第10話 最後の選択
庭の中心で、風が止まった。
扉が、すべて、静止している。
星層界そのものが、息を潜めていた。
「……誰も、残らない」
ユイは、はっきりと口にした。
その言葉は、祈りではない。
決断だった。
庭師は、少しだけ目を細める。
「それを選べば……
……君は、もう“観測者”ではいられない」
「いい」
即答だった。
見えなくなっても。
分からなくなっても。
「……分からないまま……
……生きるって、決めた」
アオイが、息を吸い込む。
「……私も……」
恐怖はない。
それでも、声は震えている。
「……怖いまま、生きたい」
レナは、二人を見る。
静かな目。
でも、もう逃げていない。
「……呼ばれたら……
……返事、する」
庭師は、深く息を吐いた。
「……そうか」
初めて、彼の声から“役割”が剥がれる。
「君たちは……
……この庭を、終わらせるんだね」
庭師は、ゆっくりと後退した。
大きな扉――
世界を手放す扉が、開く。
光は、眩しくない。
優しくもない。
ただ、静か。
「……始めよう」
ユイが、一歩踏み出す。
扉に、手を伸ばす。
――その瞬間。
視界が、白に沈む。
見えていた構造が、崩れる。
未来の分岐が、消える。
理解が、ほどけていく。
「……っ……」
ユイは、膝をついた。
何も、分からない。
ただ――
胸が、痛い。
「……ユイ!」
アオイの声。
レナの、気配。
それだけが、現実だった。
庭師の姿が、薄れていく。
「ありがとう」
その声は、もう役目を終えた誰かのものだった。
「……君たちの感情は……
……ちゃんと、持ち帰られる」
庭が、崩れ始める。
扉が、砂のように砕ける。
街も、森も、廊下も、最初の部屋も。
星層界は、解体されていく。
光の中で、ユイは、はっきりと感じた。
――分からない。
――怖い。
――それでも、進みたい。
それで、いい。
目を開けると、信号機の音が聞こえた。
青。
人の流れ。
夕焼け。
「……ユイ!」
振り向くと、アオイがいる。
息を切らし、目を見開いている。
「……戻った……?」
レナも、少し離れた場所に立っていた。
周囲の音に、戸惑いながら。
「……うるさい……」
でも、その顔は、泣きそうに笑っている。
ユイは、空を見上げる。
何も、見えない。
特別な構造も、扉も。
ただの、空。
――それで、いい。
「……帰ろう」
ユイは、そう言った。
何も分からないまま。
怖さも、痛みも、抱えたまま。
それでも、現実へ。
三人は、同じ信号を渡る。
もう、庭はない。
誰も、残らなかった。
けれど。
失われた世界の代わりに、
彼女たちは――自分の足で、選ぶ未来を持っていた。




