第1話 目覚めは、星のない天井
目を開けた瞬間、ユイは「違う」と思った。
見慣れた自分の部屋ではない。天井が、なかった。
正確には、天井のあるはずの位置に、淡く光る霧が揺れている。星屑のような光点がゆっくりと浮かび、消えてはまた現れる。触れたら崩れてしまいそうな、実在してはないけれど確かに“そこにある”光景だった。
「……ここ、どこ……?」
声は震えなかった。怖いはずなのに、心が妙に落ち着いている。
それが余計に不気味だった。
ユイはゆっくりと上体を起こす。寝かされていたのは、白い花弁を重ねて作られたような床だった。柔らかいのに冷たく、体温を吸われていく感覚がある。
最後の記憶を辿ろうとする。
放課後。帰り道。信号待ち。
――そこから先が、ぽっかりと抜け落ちていた。
「夢……?」
そう呟いた瞬間、部屋の奥で、かすかな音がした。
しゃり、と。
ガラス片が触れ合うような、澄んだ音。
「……誰?」
返事はない。代わりに、霧の壁が波打ち、部屋の形が少しずつ明確になっていく。白一色だった空間に、扉が現れた。木製でも金属でもない、鏡のように自分の姿を映す扉。
ユイが立ち上がろうとした、その時。
「ここ……どこ……?」
震えた声が、背後から聞こえた。
振り向くと、部屋の隅に少女が座り込んでいた。自分と同じ年頃。長い髪を抱きしめるようにして、怯えた目で周囲を見回している。
「あなたも……?」
ユイが近づくと、少女は小さく頷いた。
「気づいたら、ここに……帰り道、覚えてなくて……」
同じだ。
胸の奥が、ひやりと冷える。
その時、また音がした。今度は、はっきりと。
こん、と。
扉が内側から叩かれる音。
二人は息を止めた。
鏡の扉に、波紋が広がる。そこに映っていたはずのユイの姿が歪み、代わりに“知らない風景”が映り込む。夜空に似ているのに、星がすべて逆さまに落ちていく世界。
そして、扉の向こうから声が響いた。
「目覚めたんだね」
男とも女ともつかない、穏やかで優しい声。
「ここは安全だよ。君たちが、もう迷わなくていい場所だ」
ユイは、なぜか強く思った。
――この声を、信じてはいけない。
理由は分からない。けれど胸の奥で、小さな違和感が灯っている。
「……ここから、出られるんですか?」
気づけば、そう口にしていた。
扉の向こうの声は、少しだけ間を置いてから答えた。
「出たい、と思うなら」
鏡の扉が、静かに開き始める。
甘い光と、遠くで誰かが笑うような気配が流れ込んできた。
ユイは、隣の少女の手を、強く握った。
――これは、夢じゃない。
そしてここは、優しいだけの場所ではない。
そう確信した瞬間、二人は光の向こうへと足を踏み出していた。




