第6話 観測者の代償
休息地を離れてから、どれくらい歩いただろう。
景色は、はっきりしない。
道はあるのに、距離の感覚が曖昧で、時間が伸び縮みしているようだった。
ユイは、歩きながら“見ていた”。
地面の微細なひび割れ。
空気の揺らぎ。
星層界が、どの感情で形作られているか。
見える。
分かる。
理解できる。
――それが、怖かった。
「……ユイ」
アオイが振り返る。
「さっきから……顔色、変わらないよ」
「……そう?」
自分の頬に触れる。
冷たい。
いつもと同じ、のはずなのに。
「……なんか……」
アオイは言葉を探す。
「嬉しいとか、嫌だとか……そういうの……」
「……薄い?」
ユイが、先に言った。
アオイは、驚いたように目を見開く。
「……分かるんだ」
ユイは、小さく頷いた。
分かる。
他人の感情も。
自分の変化も。
その瞬間。
道の先に、“何もない場所”が現れた。
壁でも、崖でもない。
ただ、世界がそこから先を描くのをやめている。
「……行き止まり?」
レナが呟く。
ユイは、前に出た。
「……違う」
見える。
ここは、“選択”が必要な場所だ。
空間の継ぎ目に、感情の流れが集中している。
強く、はっきり。
「……誰かが……」
ユイは、無意識に口にしていた。
「……何かを、選ばないと……」
その瞬間、頭の奥が、ひどく冷えた。
――選択肢が、全部見えてしまう。
進んだ場合の未来。
戻った場合の未来。
誰が、何を失うか。
情報が、洪水のように流れ込む。
「……っ……」
ユイは、膝をついた。
「ユイ!?」
アオイが駆け寄る。
「……大丈夫……」
口ではそう言いながら、胸の奥が空洞になっていくのを感じた。
感情が、遠い。
悲しいはずなのに、ただ“そうなる”と理解しているだけ。
「……見えすぎる……」
レナが、そっとユイの前に立つ。
「……無理しなくていい」
「……違う……」
ユイは、震える指で地面を掴む。
「私……見なきゃ……」
観測することで、道を見つけてきた。
それが、自分の役割だと思っていた。
でも――
「……ユイ」
アオイが、ユイの手を強く握る。
その温度が、遠い。
「……怖くないのに……」
アオイの声が、揺れる。
「……ユイが、遠くなるのは……嫌だ……」
その言葉に、ユイの胸が、わずかに痛んだ。
――痛い。
その感覚が、嬉しかった。
「……私の代償……」
ユイは、ゆっくり言う。
「感情が……薄くなる」
観測すればするほど。
理解すればするほど。
心は、距離を取る。
「……でも……」
ユイは、アオイとレナを見る。
「……完全には、失ってない」
今、この瞬間。
仲間の言葉で、胸が揺れた。
それが、救いだった。
ユイは、目を閉じる。
――全部は、見ない。
未来を、選別する。
すると、視界の洪水が引いていく。
道が、一つだけ、残った。
「……行ける」
ユイは立ち上がる。
“何もない場所”に、一歩踏み出す。
世界が、応える。
空間が縫い合わされ、細い道が生まれた。
代償は、確かにある。
けれど、選び方は、残されている。
レナが、ぽつりと呟く。
「……ユイは……優しい観測者だね」
ユイは、少しだけ笑った。
その笑みは、以前より淡い。
でも、確かに“感情”だった。
道の先に、次の層が見える。
そこは、光と影が混ざり合う場所。
そして――分岐の気配。
誰かが、近いうちに、言うだろう。
**「ここに、残りたい」**と。
その時、ユイは――
どこまで、見てしまうのだろうか。




