第34話 あなたが倒したんですか?
翌朝。
奥多摩第一ダンジョン救助管理所の前には、見慣れない人だかりができていた。
「……多いな」
黒瀬慎吾は少し離れた場所で足を止めた。
十人。
いや、もっといる。
カメラを持った人間。
マイクを持った人間。
腕章をつけた人間。
管理所の入口には規制線まで張られている。
「黒瀬さん!」
隣にいた白石ひなたが声を上げた。
「見つかりました!」
「見つかったね」
「どうします?」
「仕事だから入らないと」
「そうですけど……」
二人が歩き出す。
すると。
「黒瀬慎吾さんです!」
誰かが叫んだ。
一斉に人が動いた。
「黒瀬さん!」
「昨日、第九階層で未知の魔物を討伐したというのは事実ですか!?」
「単独で戦ったんですか!?」
「魔物の種類は!?」
「負傷したという情報もありますが!」
黒瀬は立ち止まった。
「朝から元気だね」
「感心してる場合じゃないですよ」
白石が小声で言う。
管理所の職員が慌てて出てくる。
「すみません! 取材については午前十時から管理責任者が説明しますので!」
「黒瀬さんから一言だけ!」
「未知の魔物を本当に一人で倒したんですか!?」
黒瀬は少し考えた。
「倒したのは俺です」
記者たちが一斉に反応する。
「やはり単独で!?」
「元世界三位の実力は健在ということでしょうか!」
「探索者への復帰は考えていますか!?」
「考えてないです」
即答した。
「なぜですか?」
「今、救助員なので」
「ですが、昨日の魔物は既存の記録にない個体だったと――」
「まだ調査中です」
「危険度はどれほどだったんですか?」
「それも調査が終わらないと分からないと思います」
「黒瀬さん自身はどう感じました?」
「硬かったです」
「……硬かった?」
「はい」
記者が一瞬止まる。
白石が横で顔を伏せた。
笑いをこらえているらしい。
「黒瀬さん」
「うん?」
「たぶん、そういう感想を聞いてるんじゃないと思います」
「そうなの?」
「絶対違います」
その様子までカメラに撮られている。
別の記者が前へ出た。
「昨日は第六階層から第九階層にかけて、複数の救助要請が発生したと聞いています」
「はい」
「にもかかわらず、死者も重傷者も出なかった。これは黒瀬さんの働きが大きかったのでしょうか?」
黒瀬は少し黙った。
「俺だけじゃないですよ」
「といいますと?」
「第六階層へ行ったのは他の救助員です。第七階層にも別の救助班が行っています」
黒瀬は管理所を見る。
「管制の人たちもずっと動いてました。探索者を第五階層まで連れて帰ったのも、俺一人じゃないです」
「ですが、第九階層の魔物を倒したのは――」
「俺です」
黒瀬は頷いた。
「でも、その前に救助要請を出してくれた人たちがいたから、怪我人が出る前に動けたんです」
昨日の三つの救難信号。
どれも、探索者たちはまだ動けるうちに助けを求めた。
「危ないと思ったら、早く呼んでもらった方が助かります」
「助けを呼ぶこと自体が重要だと?」
「はい」
黒瀬は少し笑った。
「俺たち、呼ばれないと迎えに行けないので」
一瞬。
記者たちが静かになった。
その時だった。
管理所の中から警報音が鳴った。
黒瀬と白石が同時に振り返る。
「救助要請?」
「みたいですね」
二人の表情が変わる。
「すみません」
黒瀬が記者たちへ頭を下げた。
「仕事なので」
「あ、黒瀬さん!」
二人はそのまま管理所へ入った。
◇
「第四階層、南回廊」
管制員が地図を表示する。
「探索者二名です。一人が動けなくなっています」
「怪我?」
黒瀬が聞く。
「ありません」
「ない?」
「はい」
白石が首をかしげる。
「じゃあ、どうして動けないんですか?」
「魔物との遭遇後から、呼吸が速くなって立てなくなったそうです」
「意識は?」
「あります。会話もできます」
「魔物は?」
「同行者が撃退済み。現在、周辺に危険な反応は確認されていません」
黒瀬が頷く。
「分かった」
白石が救助袋を取る。
「行きましょう」
「うん」
外にはまだ記者たちがいる。
だが。
今はそちらを気にしている時間はない。
◇
第四階層。
「もう少し先です」
白石が地図を見る。
「うん」
黒瀬は《索敵》を広げる。
人間の反応が二つ。
一つは立っている。
もう一つは。
「いた」
「状態は?」
「その場から動いてないね」
二人が通路を曲がる。
岩壁の近く。
一人の若い男性が座り込んでいた。
その隣に、同年代の男性がしゃがんでいる。
「救助員です」
白石が声をかける。
「来た!」
立っていた男性が振り返った。
「こいつ、急に動けなくなって……!」
「大丈夫。順番に見ます」
黒瀬が座っている男性の前へしゃがむ。
二十歳くらい。
顔色が悪い。
呼吸が速い。
両手が震えている。
「名前、聞いていい?」
「……藤原……です」
「藤原さん。黒瀬です」
「はい……」
「どこか痛い?」
藤原が首を振る。
「怪我は……してません」
「気持ち悪い?」
「少し……」
「息苦しい?」
「はい」
白石が脈を確認する。
「速いです。でも大きな外傷はありません」
同行者が言った。
「さっきロックボアが出たんです」
「うん」
「俺たち二人で倒しました。別に苦戦したわけじゃないんです」
男は困ったように藤原を見る。
「なのに、終わったあと急にこいつが震え始めて」
「初めてだった?」
黒瀬が藤原へ聞く。
「……何がですか?」
「魔物が本気で自分を殺しに来るところを見たの」
藤原が黙った。
少しして。
頷く。
「はい」
「そっか」
「俺……探索者なのに」
藤原が震える手を見る。
「情けないですよね」
「何が?」
「怖くて……立てないんです」
黒瀬は首をかしげた。
「怖かったんでしょう?」
「はい」
「なら普通じゃない?」
藤原が顔を上げる。
「え?」
「俺も怖いよ」
「……黒瀬さんが?」
「うん」
隣の男性も驚いている。
「昨日、あんな魔物倒した人が?」
黒瀬が男を見る。
「知ってるの?」
「朝からニュースになってますよ」
「もう?」
「めちゃくちゃ流れてます」
「早いなあ」
白石が苦笑する。
藤原が黒瀬を見る。
「本当に怖いんですか?」
「怖いよ」
「でも、普通に戦えるじゃないですか」
「怖いのと、動けるのは別だからね」
黒瀬は座ったまま言う。
「最初から動ける人ばかりじゃないよ」
藤原の呼吸は、まだ少し速い。
「今、無理に立たなくていいから」
「でも……」
「急いでないよ」
黒瀬が壁へ背中を預けた。
「呼吸が落ち着くまで、ここにいよう」
「……いいんですか?」
「迎えに来たんだからね」
白石も藤原の隣へ座る。
「ゆっくり息を吐いてみましょう」
「はい」
「吸うことより、吐くことを意識してください」
藤原がゆっくり息を吐く。
一度。
二度。
三度。
少しずつ。
肩の動きが小さくなっていく。
数分後。
「……立てそうです」
藤原が言った。
「本当?」
「はい」
「じゃあ、一回だけ立ってみようか」
白石が手を貸す。
藤原がゆっくり立つ。
足は震えている。
だが。
立てた。
「歩けそう?」
「……たぶん」
黒瀬も立ち上がる。
「ゆっくり帰ろう」
◇
地上へ戻る途中。
藤原は自分の足で歩いていた。
「黒瀬さん」
「うん?」
「俺、探索者やめた方がいいですかね」
同行者が藤原を見る。
黒瀬は少し考える。
「今日決めなくてもいいんじゃない?」
「でも、また同じことになったら」
「なるかもしれないね」
「……ですよね」
「ならないかもしれない」
藤原が黒瀬を見る。
「どっちなんですか?」
「分からないよ」
黒瀬は笑った。
「今日一回怖かっただけで、これから全部決める必要ないでしょう?」
「……はい」
「地上に帰って、ご飯食べて、寝て」
「はい」
「それから考えればいいよ」
藤原はしばらく黙っていた。
「分かりました」
少しだけ。
表情が柔らかくなった。
◇
救助を終え、管理所へ戻る黒瀬と白石。
「昨日とは全然違う救助でしたね」
「そうだね」
「昨日は十メートルくらいの魔物で」
「うん」
「今日は、怪我もしてない一人の探索者」
「うん」
白石が黒瀬を見る。
「でも黒瀬さん、どっちも同じ感じですね」
「そう?」
「はい」
「何が?」
「助けに行く時です」
黒瀬は少し考えた。
「救助だからね」
「昨日の記者さんが聞いたら、また記事にしそうです」
「それは困るな」
「もう外で待ってるかもしれませんよ」
「裏口ないかな」
「ありません」
「そっか」
昨日。
正体も分からない巨大な魔物を倒した。
今日は。
怖くて立てなくなった一人の探索者を迎えに行った。
黒瀬にとっては。
どちらも同じだった。
帰れなくなった人がいる。
だから。
迎えに行く。
ただ、それだけだった。
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