第42話 迎えに来たよ
「行こう」
黒瀬慎吾は横穴の奥へライトを向けた。
腰ほどの高さしかない入口は、数メートル先でさらに狭くなっている。
丹沢第二救助隊の相馬が、その横にしゃがんだ。
「私が先に入ります」
「いや、俺が行くよ」
「ですが」
「反応の位置を追えるから。その方が早い」
相馬は少し考えてから頷いた。
「分かりました。私が後ろにつきます」
「木内さんは?」
「私は入口に残ります。何かあれば応援を呼びます」
「お願い」
黒瀬は救助袋から必要な装備だけを取り出し、残りを木内へ預けた。
「藤木さんまで、どのくらいですか?」
木内が聞く。
「直線なら百メートルもない」
「直線なら?」
「中がどうなってるか分からないからね」
「なるほど」
黒瀬は身体を低くして横穴へ入った。
相馬が続く。
◇
中は想像していたより広かった。
入口こそ狭いものの、十メートルほど進むと四つん這いにならなくても進める高さになる。
ただし、道は真っすぐではない。
岩壁の間を縫うように、左右へ曲がっていた。
「こんな場所があったのか……」
後ろを歩く相馬が呟く。
「知らなかった?」
「完全に地図の外です。入口があれでは、探索する人もほとんどいないでしょうね」
黒瀬は《索敵》を使う。
藤木と思われる反応は、まだある。
弱いものの、消えてはいない。
「方向は合ってる」
「分かりました」
少し進んだところで、足元に小さな容器が落ちていた。
黒瀬が拾い上げる。
「これ」
相馬がライトを向けた。
「忌避剤ですね」
「空だ」
藤木の同行者が話していたものだろう。
ここまで逃げ込んだあと、途中で使った可能性が高い。
黒瀬が《索敵》を広げる。
横穴の外には大量にいた《洞窟ネズミ》の反応が、この辺りにはほとんどない。
「やっぱり、これで避けてたみたいだね」
「ということは……」
「この先にいる可能性は高い」
相馬の歩く速度が少し上がる。
「相馬さん」
「はい?」
「足元見て行こう」
「あ……すみません」
「反応はまだあるから」
「はい」
二人は再び進んだ。
◇
さらに奥へ行くと、通路が二つに分かれていた。
左は狭い。
右は少し広い。
「どっちです?」
「待って」
黒瀬が《索敵》の範囲を絞る。
弱い反応を追う。
「左」
「こっちですか」
「うん」
相馬が左の通路を覗く。
「かなり狭いですね」
「行けそう?」
「何とか」
二人は身体を横にしながら進んだ。
十メートルほどで、急に視界が開けた。
小さな空洞。
天井は低いが、立つことはできる。
ライトが岩壁を照らす。
空になった携帯食料の袋。
飲み終えた水の容器。
そして、その奥。
「藤木さん」
黒瀬が呼んだ。
岩壁にもたれるように、一人の男が座っている。
頭がわずかに動いた。
「藤木悠人さん?」
返事はない。
黒瀬は足場を確認しながら近づく。
「聞こえる?」
男の顔がゆっくり上がった。
「……誰……」
かすれた声だった。
「救助員の黒瀬です」
藤木は何度か瞬きをした。
「救助……」
「うん。探しに来たよ」
少し遅れて、相馬も入ってくる。
「丹沢第二救助隊の相馬です。藤木さん、分かりますか?」
「……はい」
藤木の声が震えた。
「本当に……来たんですか」
「来たよ」
黒瀬がそばへしゃがむ。
藤木はしばらく何も言わなかった。
やがて、力が抜けるように岩壁へ背中を預ける。
「よかった……」
その一言だけだった。
黒瀬は藤木の状態を確認する。
意識はある。
受け答えもできている。
目立った出血もない。
ただ、顔には疲労が濃く出ていた。
「どこか痛い?」
「肩と……背中を少し」
「逃げてる時?」
「はい。岩にぶつけました」
「頭は?」
「打ってないと思います」
「吐き気は?」
「ないです」
相馬も状態を確認する。
「かなり疲れてますね。水分も足りてなさそうです」
「水は?」
黒瀬が聞く。
「最初は……持ってました。でも、もうなくて」
「いつなくなった?」
「たぶん朝です」
「食べ物は?」
「少しだけ」
「そっか」
黒瀬は様子を見ながら、水を少しずつ飲ませた。
藤木は一度に飲もうとする。
「ゆっくりでいいよ」
「……はい」
何度かに分けて口にすると、少しだけ表情が戻った。
「端末は?」
「落としました」
「やっぱり」
「逃げてる途中で……気づいたらなくて」
「それでここに?」
「はい」
藤木は入口の方を見る。
「《赤牙犬》から逃げて、とにかく狭いところに入ろうと思って……。奥まで来たら、ここがあったんです」
「忌避剤も使った?」
「使いました」
「全部?」
「はい。《洞窟ネズミ》が多かったから」
「それで場所を絞れたんだ」
藤木が黒瀬を見る。
「それで……見つけてもらえたんですか?」
「うん。《洞窟ネズミ》がここだけ避けてた」
「そんなので分かるんですか」
「最初は分からなかったよ」
「え?」
「反応が多すぎてね」
黒瀬が少し笑う。
「でも、ネズミが来ない場所があったから」
藤木はしばらく黒瀬を見ていた。
「俺……」
「うん?」
「途中から、もう探してないと思ってました」
相馬が藤木を見る。
「そんなことない」
「でも、一晩ですよ」
「一晩だろうが何だろうが、見つかるまでは探す」
相馬の声は強かった。
藤木が視線を落とす。
「救難信号も出せなかったし……俺がどこにいるか、誰も知らないから」
黒瀬は黙って聞いていた。
「朝になっても誰も来なくて、時間だけ過ぎて……」
「うん」
「もう、ここで待ってても意味ないのかなって思いました」
「外に出ようとした?」
「少しだけ」
「出なくてよかった」
藤木が顔を上げる。
「入口の近くには、まだ《洞窟ネズミ》がかなりいる。それに今の状態で動いて、また別の場所に入ったら見つけにくくなる」
「……そうですね」
「待つって決めたのは正しかったよ」
藤木は少し俯いた。
「でも……怖かったです」
「うん」
「誰にも見つからないのが、一番怖かった」
黒瀬は小さく頷いた。
「そうだよね」
藤木が黒瀬を見る。
「黒瀬さん」
「何?」
「帰れますか」
黒瀬は藤木の前にしゃがんだまま答えた。
「うん」
少しだけ笑う。
「迎えに来たよ」
藤木は目を閉じた。
「……はい」
今度の声は、先ほどより少しだけ力があった。
◇
黒瀬が無線を取る。
「木内さん」
『はい!』
「藤木さん発見。意識あり。肩と背中を打ってる。かなり疲れてるけど、会話はできてる」
『生きてるんですね?』
「うん」
無線の向こうで、息を吐く音がした。
『分かりました。応援を呼びます』
「お願い。それと、狭いところを通れる搬送具がほしい」
『すぐ準備します』
通信を切る。
相馬が藤木を見る。
「ここからは私たちで地上まで連れて帰ります」
藤木が苦笑した。
「もう十分やってもらってます」
「まだ地上じゃないですから」
「……はい」
しばらくして、木内を含む追加の救助員が到着した。
狭い場所でも使える搬送用シートを持っている。
藤木を慎重に移し、身体を固定する。
「藤木さん」
木内が声をかけた。
「分かりますか?」
「はい」
「木内です。昨日から探してました」
藤木が目を開く。
「……すみません」
「何がです?」
「見つけにくいところにいて」
木内が一瞬黙ったあと、笑った。
「本当にですよ」
藤木も少しだけ笑う。
「でも、見つかってよかったです」
「はい」
救助員たちは藤木を運び始めた。
狭い横穴では一度に動けないため、前後から声を掛け合いながら少しずつ進む。
「あと少し右」
「止めます」
「藤木さん、痛みは?」
「今は大丈夫です」
「分かりました」
黒瀬は必要な時だけ手を出した。
前を木内。
後ろを相馬。
横穴の外では、別の救助員も待っている。
藤木を見つけたのは黒瀬だった。
だが、地上まで連れて帰るのは一人ではできない。
それは奥多摩でも、丹沢でも同じだった。
◇
第五階層の退避所へ到着すると、藤木の仲間二人が待っていた。
「藤木!」
男性が駆け寄る。
藤木が薄く目を開けた。
「……悪い」
「馬鹿!」
「いきなりそれ?」
「どれだけ心配したと思ってるんだよ」
「ごめん」
女性も近づく。
「端末落としたでしょう」
「うん」
「やっぱり」
「ごめん」
「さっきから、それしか言ってないじゃん」
そう言いながら、女性は泣いていた。
藤木が困ったように笑う。
「ただいま」
二人が一瞬黙る。
男性が藤木の肩にそっと触れた。
「……おかえり」
治療担当が藤木を引き継ぐ。
搬送用シートが退避所の奥へ運ばれていった。
黒瀬はそれを見届ける。
「黒瀬さん」
木内が声をかけた。
「うん?」
「ありがとうございました」
「俺だけじゃないよ」
「分かってます。でも、あの横穴は私たちだけでは見つけられなかったと思います」
黒瀬は少し考えた。
「次は見つけられるかもしれないよ」
木内が笑う。
「そうなりたいです」
「うん」
それだけ答えた。
◇
丹沢第二ダンジョンを出る頃には、外は少し暗くなり始めていた。
黒瀬は帰りの救助用車両へ乗り込む。
座席へ背中を預けたところで、スマホが震えた。
白石からだった。
メッセージを開く。
『六名、全員無事に第五階層まで戻りました。水野さんも治療を受けています』
黒瀬は少し笑った。
「そっか」
短く返信する。
『お疲れさま』
すぐに返事が来た。
『そちらは?』
黒瀬は入力する。
『見つかったよ。今、奥多摩に戻ってる』
数秒後。
『よかったです』
それだけだった。
黒瀬はスマホをしまう。
白石たちは、黒瀬がいなくても六人を連れて帰った。
そして丹沢には、黒瀬が来たことで見つけられた一人がいた。
窓の外を流れる景色を見ながら、黒瀬は昨日渡された書類を思い出す。
もう迷う理由はなかった。
スマホを取り出しかけて、やめる。
「帰ってからでいいか」
返事は、所長の顔を見て伝えよう。
黒瀬はスマホをポケットへ戻した。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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