壁を展開しているため他の方たちは心配そうな顔をしているのだが、攻撃を受けたわけではないので今少しの時間は持つだろう。ジークとリンがいの一番に『大丈夫なのか?』『ナイ、大丈夫?』と問いかけ、クロが私の肩に乗って『ナイの魔力が減ってる』と気を使いながら声を掛けてくれた。
私は大丈夫と声を上げ、副団長さまと猫背さんに改善して欲しいところを告げ、陛下方には『もしもの時には今の魔術を発動させます』と伝える。双子星の物体Xに対して付け焼刃かもしれないけれど、なにもしていないよりはマシだ。あとは相手の出方次第と腹を決め、展開していた魔術を解くのだった。
――増えとらんか、ナイの魔力……。
ふいにグイーさまの声が聞こえたような気がして、意識を集中してみるけれどなにも感じない。気のせいかな?




