第32話 三つの救難信号(中編)
第五階層退避所。
『第九階層から救助要請!』
通信の向こうから、切羽詰まった声が響く。
『複数の探索者が帰還できなくなっています!』
黒瀬慎吾は通信端末へ近づいた。
「人数は?」
管制員が確認する。
『こちら第五階層退避所。落ち着いてください。何人いますか?』
『……六人です!』
「六人」
白石ひなたが呟いた。
『二つのパーティーです。俺たち三人と、途中で合流した三人!』
『負傷者は?』
『大きな怪我はありません! でも、一人が魔力切れです!』
黒瀬が田所を見る。
「場所は?」
管制員が大型地図を開く。
『第九階層中央区画。旧中継所です』
田所が眉をひそめた。
「旧中継所?」
「退避できる場所なんですか?」
白石が聞く。
「昔、資材を置いてたところだな」
坂井が地図を見る。
「入口が狭い。中はそこそこ広いです」
『何に囲まれていますか?』
管制員が尋ねる。
通信の向こうで男が息を整える。
『魔物です』
『種類は?』
『いろいろです』
黒瀬の表情が変わった。
「いろいろ?」
『岩牙狼もいます。黒爪猿もいます。それから……見たことないのも』
田所と坂井が顔を見合わせる。
『同じ群れではありません。でも、全部こっちに流れてきて……』
「どっちから?」
黒瀬が通信へ入った。
『え?』
「魔物は、どっちから来てる?」
一瞬、間が空く。
『……十階層側です』
退避所が静かになった。
白石が黒瀬を見る。
第六階層では、第七階層側から。
第七階層では、第八階層側から。
第八階層では、第九階層側から。
そして。
第九階層では。
十階層側から。
「やっぱりか」
田所が低い声で言った。
黒瀬は地図を見る。
「六人は今、旧中継所から出られない?」
『はい。正面の通路を魔物が通り続けています』
「襲われてる?」
『今はまだです。俺たちが中に入ってから、何体か入口を見に来ましたけど……ほとんどはそのまま上の階層へ向かっています』
「なるほど」
黒瀬が少し考える。
魔物たちは探索者を狙って集まっているわけではない。
何かから逃げるように。
上へ。
上へ。
移動している。
「黒瀬」
田所が言った。
「俺も行く」
「田所さんたちは今戻ったばかりでしょう」
白石が言う。
「まだ動ける」
「でも第六階層の救助が終わったばかりです」
「こういう時に休んでられるかよ」
黒瀬が田所を見る。
「田所」
「あ?」
「ここにいて」
「何でだよ」
「まだ救助要請が増えるかもしれない」
田所が黙る。
「第五階層を空にする方が怖いよ」
黒瀬が続ける。
「坂井もいるし、ここから下の対応をお願いしたい」
「……お前ら二人で九階層まで行くのか?」
「うん」
「白石さんも?」
白石が答える。
「行きます」
田所が少し考えたあと、大きく息を吐いた。
「分かった」
そして黒瀬を見る。
「何かあったら、すぐ戻れ」
「うん」
「一人で十階層まで行こうとか思うなよ」
「まだ何も言ってないよ」
「お前は言う前に行くから言ってんだ」
坂井が小さく笑う。
「否定できないですね」
「白石さん」
「はい」
「見張っといてくれ」
「分かりました」
黒瀬は少し笑った。
「じゃあ行こうか」
「はい」
◇
第七階層。
黒瀬と白石は、ほとんど立ち止まらず進んでいた。
「さっきより少ないですね」
白石が周囲を見る。
「魔物?」
「はい」
いつもなら何体か反応がある区画。
それなのに。
ほとんどいない。
「上に行っちゃったのかもしれないね」
「でも」
白石が少し顔を曇らせる。
「何から逃げてるんでしょう」
「まだ分からない」
「十階層で何か起きてる?」
「その可能性はあるね」
黒瀬が《索敵》を広げる。
前方。
人間の反応はない。
魔物も少ない。
さらに奥へ。
「……いる」
「魔物ですか?」
「うん」
白石が警戒する。
「どこです?」
「八階層から上がってきてる」
「こっちへ?」
「違う」
黒瀬は横の通路を見る。
「俺たちを避けてる」
数体の反応が、別の通路へ逸れていく。
白石が眉をひそめる。
「魔物が?」
「うん」
「黒瀬さんに気づいたからじゃなくて?」
「俺だけならあり得るかもしれないけど」
「それはそれですごいですけど」
「でも、たぶん違う」
魔物の動きが妙だった。
狩りをしている動きではない。
縄張りを守っているわけでもない。
何か一つの方向から遠ざかろうとしている。
黒瀬は歩く速度を上げる。
「六人を先に出そう」
「はい」
◇
第九階層。
ここまで来ると、空気が違った。
魔物の鳴き声。
足音。
岩を引っかく音。
遠くから、何度も聞こえる。
白石が声を落とす。
「多いですね」
「うん」
黒瀬は《索敵》を最大近くまで広げていた。
点。
点。
点。
生き物の反応が、いくつも動いている。
だが、そのほとんどが同じ方向。
第八階層へ続く道。
上へ向かっている。
「黒瀬さん」
「うん」
「六人は?」
「見えた」
前方。
ひとかたまりになった六つの人間の反応。
旧中継所の中だ。
「全員いるよ」
白石が少し安心した表情になる。
「魔物は?」
「中継所の前に三体」
「それだけですか?」
「今はね」
白石が装備を確認する。
「倒します?」
黒瀬は少し考えた。
「いや」
「また呼びます?」
「今回は逆」
「逆?」
「通り過ぎるのを待つ」
◇
旧中継所。
「まだ来ないのか?」
中にいた男が小さく呟く。
「連絡では、もう近いって」
女性探索者が答える。
六人。
もともとは別々の三人パーティーだった。
一方のリーダー、山岸達也。
三十四歳。
もう一方のリーダー、久保田亜紀。
三十一歳。
山岸たちが旧中継所へ逃げ込もうとした時、すでに久保田たちがいた。
理由は同じだった。
魔物が多すぎる。
ただし。
襲われ続けているわけではない。
次から次へと通路を通っていく。
「また来た」
久保田が入口の隙間から外を見る。
黒爪猿。
一体。
続いて、小型の魔物が二体。
しかし。
どれも中継所には近づかない。
通路を走り抜けていく。
「何なんだよ、これ」
山岸が呟く。
「俺、九階層には何十回来てるけど、こんなの初めてだぞ」
「私も」
久保田が答える。
「縄張りも何もないじゃない」
本来なら同じ場所にいるはずのない魔物がいる。
互いに争うこともない。
ただ。
上を目指している。
「……地震とかじゃないよな?」
一人が言った。
「ダンジョンに地震ってあるのか?」
「知らないけど」
「やめろよ。怖くなるだろ」
その時。
通信端末が震えた。
『山岸さん』
「はい!」
山岸がすぐに応答する。
『救助員の黒瀬です』
「黒瀬さん?」
『今、中継所の近くまで来てます』
六人の表情が明るくなる。
「外に魔物がいます!」
『三体いるね』
「分かるんですか?」
『うん』
少し間がある。
『そのまま待ってて』
「倒すんですか?」
『いや』
「え?」
『今、通り過ぎるから』
山岸が入口を見る。
一体。
さらに二体。
魔物たちが、中継所の前を横切る。
本当に。
そのまま通り過ぎていった。
数十秒後。
『今、出てきて』
山岸が久保田を見る。
「行こう」
「うん」
積んでいた資材をどかす。
六人が外へ出る。
通路の少し先。
救助服を着た男女が立っていた。
「救助員の黒瀬です」
黒瀬が言う。
「白石です」
「助かった……」
山岸が息を吐く。
「全員、歩ける?」
「一人だけ魔力切れです」
久保田が仲間を見る。
二十代の男性探索者。
顔色は悪いが、意識ははっきりしている。
「歩けます」
「無理しなくていいよ」
黒瀬が水を渡す。
「帰りはゆっくり行こう」
「ありがとうございます」
白石が六人を見る。
「それじゃあ、第五階層へ戻ります」
「あの」
山岸が言った。
「何?」
「これ、何が起きてるんですか?」
黒瀬は少し黙る。
「まだ分からない」
「でも普通じゃないですよね?」
「うん」
黒瀬は隠さなかった。
「普通じゃないと思う」
六人の表情が固くなる。
「だから今は、調べるより先に帰ろう」
「……はい」
黒瀬が先頭に立つ。
「白石さん、後ろお願い」
「はい」
六人を挟み。
一行は第八階層を目指した。
◇
しばらくは問題なかった。
魔物の反応は多い。
しかし。
黒瀬が進路を選び、群れとぶつからない道を通っていく。
「止まって」
黒瀬が手を上げる。
全員が止まる。
前方の通路を。
五体の魔物が走り抜けていった。
「今」
再び進む。
「黒瀬さん」
後ろから山岸が声をかける。
「うん?」
「全部分かるんですか?」
「全部は分からないよ」
「でも、魔物が来る前に毎回止まってますよね」
「そういうのを見つけるのが得意なんだ」
「……索敵ですか?」
「うん」
山岸が何か言いたそうな顔をした。
だが。
今はそれどころではない。
黒瀬が再び足を止めた。
「白石さん」
「はい」
声が少し違った。
白石がすぐに気づく。
「どうしました?」
黒瀬は返事をしない。
《索敵》。
さらに広く。
もっと遠く。
第九階層。
そして、その下。
第十階層へ続く方向。
無数の小さな反応が動いている。
上へ。
そのさらに奥。
「……あれ?」
黒瀬が呟いた。
「黒瀬さん?」
白石が近づく。
「何かいます?」
「うん」
「どれくらい?」
「ちょっと待って」
黒瀬が目を閉じる。
《索敵》の範囲を一点へ集中させる。
一つ。
大きな反応。
いや。
大きいという表現では足りない。
その周囲から。
魔物たちの反応が次々と遠ざかっている。
白石が黒瀬の顔を見る。
「……そんなに大きいんですか?」
「うん」
「十階層?」
「もっと奥かもしれない」
「何の魔物です?」
黒瀬は首を振った。
「分からない」
それが一番おかしかった。
二十年以上。
黒瀬は数え切れないほどの魔物を《索敵》で捉えてきた。
形。
動き。
反応。
それだけで、おおよその種類は判断できる。
だが。
今感じているものは。
「知らない反応だ」
白石が息を呑む。
その瞬間だった。
遠く。
十階層側から。
ズン。
低い音が響いた。
足元がわずかに揺れる。
「何だ?」
探索者たちが周囲を見る。
もう一度。
ズン。
今度は、さっきより近い。
そして。
黒瀬の《索敵》の中で。
大きな反応が。
ゆっくりと。
こちらへ動いた。
「黒瀬さん」
白石が聞く。
「……上がってきてる?」
黒瀬は第十階層へ続く通路を見た。
「うん」
短く答える。
そして六人へ振り返った。
「少し急ごうか」
いつもの穏やかな声だった。
だが。
白石には分かった。
黒瀬が。
いつもより少しだけ、急いでいることが。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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