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元日本最強の探索者、今はダンジョン救助員です ~平凡スキル《索敵》を極めたおじさん~  作者: アカメノコバチ


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第4話 支える力

 白石ひなたが奥多摩第一ダンジョン救助管理所へ配属されて、三日目。


 午前十時十二分。


 黒瀬慎吾と白石は、第四階層の植物観察区画にいた。


「黒瀬さん、こちらは確認が終わりました」


 白石は、救助用具の入った収納箱を持ち上げ、通路の端へ移動させた。


 大人二人で運ぶことを想定した大型の箱だったが、白石は一人で軽々と持ち上げている。


「身体強化、便利だね」


「はい。こういった作業でも役立ちます」


 白石は箱を床へ下ろした。


 音を立てないよう慎重に置いたつもりだったが、床がわずかに揺れる。


「もう少しゆっくりでいいよ」


「すみません」


「壊れてないから大丈夫」


 黒瀬は箱の留め具を確認した。


 白石の固有スキルは《身体強化》。


 発動中は、筋力だけでなく、瞬発力や反応速度も大きく上昇する。


 探索者として活動していた頃は、前衛として魔物と戦うために使っていた。


 重い武器を振り、敵を殴り飛ばす。


 力を強く使うことには慣れている。


「救助員には向いているスキルだと思います」


 白石が言った。


「重い瓦礫があっても、私なら動かせます。怪我人を抱えて運ぶこともできます」


「そうだね」


 黒瀬は収納箱を開け、中の装備を確認する。


「動かしていい物ならね」


 白石は、その言葉の意味を尋ねようとした。


 そのときだった。


「誰か来てください!」


 観察区画の奥から、男の叫び声が聞こえた。


 続いて、何かが倒れる大きな音が響く。


 黒瀬が立ち上がった。


「行こう、白石さん」


「はい!」


 二人は救助用具をつかみ、声のした方向へ走った。


 ◇


 第四階層の植物観察区画では、ダンジョンに自生する魔力植物が育てられている。


 薄暗い洞窟の天井を照らす灯籠苔。


 触れると葉の色を変える音色草。


 七色の光を帯びた雫を落とす七色蔦。


 一般の見学者でも安全に観察できるよう、危険な植物は管理区域の内側で栽培されていた。


 事故が起きたのは、その管理区域だった。


「全員、こちらへ避難してください!」


 施設職員が見学者たちを誘導している。


 黒瀬は走りながら周囲へ意識を広げた。


 逃げていく複数の反応。


 その奥に、ほとんど動かない人間が一人。


 さらに、その人間を取り囲むように、いくつもの小さな魔力反応があった。


「中に一人残ってる」


 黒瀬が言う。


 管理区域を囲む柵の扉は開いたままだった。


 その向こうで、紺色の作業着を着た女性が壁際に倒れている。


 施設管理員の宮下佳代だった。


 胸、腰、右腕に、緑色の太い蔦が巻きついている。


 蔦は壁際の植栽区画から何本も伸び、宮下の身体をゆっくりと引き寄せていた。


「宮下さん!」


 若い男性職員が柵の外から叫ぶ。


「どうして、こんなことに?」


 黒瀬が尋ねた。


「締め蔦です。管理用の支柱が折れて、通路へ伸びてきました」


 男性職員の顔は青ざめている。


「自分が足を取られました。宮下さんが助けてくれて……代わりに……」


「怪我は?」


「自分は大丈夫です」


「ほかに中へ残っている人は?」


「いません」


 黒瀬はもう一度索敵し、人間の反応が宮下一人だけであることを確認した。


「白石さん、入ろう」


「はい」


 二人は管理区域へ入った。


 宮下は意識を保っていた。


 しかし、胸に巻きついた蔦に締められ、呼吸が浅い。


「宮下さん、救助管理所の黒瀬です」


「……締め蔦です」


 宮下が苦しそうに答えた。


「引っ張ると……締まります」


「分かった。なるべく動かないで」


 黒瀬が蔦の状態を確認している横で、白石は宮下の上半身をつかんだ。


「今、引き出します」


「白石さん、待って」


 黒瀬の声より早く、白石は《身体強化》を発動した。


 宮下の身体を蔦から引き離そうと、両腕へ力を込める。


 その瞬間だった。


 宮下に巻きついていた締め蔦が、一斉に収縮した。


「うっ……!」


 胸に食い込んだ蔦が、さらに強く締まる。


 宮下の背中が反り、苦痛に顔が歪んだ。


「白石さん、力を抜いて」


「でも、抜いたら宮下さんが引き戻されます!」


「引かなくていい。今の位置で止めて」


 白石は宮下をつかんだまま動きを止めた。


 しかし、腕に込めた力を弱めれば、蔦が宮下を植物側へ引いていく。


 強めれば、蔦が反応して締めつける。


「どうすれば……」


「持ってくるよ」


 黒瀬は救助用の保護板とナイフを取り出した。


 薄い保護板を、蔦と宮下の身体の間へ差し込んでいく。


「宮下さん、この蔦はどこから切ればいい?」


 十五年間、植物区画で働いてきた宮下なら、締め蔦の性質を知っている。


「太い主蔦を……先に切らないでください」


 宮下は短い呼吸を繰り返しながら答えた。


「主蔦を切ると……枝が全部、一度に縮みます」


「外側の細いものから?」


「はい。張っていない蔦から……一本ずつ」


「分かった」


 黒瀬は白石へ目を向けた。


「白石さん、宮下さんを持ち上げなくていい」


「はい」


「蔦に引き戻されないように、今の場所で支えて」


「どれくらい力を入れればいいですか」


「宮下さんの身体が動かないくらい」


 白石は答えず、自分の腕へ意識を集中させた。


 敵を殴り飛ばすときなら、出せる限りの力を使えばよかった。


 だが今は違う。


 強すぎても、弱すぎてもいけない。


 宮下の身体を動かさない、ちょうどよい力。


 白石は《身体強化》の出力を少しずつ下げた。


「そのまま」


 黒瀬は、宮下の左脚に絡んでいた細い蔦へナイフを入れた。


 ◇


 宮下佳代が植物観察区画で働き始めたのは、十五年前だった。


 夫が勤めていた会社が倒産した。


 当時十歳だった娘を育てるため、宮下は少しでも時給の高い仕事を探した。


 ダンジョンの中で働くことに、特別な憧れがあったわけではない。


 危険手当がつく。


 家から通える。


 勤務時間も都合がよかった。


 それだけだった。


 初めて第四階層へ下りた日。


 薄暗い洞窟の中で、灯籠苔が一斉に青白く光った。


 その下では、七色蔦から落ちる雫が、赤、青、黄、緑へと色を変えていた。


 見学に来ていた子どもたちが歓声を上げた。


 植物の名前を説明すると、何度も質問された。


 最初は何も答えられなかった。


 悔しくて、家に帰ってから図鑑を読んだ。


 翌日も、その翌日も勉強した。


 気づけば十五年が過ぎていた。


 夫は三年前に病気で亡くなった。


 それから娘の綾は、母がダンジョンへ出勤するたびに不安そうな顔をするようになった。


 昨日の夜も、二人は言い争った。


『もう、この仕事を辞めてよ』


『第四階層は安全よ。危険な区域には入らないから』


『ダンジョンの中に安全な場所なんてないでしょう』


『十五年も働いているの。今さら何を言っているのよ』


『十五年働いてるから、これからも何も起きないってこと?』


 宮下は言い返せなかった。


 綾は最後に、泣きそうな顔で言った。


『お父さんがいなくなったのに、お母さんまでいなくなったら、私はどうすればいいの』


 あの子は、仕事を嫌っていたわけではなかった。


 今になって、ようやく分かった。


 ただ、怖かったのだ。


 父親に続いて、母親まで帰ってこなくなることが。


 宮下は、自分がなぜこの仕事を続けてきたのか、一度も娘に話していなかった。


 娘を育てるために始めた仕事だった。


 けれど今では、それだけではない。


 見学に来た人が、美しいと言ってくれる。


 知らなかった世界を知って、目を輝かせてくれる。


 その人たちが安全に帰れるよう、植物を育て、設備を点検し、通路を守る。


 それが自分の仕事だった。


 娘より仕事が大切なのではない。


 どちらかを選びたいわけでもない。


 けれど宮下は、何も言葉にしなかった。


 言わなくても分かってくれると思っていた。


 何も伝えていないのに。


「宮下さん」


 黒瀬の声で、宮下は目を開けた。


「息できる?」


「……はい」


「胸の蔦は最後に外す。それまで少し苦しいけど、耐えられそう?」


 宮下はうなずいた。


「娘さん?」


 黒瀬が尋ねた。


 宮下が、無意識に「綾」と口にしていたらしい。


「……娘がいます」


「待ってる?」


「家に」


「じゃあ、帰らないとね」


 黒瀬はそれ以上何も聞かなかった。


 宮下は目を閉じる。


「帰りたいです」


 自分の口から出た言葉に、宮下自身が驚いた。


 新人を助けたことに後悔はない。


 自分が代わりに捕まらなければ、あの若い職員がここにいた。


 それでも、仕方がないとは思えなかった。


 娘に話さなければならない。


 なぜ十五年間、この場所で働いてきたのか。


 昨日の言い争いを、あのまま最後の会話にしたくなかった。


「うん」


 黒瀬が答えた。


「地上で話そう」


 ◇


「あと三本」


 黒瀬が言った。


 白石の腕は震え始めていた。


 最大出力で岩を持ち上げる方が、まだ楽だった。


 同じ力を保ち続ける。


 宮下の呼吸や蔦の動きに合わせ、わずかな力の変化を抑える。


 それは、白石が想像していた以上に難しかった。


「黒瀬さん、身体強化を強めてもいいですか」


「今のままで」


「でも、腕が……」


「強めたら宮下さんが動くよ」


 白石は歯を食いしばった。


「あと二本」


 黒瀬が外側の蔦を切る。


 宮下の身体がわずかに白石側へ傾いた。


 白石は反射的に強く引きそうになり、腕を止める。


「そう。そのまま受けて」


「はい」


「あと一本」


 最後に残ったのは、宮下の胸に巻きついた太い枝蔦だった。


 黒瀬は宮下の胸と蔦の間へ保護板を差し込む。


「宮下さん、切ったら身体が白石さんの方へ倒れるよ」


「はい」


「白石さん、引っ張らなくていい。受け止めて」


「分かりました」


 黒瀬がナイフを引いた。


 枝蔦が切れる。


 宮下の身体が白石側へ倒れた。


 白石は身体強化を使い、その重さを受け止める。


 引かない。


 持ち上げない。


 ただ、落とさないように支える。


 黒瀬は根元につながっていた主蔦を切断した。


 残っていた蔦が力を失い、宮下の身体から滑り落ちる。


「外れたよ」


 白石は息を吐いた。


「ゆっくり下ろそう」


「はい」


 白石は黒瀬と呼吸を合わせ、宮下を床へ横たえた。


 今度は急がない。


 黒瀬が宮下の呼吸と脈を確認する。


「大丈夫。地上へ帰れるよ」


 宮下の目から、涙が一筋こぼれた。


 ◇


 宮下は担架に乗せられ、観察区画の外へ運ばれた。


 命に別状はない。


 胸と腕に締めつけられた痕が残っているが、骨折もなかった。


 白石は担架の横へ立ち、深く頭を下げた。


「すみませんでした」


 宮下が白石を見る。


「最初に私が引いたせいで、宮下さんを余計に苦しませました」


 白石の両手は、まだわずかに震えていた。


 宮下は静かに首を横へ振った。


「でも、私は助かりました」


 白石が顔を上げる。


「白石さんが支えてくれなかったら、こうして戻ってこられなかったと思います」


「ですが……」


「ありがとうございました」


 白石はしばらく何も言えなかった。


 やがて、もう一度頭を下げる。


「……はい」


 避難していた見学者たちが、担架で運ばれる宮下を見送っていた。


 その中にいた小さな男の子が、母親の手を握りながら声を上げる。


「お姉さん!」


 宮下が顔を向ける。


「七色蔦、すごくきれいだった!」


 宮下の目に、再び涙が浮かんだ。


「そうでしょう?」


 痛みで青ざめていた顔に、柔らかな笑みが戻る。


 地上へ帰ったら、綾と話そう。


 仕事を辞めるか、続けるか。


 その答えを急ぐのではなく、まず自分がこの仕事を好きになった理由を話そう。


 娘を育てるために始めた仕事が、いつの間にか、自分の大切な仕事になっていたことを。


 そして、娘を一人にしたいわけではないことも。


 担架が通路の向こうへ消えていく。


 黒瀬と白石は、その背中を見送った。


 白石は自分の両手を見下ろす。


 この手には、人を持ち上げる力がある。


 岩を動かし、魔物を倒すこともできる。


 けれど今日、必要とされたのは、強く引くことではなかった。


 必要な場所で、必要な力を保ち続けることだった。


「白石さん」


 黒瀬が呼んだ。


「はい」


「次は、引っ張る前に一度止まろう」


「次は間違えません」


 黒瀬は少しだけ考える。


「うん。同じ間違いをしなければいいんじゃないかな」


 白石はもう一度、自分の手を見る。


 まだ震えていた。


 けれど今度は、その震えから目をそらさなかった。




最後まで読んでいただきありがとうございます。

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