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元日本最強の探索者、今はダンジョン救助員です ~平凡スキル《索敵》を極めたおじさん~  作者: アカメノコバチ


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第7話 後ろは俺が見る

 午後二時十八分。


 奥多摩第一ダンジョン救助管理所に、救助員からの緊急信号が届いた。


『第七階層、東部岩棚。搬送中に黒牙犬の群れと接触』


 管制室の大型画面に、現場から送られた情報が表示される。


 当初の要救助者は一名。


 水野亮、二十八歳。Cランク探索者。


 黒牙犬に襲われ、左脚を負傷。自力歩行は不可能。


 救助に向かったのは、田所修平と坂井の二人だった。


 二人は水野を発見し、応急処置を終えて搬送を開始した。


 しかし帰路で、別の黒牙犬の群れに追いつかれた。


「現場の状況は?」


 黒瀬慎吾が尋ねた。


「田所からの報告では、黒牙犬は九体。坂井も右脚を負傷しています」


 管制員が答える。


「田所は?」


「右腕に裂傷。ただし、搬送と戦闘は継続できるとのことです」


「今はどこにいる?」


「東部岩棚の奥です。入口が狭いため、防護板を使って持ちこたえています」


 黒瀬は第七階層の地図へ目を向けた。


 東部岩棚は、広い通路から細い亀裂へ入った先にある。


 正面から一度に侵入できる魔物は限られる。


 田所たちがまだ持ちこたえているのは、その地形のおかげだろう。


「最後の通信は?」


「二分前です」


 管制員が音声を再生する。


『防護板が持つのは、あと十分程度。坂井の出血が増えている。至急、応援を――』


 音声はそこで途切れていた。


 黒瀬は救助装備を背負う。


「白石さん、行こう」


「はい」


 白石ひなたも装備を背負い、黒瀬とともに管制室を出た。


 ◇


 第七階層へ続く通路を、二人はほとんど休まず進んだ。


 白石は《身体強化》を使い、黒瀬の少し後ろを走っている。


 それでも、黒瀬の速度についていくので精いっぱいだった。


 黒瀬は救助装備を背負っている。


 白石よりも荷物は多い。


 それでも歩幅も呼吸も乱れない。


「黒牙犬は、一体ならそれほど強くありません」


 白石が走りながら言った。


「Cランク探索者でも、正面からなら倒せます」


「うん」


「ですが、九体となると……」


「群れで動くからね」


 黒牙犬は、大型犬ほどの身体を持つ魔物だった。


 全身を覆う黒い毛は岩場に溶け込みやすく、暗い通路では姿を見失いやすい。


 正面の個体が獲物を引きつけ、その間に別の個体が左右から回り込む。


 一体を相手にしているうちに背後を取られ、群れ全体に食い破られる。


「田所さんと坂井さんは、二人で九体を抑えているんですか」


「岩棚の入口が狭いんだと思う」


「広い場所だったら?」


「もう持ってないかもしれない」


 黒瀬の声はいつもと変わらない。


 だが、足がさらに速くなる。


 白石も身体強化の出力を上げた。


 ◇


 午後五時二分。


 二人は東部岩棚へ続く通路に到着した。


 血の臭いが漂っている。


 岩壁には爪痕が残り、地面には割れた魔石灯が落ちていた。


 通路の奥から、魔物の唸り声が聞こえる。


 黒瀬が足を止めた。


 《索敵》を使い、周囲の反応を探る。


「人が三人」


 黒瀬が言う。


「魔物は?」


「九体。六体が岩棚の前。二体が左右。少し離れたところに大きいのが一体」


「群れの長ですか」


「たぶんね」


 二人は物音を抑え、岩棚へ近づいた。


 通路が大きく曲がった先に、黒牙犬の群れがいた。


 六体が岩棚の入口を取り囲み、交代で中へ飛びかかっている。


 田所が入口の前に立ち、折り畳み式の防護板を構えていた。


 板には何本もの爪痕が刻まれ、表面の一部が裂けている。


 黒牙犬が防護板へぶつかる。


 田所の身体が大きく後ろへ押された。


「田所さん!」


 白石が叫んだ。


 黒牙犬たちが一斉に振り返る。


「遅くなった」


 黒瀬が群れの前へ出た。


「黒瀬!」


 田所の顔に安堵が浮かぶ。


 その隙を狙って一体が防護板へ飛びついた。


 田所が板を押し返し、黒牙犬を入口の外へ弾く。


「中へ入ろう」


 黒瀬と白石は、田所が開けた隙間から岩棚へ滑り込んだ。


 岩棚の奥には、水野と坂井がいた。


 水野は左脚を添え木で固定され、壁にもたれている。


 顔色は悪いが、意識ははっきりしていた。


 坂井は水野の前に座り、自分の右脚を止血帯で縛っている。


 膝から下が血に染まっていた。


「坂井、傷を見るよ」


 黒瀬がしゃがむ。


「俺はあとでいい。黒瀬さん、水野さんを先に頼む」


「あとにできる傷か、俺が確認するよ」


 黒瀬は探索服の裂けた部分を開いた。


 黒牙犬の牙が、ふくらはぎへ深く入っている。


 止血はされているが、出血量は少なくない。


「歩くのは無理だね」


「分かってる」


 坂井は岩棚の入口を見る。


「水野さんを先に運んでくれ」


「坂井も運ぶよ」


「二人も運んだら遅くなる」


 坂井が黒瀬をにらむ。


「俺と田所さんでここを持たせる。水野さんを先に連れていけ」


「座ったままどうやって戦うの?」


「防護板くらいは押さえられる」


 水野が声を上げた。


「俺を置いていってください」


「水野さん」


「坂井さんは、俺をかばって怪我をしたんです」


 水野は両手を握りしめる。


「俺が歩けないから、二人までここに残ってる。俺を置いていけば、坂井さんも田所さんも帰れます」


「それは駄目だ」


 坂井が言った。


「あなたを地上へ帰すために来たんだ」


「だったら、俺のせいで救助員が死ぬのはおかしいでしょう!」


「誰を置いていくかの相談は、しなくていいよ」


 黒瀬の声が二人の間に入った。


 坂井と水野が黒瀬を見る。


「全員帰るから」


「人手が足りない」


 坂井が言う。


「水野さんは田所が運ぶ。坂井は白石さんに運んでもらう」


 黒瀬は白石へ向いた。


「白石さん、背負える?」


「はい。問題ありません」


「俺まで運んだら、追いつかれるぞ」


 坂井は首を横へ振る。


「白石まで戦えなくなる」


「白石さんは戦わなくていいよ」


 黒瀬は岩棚の入口へ目を向けた。


 防護板に黒牙犬がぶつかる。


 田所の足が後ろへ滑った。


「俺が後ろを見る」


 ◇


 白石は黒瀬の横へ立った。


 岩棚の外には九体の黒牙犬がいる。


 前列の六体が唸り声を上げ、地面を爪で掻いていた。


 左右の岩陰には二体。


 さらに奥で、ほかの個体より一回り大きな群れの長がこちらを見ている。


「私も戦います」


 白石が言った。


「二人で数を減らしてから搬送を始めた方が安全です」


「白石さんが戦ったら、坂井は誰が運ぶの?」


「田所さんと二人で、一度に――」


「水野さんの脚は揺らせない。坂井の出血も止まってない」


 黒瀬は白石を責める口調ではなかった。


「二人を同じ担架に乗せるのは無理だよ」


 白石は口を閉じた。


 田所一人では、水野を担架で運ぶだけで精いっぱいになる。


 坂井を運べるのは、身体強化を持つ自分だけだ。


「でも、九体います」


「うん」


 黒瀬は岩棚の外を見る。


 入口から十メートルほど先で、通路は急に狭くなっている。


 両側を岩壁に挟まれ、人間二人が並べる程度の幅しかない。


「ここなら、一度に来られるのは二体までだね」


 白石は黒瀬の横顔を見る。


 九体を倒せるかどうかではない。


 黒瀬が気にしているのは、通路の幅だけだった。


「黒瀬さん一人で大丈夫なんですか」


「うん。坂井を落とさないようにね」


 黒瀬は腰の鞘から、救助用ナイフを抜いた。


 魔物と戦うための剣ではない。


 絡まったロープを切り、探索服や装備を外し、救助経路を作るための短い刃だ。


 坂井が白石を見る。


「下ろせと言っても、下ろさないんだろうな」


「はい」


「だったら、首は締めるなよ」


「気をつけます」


 白石は坂井の腕を肩へ回し、《身体強化》を発動した。


 坂井の身体を背中へ乗せ、救助帯で固定する。


 田所は水野を簡易担架へ乗せ、腰の搬送用ハーネスへロープをつないだ。


 一人で後方へ引けるようにするためだ。


「田所、腕は持つ?」


 黒瀬が尋ねる。


「水野さんを運ぶくらいならな」


「無理なら早めに言って」


「お前こそ、無茶するなよ」


「うん」


 黒瀬は岩棚の入口へ立つ。


「準備できた?」


「できた」


 田所が答える。


「はい」


 白石も続いた。


 黒瀬は防護板を持つ田所の横へ入った。


「田所。三つ数えたら板を離して」


「分かった」


 黒牙犬の一体が板へぶつかる。


 大きな音が岩棚に響いた。


「一」


 黒瀬がナイフを逆手に持つ。


「二」


 黒牙犬たちの姿勢が低くなる。


「三」


 田所が防護板を手放した。


「行って」


 白石と田所が岩棚の奥から走り出す。


 防護板が倒れ、その向こうにいた二体の黒牙犬が同時に飛び込んできた。


 黒瀬は逃げなかった。


 反対に、一歩だけ前へ出た。


 ◇


 一体目の黒牙犬が、黒瀬の喉へ牙を向ける。


 黒瀬は上半身をわずかに傾けた。


 牙が頬の横を通り過ぎる。


 すれ違う瞬間、救助用ナイフが黒牙犬の首元を走った。


 黒い毛の下にある細い隙間。


 刃は迷わず、そこへ入った。


 一体目が地面へ落ちる。


 直後、二体目が横から飛びかかってきた。


 黒瀬は倒れかけた一体目の身体を蹴った。


 黒牙犬の身体が二体目へぶつかる。


 二体目の体勢が崩れた。


 黒瀬はその頭を片手で押さえ、喉へ刃を突き立てた。


 二体が動かなくなるまで、数秒もかからなかった。


 後ろにいた黒牙犬が倒れた身体を飛び越えようとする。


 黒瀬は足を使い、二体を通路の中央へ寄せた。


 通れる幅がさらに狭くなる。


 黒牙犬は横に並べなくなった。


 三体目がその上を駆ける。


 黒瀬は前脚をかわし、顎の下へ刃を入れた。


 四体目は岩壁を蹴り、黒瀬の頭上から襲いかかる。


 黒瀬はしゃがみ、頭上を越えた腹部へナイフを走らせた。


 黒牙犬が黒瀬の背後へ落ちる。


 それでも、黒瀬は振り返らない。


 刃を持った手だけを後ろへ伸ばす。


 起き上がろうとした黒牙犬の首へ、刃先が入った。


 ◇


 白石は坂井を背負い、田所の後ろを走っていた。


 背後から、黒牙犬の唸り声が聞こえる。


 爪が岩を削る音。


 何かが地面へ倒れる音。


 短く、硬い金属音。


 人間の叫び声は聞こえない。


「白石」


 背中の坂井が言った。


「前を見ろ」


「見ています」


「振り返るなよ」


「……はい」


 田所は水野を乗せた担架を引きながら、狭い通路を進んでいる。


 水野の脚を揺らさないため、速度は上げられない。


「田所さん、坂井さんの出血が増えています」


「次の広い場所で止まる。黒瀬が来なかったら、そのまま進むぞ」


「分かりました」


「白石」


 坂井が低い声で言う。


「俺のことより足元を見ろ」


「両方見ています」


「新人が格好つけるな」


「坂井さんほどではありません」


 坂井が小さく笑った。


「言うようになったな」


 白石は田所との距離を保ち、背中の坂井が揺れないよう足を運ぶ。


 今の自分の役目は分かっている。


 坂井を安全な場所まで運ぶ。


 それだけだ。


 だが、背後から聞こえる音が気になった。


 黒瀬は九体を一人で相手にしている。


 いくら狭い通路でも、左右の岩壁を使えば黒牙犬は上からも襲ってくる。


 一度でも体勢を崩せば、群れに囲まれる。


 通路を曲がる直前。


 白石は一度だけ振り返った。


 黒瀬の周りに、五体の黒牙犬がいた。


 一体は正面。


 二体は左右。


 残る二体は岩壁を走り、黒瀬の頭上へ回ろうとしている。


 囲まれている。


 白石には、そう見えた。


 正面の一体が飛びかかる。


 黒瀬は避けない。


 黒牙犬の鼻先へ手を伸ばし、その勢いを横へ流す。


 魔物の身体が岩壁へ衝突する。


 同時に、右側から来た一体の前脚をナイフで切る。


 左から来た個体が、黒瀬の脇を抜けようとした。


 黒瀬はそちらを見ていなかった。


 それでも半歩だけ後ろへ下がり、踵で黒牙犬の脚を払った。


 倒れた魔物の喉へ、刃を入れる。


 上から飛びかかった個体には、倒れた黒牙犬の身体を蹴り上げてぶつけた。


 二体が空中で衝突する。


 黒瀬は落ちてきた一体を先に仕留め、もう一体が起き上がる前に首元を切った。


 白石は息を止めた。


 黒瀬は一度もこちらを見ていない。


 それなのに、一体も通していない。


 九体すべての位置が見えているかのように、先回りして動いている。


 速いだけではない。


 力が強いだけでもない。


 魔物がどこから、どの順番で来るのかを把握している。


 攻撃を受けてから反応しているのではない。


 攻撃が始まる前には、もう次の場所へ動いている。


 白石も探索者だった。


 強い探索者なら、何人も見てきた。


 一体の魔物を豪快に吹き飛ばす者。


 大剣を振り回し、群れをまとめて薙ぎ払う者。


 だが、黒瀬は違った。


 黒瀬は戦っているようにすら見えない。


 近づいた魔物を、近づいた順に処理しているだけだった。


「白石!」


 田所の声に、白石は我に返る。


 前方で田所との距離が開いている。


「すみません!」


「坂井を落としたら、黒瀬に怒られるぞ」


「黒瀬さんより先に、俺が怒る」


 坂井が背中から言った。


「はい」


 白石は前へ向き直った。


 背中に冷たい汗が流れていた。


 ◇


 残った黒牙犬は三体。


 群れの長が低く鳴いた。


 二体が左右へ分かれる。


 一体が正面から黒瀬を引きつけ、もう一体が岩壁沿いに走り、白石たちを追おうとする。


 黒瀬は足元の小石を蹴った。


 石が正面の黒牙犬の鼻先へ当たる。


 一瞬、魔物の動きが止まった。


 黒瀬はその横を抜け、岩壁沿いを走る個体の前へ回る。


 黒牙犬が進路を変えようとした。


 黒瀬のナイフが前脚を切る。


 魔物が地面へ転がった。


 その首へ刃を入れた瞬間、背後から群れの長が飛びかかる。


 黒瀬は振り返らなかった。


 身体を沈める。


 群れの長が頭上を越える。


 黒瀬はその腹部へ、下からナイフを突き上げた。


 大きな身体が地面へ落ちる。


 最後の一体は動きを止めた。


 群れの長が倒れたことで、戦う意思を失ったのだろう。


 黒牙犬は身を翻した。


 逃げる先には、白石たちがいる。


 黒瀬は地面を蹴った。


 黒牙犬が通路を曲がる前に追いつく。


 背後から首元をつかみ、岩壁へ身体を押しつけた。


 短い刃が喉へ入る。


 最後の一体が動かなくなった。


 黒瀬は周囲を見回した。


 反応はない。


 九体すべてが倒れている。


 ナイフについた血を払い、鞘へ戻す。


 そして白石たちの後を追った。


 ◇


「坂井、傷は痛む?」


 後ろから聞こえた声に、白石は振り返った。


 黒瀬が追いついていた。


 息は乱れていない。


 探索服の袖に少し血がついているが、黒瀬自身のものではなかった。


「……九体は?」


 坂井が尋ねる。


「もう来ないよ」


 それだけ答えると、黒瀬は坂井の右脚を見る。


「出血、増えてない?」


「少しな」


「白石さん、一度止まって」


「はい」


 白石は坂井を背負ったまま、ゆっくりと膝をついた。


 黒瀬が止血帯と傷口を確認する。


「締め直すね」


「やれ」


 黒瀬が止血帯を調整すると、坂井が痛みに顔を歪めた。


「水野さんは?」


 黒瀬が尋ねる。


「意識はある」


 田所が答える。


「ただ、体温が下がってる」


「保温シートを追加しよう」


 黒瀬は何事もなかったかのように救助装備を開いた。


 白石はその横顔を見つめた。


 九体の黒牙犬を一人で倒した直後だった。


 それなのに、黒瀬が気にしているのは、坂井の出血と水野の体温だけだった。


「白石さん?」


 黒瀬が顔を上げる。


「どうしたの?」


「……何でもありません」


「坂井、重くない?」


 坂井が先に答える。


「白石に聞けよ」


「問題ありません」


 白石の返事は、わずかに遅れた。


 田所が黒瀬の探索服を見る。


「怪我は?」


「ないよ」


「本当に?」


「うん」


「あとで白石に確認させるぞ」


「どうして私なんですか」


 白石が思わず尋ねた。


「黒瀬は自分の怪我を隠すからだ」


「隠してないよ」


「二十年前から変わってないな」


 田所はそれだけ言うと、再び担架のハーネスを握った。


「行けるか、黒瀬」


「行ける。帰ろう」


 ◇


 第六階層との境界近くで、応援の救助班と合流した。


 坂井と水野は担架へ移され、医療担当が傷を確認する。


「坂井さん。救助員だからって我慢しないでください」


 医療担当が言った。


「我慢してない」


「傷口を見てから言ってください」


 坂井は顔をしかめた。


 水野は隣の担架から坂井を見る。


「坂井さん」


「何だ」


「俺をかばってくれて、ありがとうございました」


「礼は地上へ帰ってからでいい」


「でも――」


「まだ帰ってないだろ」


 坂井の言葉に、水野は口を閉じた。


 坂井は天井を見上げる。


「救助員が救助されてちゃ、世話ないな」


「救助員でも、帰れなくなったら要救助者だよ」


 黒瀬が言った。


「格好がつかない」


「今さらだろ」


 田所が横から言う。


「お前、俺に何回助けられてると思ってるんだ」


「それとこれは別だろ」


「同じだ」


「田所さんは黙っててくれ」


「年上に向かって偉そうだな」


「数か月しか変わらないだろ」


「年上は年上だ」


 坂井が顔をしかめながら笑う。


 黒瀬も少しだけ笑った。


「話せるなら大丈夫そうだね」


「黒瀬さんまで笑うな」


「じゃあ、全員で帰ろう」


 ◇


 地上へ戻ったあと。


 坂井は右脚の縫合処置を受けた。


 傷は深かったが、神経や太い血管には届いておらず、命に別状はなかった。


 水野の左脚も骨折していたが、治療を受ければ再び歩けるという。


 白石は医療室から出ると、装備洗浄室へ向かった。


 扉の向こうから、水の流れる音が聞こえる。


 中では、黒瀬が救助用ナイフを洗っていた。


 刃についた黒牙犬の血を落とし、布で水気を拭き取る。


 光にかざし、刃こぼれがないか確かめている。


「黒瀬さん」


 白石が呼ぶ。


 黒瀬が振り返った。


「坂井、どうだった?」


「傷は深いですが、命に別状はありません」


「そう」


 黒瀬の表情が少し緩む。


「水野さんも、治療が終われば歩けるそうです」


「よかった」


 黒瀬はそれだけ言い、再びナイフへ目を落とした。


 九体を倒したことについては、何も口にしない。


 白石は洗浄台の横へ立った。


「あの……」


「何?」


「そのナイフ一本で、九体と戦ったんですか」


「うん」


「予備の武器は?」


「持ってないよ」


「怖くなかったんですか」


 黒瀬は少しだけ考えた。


「後ろに三人いたからね」


 答えになっていない。


 白石はそう思った。


 だが、すぐに違うと気づく。


 黒瀬が恐れていたのは、自分が傷つくことではない。


 一体でも、自分の後ろへ通すことだった。


「黒瀬さんは……」


 白石は、その先の言葉を止めた。


 なぜ、それほど強いのに探索者を辞めたのか。


 聞こうと思った。


 だが、今は聞けなかった。


 黒瀬は刃を鞘へ戻す。


「白石さんも、坂井を運んでくれてありがとう」


「私は、運んだだけです」


「それが必要だったんだよ」


 黒瀬はいつもと変わらない声で言った。


 白石は、黒瀬の腰に戻された救助用ナイフを見る。


 強い探索者なら、これまでにも何人も見てきた。


 けれど、この人は違う。


 黒瀬慎吾は、強いのではない。


 強すぎるのだ。



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