第36話 三日間、見つからない(前編)
午前九時過ぎ。
奥多摩第一ダンジョン救助管理所。
黒瀬慎吾は、自分の机で前日の救助記録をまとめていた。
「黒瀬さん」
「うん?」
白石ひなたが書類を手に近づいてくる。
「昨日の川村さん、病院から連絡が来たそうです」
「どうだった?」
「肋骨を二本骨折。それと、肺も少し傷ついていたみたいです」
「そっか」
「でも、状態は安定しているそうです」
黒瀬は小さく息を吐いた。
「よかった」
「救助を呼ぶのが早かったのもよかったみたいですよ」
「杉本さんの判断だね」
「はい」
白石が自分の席へ戻る。
黒瀬も再び書類へ目を落とした。
その時、机の上に置いていたスマホが震えた。
「ん?」
画面を見る。
表示された名前に、黒瀬の指が止まった。
神崎亮介。
「……珍しいな」
「知り合いですか?」
白石が聞く。
「昔の仲間」
「探索者時代の?」
「うん」
着信は続いている。
黒瀬はスマホを取った。
「もしもし」
『慎吾か』
聞き覚えのある低い声だった。
「久しぶり」
『久しぶりだな』
「何年ぶり?」
『それ、今いるか?』
「いらないかも」
神崎の声は変わっていなかった。
探索者だった頃、何度も一緒に深層へ潜った男だ。
「どうしたの?」
少し間があった。
『頼みがある』
声の調子が変わる。
黒瀬も椅子へ座り直した。
「何?」
『人を一人、探してほしい』
黒瀬の表情が変わった。
「どこ?」
『富士北麓ダンジョン』
「遭難?」
『ああ』
「いつ?」
神崎が少し黙った。
『三日前だ』
黒瀬の手が止まる。
「三日?」
『第十八階層だ。三人パーティーが地下水路付近を探索していた時、急に水量が増えて三人とも流された』
「二人は?」
『その日のうちに見つけた』
「もう一人は?」
『まだだ』
黒瀬は黙った。
三日が経過している。
しかも第十八階層の地下水路で遭難した。
楽観できる条件ではない。
「どれくらい探した?」
『初日からずっとだ。救助隊だけで延べ三十人以上入ってる』
「下流は?」
『見た』
「横穴は?」
『見た』
「地下空洞は?」
『地図に載ってる場所は全部だ。水が引いてから、もう一度全部見直した』
「《索敵》持ちは?」
『二人入れた』
「何も?」
『拾えなかった』
神崎が息を吐く音が聞こえた。
『捜索範囲も広げた。それでも見つからない』
「……そっか」
『正直な』
神崎の声が低くなる。
『もう生きてるとは思ってない』
黒瀬は何も言わなかった。
食料や水が残っていれば、生存している可能性はある。
だが、濁流に流されている。
装備を失っているかもしれないし、どこかを負傷している可能性も高い。
『でも、見つけてやりたい』
「うん」
『それで、お前を思い出した』
「俺?」
『お前の《索敵》なら、俺たちが拾えなかったものを拾えるかもしれない』
黒瀬は窓の外へ目を向けた。
「見つけられるとは限らないよ」
『分かってる』
「もう亡くなってるかもしれない」
『それも分かってる』
「それでも?」
『頼む』
昔から、神崎がこういう言い方をする時は、本当に困っている時だった。
「正式な応援要請は?」
『もう出してる』
黒瀬が少し笑う。
「早いね」
『お前が断ると思ってないからな』
「昔から勝手だね」
『お前に言われたくない』
それもそうかもしれない。
「分かった」
『来てくれるか』
「うん。行くよ」
◇
電話を切って間もなく、富士北麓ダンジョンから正式な救助応援要請が届いた。
「黒瀬さんだけ、ですか」
白石が少し不満そうに言う。
「今回はね」
「第十八階層だから?」
「うん」
奥多摩第一ダンジョンでも、十階層を越えれば危険度は大きく上がる。
まして十八階層ともなれば、白石が通常の救助で入る場所ではない。
「私も《身体強化》があります」
「知ってるよ」
「足手まといにはならないと思います」
「それも知ってる」
「じゃあ」
「今回は、俺が呼ばれた理由が別だから」
白石が黙る。
「《索敵》ですか」
「うん」
富士北麓には現地の救助隊がいる。
戦える人間もいる。
それでも見つからないから、黒瀬に応援要請が来た。
「……分かりました」
白石は少し残念そうに頷いた。
「でも、ちゃんと帰ってきてくださいね」
「うん」
「知らない魔物を見つけても、一人で倒してこなくていいですから」
「そんな予定ないよ」
「黒瀬さんの場合、予定になくてもやるじゃないですか」
「それは困ったね」
「困ってるのはこっちです」
近くで聞いていた田所が笑った。
「白石さんの方がよく分かってるな」
「田所まで」
「気をつけて行けよ」
「うん」
「十八階層だぞ」
「分かってる」
黒瀬は救助袋を持ち上げた。
「行ってきます」
◇
富士北麓ダンジョン。
黒瀬がここへ来るのは、七年ぶりだった。
「変わったな」
入口前には、黒瀬の記憶にない新しい管理棟が建っている。
探索者の姿も奥多摩より多い。
大型の搬送車が何台も止まり、救助用の装備を抱えた職員が忙しそうに行き交っていた。
「慎吾!」
声がする。
黒瀬が振り返ると、救助服を着た大柄な男が歩いてきた。
短く切った髪には、少し白いものが混じっている。
「神崎」
「遅いぞ」
「東京から来たんだけど」
「昔はもっと早かった」
「昔はダンジョンの中での話でしょう」
神崎亮介。
四十七歳。
かつて黒瀬と何度も深層へ潜った探索者だ。
今は現役を引退し、富士北麓ダンジョンの救助部門で働いている。
「老けたね」
黒瀬が言う。
「お前もな」
「そう?」
「鏡見ろ」
「毎朝見てるけど」
「なら気づけ」
神崎が笑う。
黒瀬も笑った。
「久しぶり」
「ああ」
二人が軽く拳を合わせる。
「話は中でする」
「うん」
二人は管理棟へ入った。
◇
会議室。
壁の大型画面には、第十八階層の地図が表示されていた。
十人近い救助員が集まっている。
どの顔にも疲れが見えた。
三日間、交代しながら捜索を続けてきたのだろう。
「紹介する」
神崎が言った。
「奥多摩第一ダンジョン救助管理所の黒瀬慎吾」
何人かの視線が集まる。
「……黒瀬慎吾?」
若い救助員が呟いた。
「元世界三位の?」
「昔の話だよ」
黒瀬が答える。
神崎が鼻で笑った。
「昔から大して変わってないけどな」
「変わったよ」
「どこが?」
「歳」
「それは俺もだ」
少しだけ場の空気が緩む。
「本題に入るぞ」
神崎が大型画面を見ると、地図の一点が拡大された。
「遭難者は小野寺亮。二十七歳。A級探索者」
顔写真が表示される。
「三日前の午後一時四十分ごろ、この地点で地下水路が増水した。小野寺を含む三人が流され、二人は約一時間後に下流の岩棚で発見された」
「小野寺さんは?」
「さらに下流へ流された可能性が高い」
地図が動く。
「ここから水路が三方向に分かれる」
「事故当日の水量は?」
「普段の三倍近かった」
「今は?」
「ほぼ戻ってる」
「小野寺さんの装備は?」
「同行者によると、背負い袋は途中で外れた可能性が高い」
「水と食料も?」
「おそらくな」
黒瀬は地図を見る。
やはり条件は厳しい。
「捜索した範囲は?」
神崎が地図上へ線を引く。
「ここからここまで。水路だけじゃない。通れる横穴と、確認されている空洞は全部だ」
「一度ずつ?」
「いや。水が引いたあとに再確認してる」
「それでも何も?」
「ああ」
その時、一人の男性救助員が口を開いた。
「私も二日間、捜索に入りました」
三十代半ばくらいの男だ。
「森川です。《索敵》を持っています」
「黒瀬です」
「お名前は以前から」
森川は地図を見る。
「地下河川沿いは、可能な限り確認しました」
「どのくらい拾える?」
黒瀬が聞く。
「通常なら半径百五十メートル前後です。ただ、岩盤が厚くなるほど距離は落ちます」
「水の中は?」
「かなり分かりにくくなります。水棲魔物の反応が多いので、小さな反応同士が重なるんです。大型なら判別できますが、弱い反応はノイズに埋もれます」
「なるほど」
黒瀬が頷く。
今度は森川が尋ねた。
「黒瀬さんは、どのくらいまで?」
「条件次第かな」
「条件?」
「岩の厚さとか、水の量とか。あとは、何を探してるかでも変わる」
「何を探しているか?」
「全部拾おうとすると、遠くまで細かく見るのは難しいからね」
森川が少し考える。
「対象を絞るんですか」
「うん。人間だけとか、動いてない反応だけとか」
「そんな使い分けができるんですか?」
「慣れればね」
神崎が笑った。
「その『慣れれば』を信用するなよ」
「何で?」
「こいつの慣れればは、二十年だからな」
「それはそうかも」
森川は黒瀬と神崎を見比べた。
「森川さん」
「はい」
「一緒に来てもらっていい?」
「私も?」
「どこを探したか、現場で教えてほしい」
森川はすぐに頷いた。
「もちろんです」
「神崎も?」
「ああ」
神崎が立ち上がる。
「久しぶりに一緒に潜るか」
「救助だからね」
「分かってるよ」
三人は第十八階層へ向かった。
◇
第十八階層。
地下水路。
岩壁の間を、冷たい水が流れている。
「ここです」
森川が足を止めた。
「二人を発見したのが、あの先の岩棚です」
黒瀬が水路を見る。
「小野寺さんは、そのまま下流へ?」
「その可能性が高いです」
「この先は?」
「少し進んだところで三方向に分岐します」
三人は歩き始めた。
最初の分岐へ到着すると、森川が周囲を示す。
「ここは初日に確認しました。水が引いたあとにも別班が入っています」
黒瀬が《索敵》を広げる。
水の中や岩陰に、いくつか生き物の反応がある。
どれも小さい。
人間らしい反応はなかった。
「ここにはいないね」
森川も《索敵》を使う。
「はい。私も同じです」
二つ目の分岐にもいない。
三つ目にも、人間の反応はなかった。
それでも黒瀬は先へ進み、場所を変えるたびに足を止めた。
《索敵》を広げ、対象を絞り、見る方向を変える。
森川もそのたびに確認していく。
そんな捜索を一時間近く続けた。
「……いないね」
黒瀬が言う。
森川が小さく息を吐いた。
「やはり……」
落胆した声だった。
三日間探し続けて、それでも見つからない。
黒瀬が加わっても、これまで捜索した場所からは何も見つからなかった。
神崎が黒瀬を見る。
「終わりか?」
「まだ」
「どこ見る?」
「もう少し下」
「捜索範囲の外だぞ」
「うん」
「何か感じるのか?」
「今は何も」
「じゃあ何で?」
黒瀬は足元を流れる水を見る。
「三日前は、今よりずっと水が多かったんでしょう?」
「ああ」
「だったら、想定より遠くまで流されててもおかしくないかなと思って」
神崎が頷いた。
「行くか」
三人はさらに下流へ進んだ。
◇
しばらく歩いたところで、黒瀬が足を止めた。
「ここ」
森川が周囲を見る。
「何かありますか?」
目の前には岩壁があり、その脇を細い水路が奥へ続いている。
「まだ分からない」
黒瀬は水路を見た。
「森川さん、《索敵》してみて」
「はい」
森川が集中する。
しばらくして、目を開けた。
「水路の奥に、小型の反応が十一あります」
「俺も見てみる」
黒瀬が《索敵》を広げた。
水路の奥に、小型の水棲魔物がいる。
水の流れに合わせて位置を変えているため、反応同士が重なったり離れたりしていた。
黒瀬はそれを一つずつ切り分けていく。
「……十二だね」
森川が黒瀬を見る。
「十二?」
「うん。二体重なってる」
黒瀬が方向を示した。
「少し右」
森川がもう一度《索敵》を使う。
数秒後、その表情が変わった。
「……本当だ。二つあります」
「近すぎると一つに見えるよね」
「私はずっと十一だと思っていました」
「普通はそれで十分だよ」
「十分?」
「数が一つ違っても、危険な群れがいること自体は分かるでしょう?」
「ああ……」
森川が頷く。
黒瀬にとって《索敵》は、反応の数を当てるためのものではない。
必要な情報を拾うためのものだ。
だからこそ、今は別のものを探している。
黒瀬はそのまま集中を続けた。
「でも、もう一つある」
「え?」
森川が再び水路を見る。
「十三個目ですか?」
「うん」
「どこに?」
「もう少し奥」
森川も《索敵》を広げるが、やがて首を振った。
「……分かりません」
「反応が弱すぎるんだと思う」
「水路の魔物ではないんですか?」
「たぶん違う」
十二の反応は常に動いていた。
水の流れに乗ったり、向きを変えたり、ときには重なったりしながら移動している。
だが、もう一つだけ動き方が違う。
ほとんど同じ場所から動いていない。
「十二は動いてる」
「はい」
「でも、一つだけ動かない」
森川の表情が強張った。
「どこに?」
黒瀬は岩壁の向こうへ意識を向ける。
「この向こう」
「そこは岩盤です」
「うん」
「地図上では、この先に空間はありません」
「そうみたいだね」
黒瀬はさらに対象を絞った。
水と岩盤、その手前を泳ぐ水棲魔物の反応に埋もれるように、ごく弱い反応が一つだけ残っている。
完全に止まっているわけではない。
一定の間隔で、ほんのわずかに反応が揺れていた。
「横になってる」
森川が黒瀬を見る。
「そこまで分かるんですか?」
「動き方を見てるだけだよ」
「動き方……」
森川が小さく呟く。
同じ《索敵》を使っている。
同じ場所を見ている。
それでも、拾っている情報の細かさが違う。
神崎が一歩近づいた。
「慎吾」
「うん」
「小野寺か?」
黒瀬は、岩盤の向こうにある弱い反応へ意識を集中させた。
三日間、誰にも見つけてもらえなかった。
地図にも載っていない場所で、水と岩盤と魔物の反応に紛れながら、それでも一つだけ消えずに残っている。
「たぶん、小野寺さんだ」
神崎の顔が変わった。
「生きてるか?」
黒瀬は少し黙った。
そして、小さく頷いた。
「まだ生きてる」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
少しでも何かを感じて頂けたら評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




