08_第八話_市場通りの三日間
◆ 第八話 ── 市場通りの三日間 ◆
宿に着いた翌朝、日が昇る前に目が覚めた。
(慣れない場所でも早起きになるの、前世から変わってないな)
窓の外はまだ薄暗い。台所の方から火の音と匂いがする。マーサさんが動いている。
起きることにした。
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朝食はパンと干し肉と塩漬け野菜だった。
食堂には他に二人の客がいた。男性で、互いに話しかけない。こちらを見ようともしない。
(リシェル村と全然違う。知らない人は知らないままでいい、という空気)
これが都市の温度感か、と思った。悪くない。むしろ助かる。
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食事を終えてマーサさんに声をかけた。
「市場を見てきます」
「夕方までに戻れ。夜は門を閉める」
(聞かれなかった。理由も目的も。この人は干渉しない)
ありがたかった。
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まず一時間、何も買わずに歩いた。
前世でいうと転職初日に社内を把握するやつだ。地図を作る。声をかけない。
薬草を扱う店は二軒あった。一軒は量り売りで料理用の香草が主体。もう一軒は小さくて地味な店構えで、「薬草・調合 ── ルータ薬草店」と看板がある。
道具屋、布屋、食料品、鍛冶屋。市場の奥には「魔道具・鑑定」という看板も見えた。入り口から青白い光がうっすら漏れている。
(ほう。リシェル村にはなかったな)
村では薬草と農具で事足りていた。都市にはそれ以上のものが集まる。当たり前のことが、実感になった。
薬師組合の建物は市場の外れにあった。
入り口に近づいただけで受付の男性が顔を上げた。
「見習い登録の相談ですが」
「推薦状は?」
「ありません」
「では無理です」
(想定内)
特に感情もなかった。規則に従っているだけだとわかる。ここで粘っても何も変わらない。
笑顔で頭を下げて、出た。
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翌日、ルータ薬草店に入った。
女主人は六十がらみで、眼鏡をかけながら棚を整理していた。こちらをちらりと見て、
「何かお入り用で?」
「売る方で来ました。採取と目利きなら一通りできます。リシェル村出身です」
女主人は手を止めた。
「見せてみな」
棚の薬草を一通り確認した。
「この苦葉草、乾燥が少し足りていないですね。あと奥の棚の緑茎草も、同じ状態かと」
女主人の目つきが変わった。
(正しかった。驚いている。でも顔には出したくない)
「……確かめていいかい」
女主人は奥の棚の薬草を取り出し、匂いを嗅いだ。しばらく黙っていた。
「名前は」
「ナナミンです」
「変な名前だね」
「よく言われます」
少しの間があった。
「三日後、森の東側に採取に行く。日当は銅貨三枚。一緒に来るかい。腕次第で続きを考える」
「ぜひ」
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宿への帰り道、空が橙色に染まっていた。
(手札に一枚、加わった)
薬師組合に入るには道が遠い。でも遠いことはわかっていた。最初から最短ルートで進もうとしていない。前世でも転職の最初の三か月は、ただ信用を積む期間だった。
急がない。でも止まらない。
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三日目の夜、食堂に旅の商人が数人いた。
端の席でスープを飲みながら、隣の声が聞こえてきた。
「タルドの話、知ってるか」
「ゼンク街道沿いの?」
「そこ。異界から来た男がいるだろ。魔力が見えるやつ」
手が止まった。
「魔力視なんて、ちゃんとした魔法師でも難しいのに、あいつは生まれつきそれができるんだと。本人が最初から自覚してたってよ」
「組合に登録したんだろ。実際、魔物の弱点を言い当てて、何人か助けたって話だし」
「異界人ってのは、やっぱり違うな」
(自分の力がわかってる、か)
スープを一口飲んだ。
(転移者、というやつやろうな)
異界から人が来ることがあるとは知っていた。でもこの世界で実際にその話を耳にしたのは、初めてだった。
(能力を自覚して、使いこなして、組合にも認定されて)
窓の外を見た。夜のヴァルカ。灯りと声の混ざった街。
(……私はなんで言葉がわかるんやろ、ナナミン)
何年も不思議に思っていた。でも考えるより先に使っていた。使えるから使う、それだけだった。
答えは、今もない。
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【ルータの観察】
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翌朝、ルータは棚の確認をしながら昨日の娘のことを考えていた。
リシェル出身の娘。十五か、そのくらいか。
目利きは本物だった。苦葉草の乾燥の甘さを匂いで見抜くのは、並の薬師でも見逃すことがある。それをさらりとやった。
だが気になったのはそこではなかった。
話しながら、こちらがまだ考えている間に次の言葉が来た。迷いがない。こちらの「言いたいこと」を先に読んでいる。
(おかしな娘だ)
採取の腕が本物かどうかは三日後にわかる。
それより気になったのは、あの目だ。
「見習い登録したい」と言いながら、はっきりと断られたのに、焦っていなかった。
──最初から、断られることを知っていたみたいだった。
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