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元日本最強の探索者、今はダンジョン救助員です ~平凡スキル《索敵》を極めたおじさん~  作者: アカメノコバチ


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第33話 三つの救難信号(後編)

 ズン。


 低い音が、第九階層の通路に響いた。


 足元がわずかに揺れる。


「黒瀬さん」


 白石ひなたが後ろから声をかける。


「……近づいてます?」


「うん」


 黒瀬慎吾は《索敵》を広げたまま歩いていた。


 六人の探索者。


 白石。


 そして。


 そのさらに後方。


 一つだけ、異様に大きな反応。


 ゆっくり。


 確実に。


 こちらへ近づいている。


「止まらないですね」


「そうだね」


 その周囲には、小さな反応がいくつもある。


 岩牙狼。


 黒爪猿。


 ほかにも、第九階層に棲む魔物たち。


 どれも巨大な反応から離れるように、上の階層へ向かっている。


 黒瀬は通信端末を取り出した。


「こちら黒瀬。第五階層、聞こえる?」


『聞こえてる』


 田所の声だった。


「第八階層まで迎えを出せる?」


『何人だ?』


「六人。全員歩けるけど、一人は魔力切れに近い」


『分かった。坂井たちを向かわせる』


「お願い」


『黒瀬』


「うん?」


『そっちはどうなってる』


 黒瀬は一度、後ろを振り返る。


 何も見えない。


 だが《索敵》では、はっきり分かる。


「大きいのが一つ来てる」


『大きい?』


「うん」


『何が?』


「分からない」


 通信の向こうが一瞬静かになった。


『お前が分からないって言うのか?』


「初めて感じる反応だからね」


『……そうか』


「六階層より上にいる探索者も、できるだけ戻しておいて」


『分かった』


 田所がすぐに答える。


『お前も六人連れて戻れよ』


「うん」


『黒瀬』


「またあとで」


 通信を切る。


 白石がじっとこちらを見ていた。


「何?」


「田所さんが心配する理由、分かる気がします」


「そう?」


「はい」


 ズン。


 また音が響いた。


 今度は先ほどより少し大きい。


 探索者たちの顔が強張る。


「大丈夫」


 黒瀬が言った。


「まず第八階層まで行こう」


 ◇


 第八階層へ続く通路。


 黒瀬が手を上げた。


「止まって」


 一行が足を止める。


 数秒後。


 前方の横道から、三体の黒爪猿が飛び出してきた。


 一瞬。


 探索者たちが武器へ手をかける。


 しかし。


「そのままでいいよ」


 黒瀬が言う。


 黒爪猿はこちらを見た。


 だが襲ってこない。


 そのまま通路を横切り、第七階層側へ走り去っていった。


「……完全に逃げてますね」


 白石が呟く。


「うん」


 山岸が尋ねる。


「あいつら、何から逃げてるんですか?」


 黒瀬は少しだけ後ろを見る。


「たぶん、さっき話した大きいの」


「そんなに危険な魔物なんですか?」


「分からない」


「分からない?」


「まだ見てないからね」


 山岸の表情が引きつる。


「黒瀬さんでも分からないんですか」


「知らないものは分からないよ」


「それはそうですけど……」


 白石が後ろから言う。


「黒瀬さん」


「うん」


「また近づいてます?」


「うん」


 もう距離はそれほどない。


 この速度なら。


 六人を第五階層まで連れて戻っている時間はない。


 黒瀬は前方へ《索敵》を伸ばした。


 人間の反応。


 四つ。


「迎えが来たね」


 少し進む。


 通路の向こうから、救助服を着た坂井たちが姿を現した。


「黒瀬さん!」


「お疲れ」


 坂井が六人を見る。


「全員います?」


「六人。大きな怪我はなし。一人だけ魔力消耗が大きい」


「了解です」


 救助員の一人が、魔力切れに近い男性へ近づく。


「歩けますか?」


「はい」


「きつくなったらすぐ言ってください」


「ありがとうございます」


 黒瀬は白石を見る。


「白石さん」


「はい」


「六人と一緒に戻って」


 白石がすぐに首を振った。


「黒瀬さんは?」


「少し戻るよ」


「やっぱり」


「何が?」


「そう言うと思いました」


 白石は第九階層へ続く通路を見る。


「私も行きます」


「白石さん」


「はい」


「今、救助対象何人だっけ?」


 白石が黙る。


「六人です」


「うん」


 黒瀬は六人を見る。


「まだ誰も第五階層まで帰ってない」


 白石の表情が変わった。


「……はい」


「俺たちの仕事、まだ終わってないよ」


 少し間を置いて。


 白石が頷く。


「分かりました」


「お願いね」


「はい」


 それから白石は黒瀬を見る。


「絶対戻ってきてください」


「もちろん」


 黒瀬が少し笑う。


「行ってくるよ」


 救助用ナイフを確認する。


 そして。


 一人で第九階層へ戻った。


 ◇


 白石は何度か振り返った。


 黒瀬の姿は、すぐに見えなくなった。


「白石さん」


 坂井が声をかける。


「行こう」


「……はい」


 六人を挟む形で進む。


 坂井が先頭。


 白石は最後尾についた。


 しばらくして。


「すみません」


 声がした。


 魔力をほとんど使い切っていた男性だ。


「どうしました?」


「ちょっと……足に力が」


 白石がすぐに横へ行く。


「少し休みましょう」


「でも、急いだ方が」


「急いで転んだら、もっと遅くなります」


 男性が壁へ手をつく。


「すみません」


「謝らなくていいですよ」


 白石は男性の腕を自分の肩へ回した。


「もう少しです」


「歩けます」


「じゃあ、一緒に歩きましょう」


「……はい」


 一歩。


 ゆっくり進む。


「本当にすみません」


 男性がもう一度言った。


 白石は少し考えて。


「謝るのは地上でお願いします」


「え?」


「あ」


 自分で言ってから気づいた。


 坂井が振り返る。


「黒瀬さんみたいなことを言うんだな」


「……今の忘れてください」


「いいじゃないか」


「なんか恥ずかしいです」


 男性が小さく笑った。


 緊張していた六人の表情も、少しだけ緩んだ。


「行きましょう」


 白石はもう一度言った。


「みんなで帰りますよ」


 ◇


 第九階層。


 黒瀬は一人、奥へ進んでいた。


 魔物の姿はほとんどない。


 正確には。


 黒瀬の進む方向から、逃げ続けている。


 ズン。


 音が近い。


 通路の奥。


 何かが岩壁に触れる音。


 ガリ……。


 ガリ……。


 黒瀬は立ち止まった。


「そろそろかな」


 暗闇の向こう。


 最初に見えたのは。


 脚だった。


 太い。


 黒い甲殻に覆われた脚が、岩の床へ下りる。


 ズン。


 次に巨体。


「……大きいね」


 黒瀬が見上げる。


 全長は十メートル近い。


 四本の太い脚。


 身体全体が黒い甲殻に覆われている。


 頭部らしい部分は低く。


 目がどこにあるのかも分からない。


 黒瀬の知っている魔物ではなかった。


 二十年以上。


 何度もダンジョンへ潜った。


 四十階層まで到達したこともある。


 それでも。


「初めて見るな」


 巨大な魔物が動きを止めた。


 黒瀬の方を向く。


「君がみんなを追い出したの?」


 答えるはずもない。


 次の瞬間。


 巨体が動いた。


「速い」


 黒瀬が横へ飛ぶ。


 直後。


 巨大な脚が、さっきまで立っていた場所へ叩きつけられた。


 岩の床が砕ける。


 黒瀬は身体を起こしながら《索敵》を広げる。


 脚。


 胴体。


 頭部。


 体内の反応。


 どこが動く。


 どこに力が集まる。


 救助用ナイフを抜いた。


 巨体の横へ回り込む。


 甲殻へ刃を走らせる。


 ギィン!


 金属同士がぶつかったような音。


 ナイフが弾かれた。


「硬いね」


 巨大な魔物が身体を振る。


 黒瀬が後ろへ跳ぶ。


 黒い脚が横を通り過ぎた。


 一撃でもまともに食らえば危ない。


 だが。


「分かりやすい」


 大きい。


 だからこそ。


 身体のどこへ力が集まっているのか、《索敵》ではよく見える。


 右前脚。


 次に左。


 身体が沈む。


「来るね」


 突進。


 黒瀬は直前まで動かない。


 そして。


 横へ。


 巨体が通り過ぎる。


 岩壁へ激突。


 轟音。


 壁の一部が崩れた。


 黒瀬はその背中を見る。


 どこも硬そうだ。


 ただ。


「そこか」


 脚の付け根。


 甲殻と甲殻の間。


 動かすために、わずかな隙間がある。


 黒瀬が走る。


 だが巨大な魔物も振り返った。


 脚が振り下ろされる。


「っと」


 完全には避けきれない。


 黒瀬の肩をかすめる。


 救助服が裂けた。


 身体が岩壁へぶつかる。


「痛いな」


 左肩を動かす。


 折れてはいない。


 まだ動く。


「白石さんに怒られそう」


 巨大な魔物が再び迫ってくる。


 黒瀬は救助袋へ手を伸ばした。


 取り出したのは。


 細いワイヤー。


 搬送用の固定具だった。


「これ、こういう使い方するものじゃないんだけどね」


 片側を岩壁から突き出した岩へ固定する。


 もう片方を持ったまま走る。


 巨大な魔物が黒瀬を追う。


 一歩。


 二歩。


 三歩。


 黒瀬が横へ抜ける。


 ワイヤーが巨大な前脚へ絡んだ。


 一瞬。


 動きが止まる。


 それで十分だった。


 黒瀬が懐へ飛び込む。


 脚の付け根。


 甲殻の隙間。


 救助用ナイフを深く突き刺す。


 巨大な身体が暴れた。


「まだか」


 ワイヤーが切れる。


 黒瀬が距離を取る。


 黒い魔物が低い音を響かせる。


 まだ立っている。


 だが。


 右前脚の動きが鈍い。


 黒瀬は《索敵》を集中させる。


 さっき刃を入れた場所。


 その奥。


 大きな反応が脈打っている。


「もう一回!」


 黒瀬が走る。


 巨大な魔物が脚を上げる。


 かわす。


 頭部が突き出される。


 身体を沈める。


 すれ違う。


 右前脚。


 黒瀬が踏み込んだ。


 同じ隙間に先ほどより深くナイフを突き入れる。


 そして捻る。


 巨大な身体が大きく震えた。


 一歩。


 二歩。


 後ろへよろめく。


 黒瀬がナイフを抜く。


 数秒は経っただろう。


 黒い巨体はその場で立っていた。


 やがて。


 ゆっくり傾いた。


 ズズン……。


 第九階層全体が震えるような音とともに巨体が倒れた。


 黒瀬は少し離れた場所から《索敵》を向ける。


 反応が弱くなり、ついには消えた。


「……終わった」


 黒瀬は息を吐いた。


 だが、すぐに《索敵》を広げる。


 第九階層。


 それまで上へ向かっていた反応が少しずつ、止まり始めている。


「やっぱりおまえだったか」


 黒瀬は倒れた巨大な魔物を見る。


 なぜ、こいつがここへ来たのか。


 どこから来たのか、それは分からない。


「そこは、あとで調べてもらおう」


 黒瀬は通信端末を取り出した。


「田所」


『黒瀬!』


「うん」


『今どこだ!』


「第九階層」


『どうなったんだ!』


「たぶん大丈夫」


『たぶん?』


「大きいのは止めたよ」


 通信の向こうが静かになった。


『……倒したのか?』


「うん」


『何だった?』


「知らない魔物」


『お前でも?』


「初めて見た」


『……で、それを一人で倒したのか』


「うん」


 また沈黙。


『そうか……』


 黒瀬は少し笑った。


「魔物の移動も止まり始めてる。しばらく九階層は閉鎖した方がいいと思う」


『もう管理所に連絡してる』


「ありがとう」


『怪我は?』


「少し」


『少しってどのくらいだ』


「救助服が破れた」


『お前じゃなくて身体だよ!』


「肩をちょっとぶつけた」


『すぐ戻れ』


「うん」


『絶対だぞ』


「分かったって」


 通信を切る。


 黒瀬は倒れた巨体をもう一度見る。


「じゃあ帰ろうか」


 誰に言うでもなく呟き。


 第五階層へ向かった。


 ◇


 第五階層退避所。


 六人の探索者は、全員無事に到着していた。


 魔力を使い切っていた男性も、治療担当から魔力回復薬と温かい飲み物を受け取っている。


「六人とも問題ありません」


 治療担当が言った。


「今日は地上へ戻って休んでもらいます」


「よかった」


 白石が息を吐く。


「ありがとうございます」


 山岸が頭を下げた。


「本当に助かりました」


「いえ」


 白石は笑う。


「全員、自分の足でここまで帰ってきましたから」


 山岸たちを見送る。


 しかし。


 白石の視線は、何度も第九階層側へ向いていた。


「まだ戻らないな」


 坂井が言う。


「……はい、でも、黒瀬さんですから」


 白石が答えた。


「それでも心配だ」


「それはそうですね」


 田所は何も言わず、通路を見ている。


 その時。


「来ました」


 白石が言った。


 通路の奥。


 一人の人影。


 ゆっくり歩いてくる。


「黒瀬さん!」


 白石が駆け寄る。


「ただいま」


「怪我してるじゃないですか!」


「少しだけね」


「救助服、破れてます!」


「うん」


「血も出てます!」


「ちょっと擦っただけ」


「座ってください!」


「大丈夫だよ」


「座ってください」


「……はい」


 黒瀬は素直に近くの椅子へ座った。


 田所がやってくる。


「で?」


「何?」


「何がいた」


「知らない魔物」


「どんな?」


「十メートルくらいかな」


「は?」


「黒くて、硬くて」


「それで?」


「倒したよ」


「説明が雑すぎるだろ」


 坂井が苦笑する。


「黒瀬さんらしいですけど」


 白石は黒瀬の肩を確認している。


「痛くないですか?」


「ちょっと痛い」


「ほら」


「でも折れてないよ」


「そういう問題じゃありません」


 田所がため息をついた。


「魔物の流れは?」


「止まってきてる」


「原因はそいつか」


「たぶんね」


「何で九階層まで上がってきたんだ?」


「分からない」


 黒瀬が答える。


「そこは調べてもらわないと」


 田所が頷いた。


「九階層は閉鎖。八階層も今日は新規入場停止になった」


「うん」


「六、七階層も順次探索者を戻してる」


「よかった」


「今のところ」


 田所が少しだけ笑う。


「今回の救難で死者はゼロだ」


 黒瀬が田所を見る。


「重傷者もなし」


「そっか」


 黒瀬が息を吐いた。


「よかった」


 ◇


 夜。


 奥多摩第一ダンジョン救助管理所。


 すべての救助対応が終わった頃には、すっかり夜中になっていた。


 黒瀬は肩の処置を終え、休憩室へ入った。


「あ」


 机の上。


 昼に置いたままのパンがある。


「忘れてた」


 黒瀬が手に取る。


 そこへ白石が入ってきた。


「まさか」


「何?」


「それ、食べるんですか?」


「昼ご飯だからね」


「もう夜ですよ」


「でも二個目まだ食べてないし」


 袋を開ける。


 一口。


 噛む。


「……硬い」


「そりゃそうですよ」


 白石が呆れた顔をする。


「明日はちゃんと昼に食べよう」


「毎日そうしてください」


「うん」


 黒瀬はもう一口パンを食べる。


 やっぱり硬い。


 今日は三つの救難信号が重なった。


 それでも、全員地上へ帰すことができた。


 今日はそれで十分だった。


 黒瀬は硬くなったパンを食べながら、小さく笑った。



最後まで読んでいただきありがとうございます。

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