05_第五話_逃げる準備
◆ 第五話 ── 逃げる準備 ◆
ダント村から帰って、三日間考えた。
三日目の夜、揺れるのをやめた。
逃げよう。死んだことにして、逃げよう。
前世でも似たようなことをしたな、と思った。あの時は本当に死んだけど。
(今回は生きて逃げる。それが違うんや)
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準備に一か月かけた。
その間、父と普通に食事をして、レイと普通に話した。昼間は普通に仕事をして、縁談の続きも普通に待っているふりをした。夜だけ、川の地形を頭に入れた。
(前世でも、最後の日まで普通に出勤した。そういうのは、慣れているんだ)
まず、行商人のオットさんと顔見知りになることから始めた。オットさんはリシェル村に月に一度来る行商人で、父とは昔から付き合いがある。愛想のいい中年の男性で、本当に人の良い人だということも、話しているうちにわかった。
「今度、荷物の仕分けを手伝いましょうか? 暇を持て余しているので」
「ありがたいねえ。じゃあお駄賃を出すよ」
そのお駄賃と、縫い物の内職で少しずつ銅貨を貯めた。
川沿いの地形を頭に入れた。どこに深みがあって、どこに引き込まれやすい流れがあるか。使えそうな場所を三か所選んだ。
着替えを一枚、小屋の隅に隠しておいた。
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問題はもう一つあった。
「水難事故」に見せるには、何かが必要だった。川岸に爪痕や引きずった跡があれば、もっともらしい。でも私一人では難しい。
誰かに頼むしかない。
そう考えた時、頭に浮かんだのはハクだった。
(あの白い子犬が、まだ森にいるかな)
根拠はなかった。九年も経っている。どこかに行ってしまったかもしれない。
でも、なんとなく、まだいる気がした。
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婚礼の二日前の夜。こっそり家を出て、森の入口に向かった。
月が出ていた。
暗がりの中に、影があった。
──大きかった。
立っているだけで私より頭一つ以上高い。白い毛並みが月光に透けている。金色の目が、私を見ていた。
「……ハク?」
低い唸り。
(久しぶり。大きくなっただろう)
「大きくなりすぎだよ。犬じゃないじゃん」
(最初から犬ではない)
「え、じゃあ何?」
(……後で調べろ)
「後でって」
じゃあ今は頼みを聞いてほしい、と私は言った。
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川岸を荒らしてほしい。私が消えたように見せたい。
ハクは聞いていた。
(なんで)
「嫌な人と結婚させられそうで。家族に迷惑はかけたくないから、死んだことにする」
長い沈黙。
月が雲に隠れた。
(……その嫌な人、危険か)
危険、か。
(前の妻のことを聞いたか)
「知らないけど、知らない方がいい話らしいってことだけ知ってる」
また沈黙。
(……わかった。縄張りの端だ。ちょうどいい)
「ありがとう。お礼に果物を置いておく」
(果物がいい。わかっているな)
「前に言ってたもんね」
(九年前だぞ)
「覚えてるよ」
ハクは小さく鼻を鳴らした。
森の入口近くで、草がかすかに揺れた気がした。でも今夜は風がある。ハクが反応していない。気のせいだろう。
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気づいていなかったが、弟のレイが後からついてきていた。
翌朝、レイは泣かなかった。
村人が川岸に集まって騒ぎ立てる中、ひとりだけ泣いていない弟がいた。
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【レイの確信】
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レイは木陰に隠れて、全部見ていた。
姉が、暗闇の中で巨大な獣と話していた。
普通に。怖がる様子もなく、まるで昔からの知り合いみたいに。
獣が頷いた(ように見えた)。姉が何か言った。獣がまた鼻を鳴らした。
レイは震えていた。
恐怖ではなく──なぜかわからないが、もっと別の何かで。
翌朝、父が泣いた。村人たちが集まった。
レイは川岸を見ながら、ただ一つだけ思っていた。
(姉ちゃんは生きてる)
根拠はなかった。
でも絶対にそうだと思った。
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