第2話 廊下は、感情でできている
扉の向こうは、廊下だった。
ただし、学校や病院にあるような直線の廊下ではない。床はゆるやかに波打ち、壁は半透明の結晶でできている。歩くたびに、足元で淡い光が波紋のように広がった。
「……きれい……」
隣の少女が、思わず漏らす。
その声に呼応するように、廊下の色が少し明るくなった。
ユイは、その変化を見逃さなかった。
「今、壁……変わった」
「え?」
「あなたが喋った瞬間。光が、増えた気がする」
少女は不安そうに周囲を見回す。すると今度は、結晶の壁に小さな亀裂が走り、光が不規則に明滅した。
「や、やめて……怖い……」
ぱき、と。
亀裂が増える。
ユイは胸がざわついた。
――この場所は、感情に反応している。
「大丈夫。落ち着いて」
そう言って、深呼吸する。
すると、波打っていた床が少しだけ平らになった。
「……ほんとだ……」
少女の声が、わずかに震えながらも、驚きに変わる。
「ねえ……私たちの気持ちで、変わってる……?」
「多分……」
その瞬間、廊下の奥が暗く沈んだ。
光が引き潮のように消え、代わりに“何か”が蠢く影が浮かび上がる。
影は人の形に近いが、輪郭が定まらない。
床を這うように、こちらへ滲み寄ってくる。
「……来る……」
ユイの喉が鳴る。
「や、やだ……!」
少女が後ずさった瞬間、影が膨れ上がった。
恐怖に呼応して、廊下そのものが歪む。
――このままじゃ、飲み込まれる。
ユイは必死に考えた。
怖い。逃げたい。
でも、それを表に出したら、この世界はさらに壊れる。
だったら――
「……見るだけ……」
自分に言い聞かせるように、呟く。
影を“敵”としてではなく、現象として捉える。
感情を切り離し、ただ観察する。
すると、胸の奥が、すっと冷えていった。
その瞬間、ユイの視界が変わる。
影の輪郭に、薄い線が走る。
どこから生まれ、どこへ流れているのか。
恐怖が集まって、形を得ているのが“分かる”。
「……あれは……」
ユイは一歩、前に出た。
「感情の、溜まり場……」
言葉にした瞬間、足元に光の円が浮かび上がる。
廊下の光が集まり、一本の細い線となって、影の中心を貫いた。
音もなく、影がほどけていく。
霧のように散り、やがて何も残らなかった。
「……え……?」
少女が目を見開く。
「今の……ユイ、何したの……?」
ユイは、自分の手を見る。
何も持っていない。
けれど確かに、“使った”感覚があった。
「……分からない。でも……見えた」
「見えた?」
「ここが、どうできてるか……少しだけ」
廊下は元の静かな光を取り戻していた。
だが、ユイの胸には、小さな不安が芽生えている。
――今のは、魔法だ。
そしてこの世界では、それが“当たり前”なのだ。
「ねえ……」
少女が、意を決したように言う。
「私、アオイ。あなたは?」
「……ユイ」
二人は、改めて名前を交換した。
その瞬間、廊下の先に、新たな扉が浮かび上がる。
今度は鏡ではなく、星空を閉じ込めたような扉。
扉の前に、淡い文字が滲むように現れた。
――感情を知れ。さもなくば、進むな。
アオイが、唾を飲み込む。
「ねえ、ユイ……これって……」
「うん」
ユイは頷いた。
「多分、まだ……始まったばかり」
光る廊下の向こうで、何かが静かに息づいている。
それを“世界”と呼ぶには、あまりにも意思がありすぎた。
二人は、星の扉へと歩き出す。
知らない世界で、魔法と引き換えに何を失うのかも知らないまま。




