第7話 「残りたい」と言ったのは
次の層は、街だった。
だが人はいない。
石畳の道、低い建物、窓辺に揺れるカーテン。
生活の痕跡だけが、丁寧に保存されている。
「……誰も、いない……」
アオイが呟く。
「でも……壊れてない……」
それが、この層の異様さだった。
崩壊ではなく、停止。
街の中央に、小さな広場がある。
噴水は水を湛えたまま、動かない。
広場に足を踏み入れた瞬間、胸の奥が、ゆっくりと温かくなった。
――懐かしい。
理由の分からない感覚。
レナが、足を止めた。
「……ここ……」
「レナ?」
レナは、噴水を見つめている。
「……知ってる気がする……」
ユイの観測が、反応する。
この街は、誰かの記憶を模している。
完全な再現ではない。
“心地よかった部分”だけを抜き出した街。
「……ねえ」
レナが、静かに言う。
「ここに……残ったら……」
二人は、同時に息を止めた。
「……音が、なくても……平気」
レナは、自分の耳に触れる。
「……怖くも、ならない……」
アオイが、顔を歪める。
「……それって……」
「……分かってる」
レナは、噴水の縁に腰を下ろした。
「でも……ここなら……」
彼女の声は、揺れていない。
「……何も、失わなくて済む」
ユイの胸が、締めつけられる。
――違う。
ここは、“失ったことを感じなくなる”場所だ。
「……レナ……」
ユイは、一歩近づく。
「それは……」
「……優しい、でしょ」
レナは、微笑んだ。
「……誰も、期待しない。
……誰も、呼ばない」
その言葉に、ユイは“見てしまう”。
現実の断片。
――病室。
――呼び出し音。
――返ってこない返事。
レナが、選ばなかった“音”。
「……ここなら……」
レナは続ける。
「……私が、消えても……
……誰も、困らない」
アオイが、叫ぶ。
「そんなことない!」
声は強い。
恐怖はない。
でも、必死だった。
「……私たちが……困る……!」
レナは、驚いたようにアオイを見る。
その瞬間、噴水の水が、わずかに揺れた。
ユイは、震える声で言う。
「……レナ……ここに残るって……」
「……帰らない、ってこと」
レナは、頷いた。
空が、ゆっくりと暗くなる。
街の灯りが、一つずつ点く。
まるで、歓迎するように。
どこからともなく、庭師の声が響いた。
「選択の時だね」
優しい声。
「無理に、全員で帰らなくてもいい」
アオイが、歯を食いしばる。
「……それでも……」
ユイは、拳を握る。
見える。
レナが残った未来。
扉は、閉じる。
でも――
「……レナ」
ユイは、観測を“止めた”。
未来を、見ない。
「……私たちは……」
言葉を選ぶ。
「……帰りたい理由を……
……まだ、全部……話してない」
レナは、黙ったまま、噴水を見つめる。
「……それ、聞いたら……
……行かなきゃ、いけなくなる……」
「……それでも」
アオイが、一歩前に出る。
「……一緒に……帰りたい……」
灯りが、揺れる。
街が、迷う。
レナの目に、初めて、涙が浮かんだ。
――音のない、涙。
「……ずるい……」
その言葉が、かすかに震えた。
選択は、まだ、終わっていない。
街の奥に、三つの道が現れる。
それぞれが、違う光を帯びている。
庭師の声が、静かに告げる。
「次で……決まる」
誰が、残るのか。
誰が、進むのか。
そして――
誰の“帰りたい理由”が、最後まで残るのか。
三人は、まだ、立ち止まっていた。




