第31話 三つの救難信号(前編)
午後二時過ぎ。
奥多摩第一ダンジョン救助管理所。
黒瀬慎吾は休憩室で遅めの昼食を食べていた。
「黒瀬さん、それだけですか?」
向かいに座っている白石ひなたが、黒瀬の昼食を見る。
「うん」
「パン二個ですよ」
「朝いっぱい食べたから」
「それ、昼ご飯を減らす理由になります?」
「なるんじゃない?」
「ならないと思います」
白石はそう言いながら、自分の弁当を食べる。
黒瀬が二個目のパンへ手を伸ばした時だった。
休憩室の外から、警報音が聞こえた。
「救助要請?」
白石が箸を置く。
「みたいだね」
二人はすぐに立ち上がった。
◇
「第六階層、西側坑道!」
管制員の声が飛ぶ。
「探索者二名。負傷者なし。ただし帰還経路に複数の魔物を確認。
現在、横穴へ退避しています!」
黒瀬と白石が管制室へ入る。
大型画面に第六階層の地図が表示されていた。
田所と坂井もすでにいる。
「魔物は?」
田所が聞く。
「《牙ネズミ》です。少なくとも五体」
「五体?」
坂井が眉をひそめる。
「牙ネズミって、そんな群れるか?」
「繁殖期ならあり得るんじゃない?」
田所が言う。
「今、その時期でしたっけ?」
「知らん」
管制員が二人を見る。
「田所さん、坂井さん。行けますか?」
「もちろん」
「了解です」
二人が装備を取る。
その時。
再び警報音が鳴った。
「もう一件!」
別の管制員が声を上げる。
「第七階層、南側回廊! 単独探索者一名が救助要請!」
「状況は?」
「魔物との戦闘で装備を破損。本人に大きな怪我はありません。ただ――」
管制員が通信内容を確認する。
「帰還経路を《黒爪猿》三体に塞がれています」
「三体?」
黒瀬が聞いた。
「はい」
田所が黒瀬を見る。
「今日は多いな」
「そうだね」
別の救助班が呼ばれる。
第七階層なら、ほかの救助員でも対応可能だ。
黒瀬は大型画面を見た。
第六階層。
第七階層。
二件続いただけなら、偶然だろう。
ダンジョンで救助要請が重なること自体は珍しくない。
「黒瀬さん」
「ん?」
「パン」
白石が言った。
「あ」
持ったままだった。
「戻ってから食べようかな」
「そうしてください」
その瞬間。
三度目の警報音が鳴った。
管制室が静かになる。
「……また?」
坂井が言った。
管制員が端末を取る。
「こちら奥多摩第一ダンジョン救助管理所です」
通信の向こうから、荒い声が聞こえてくる。
『第八階層です! 三人います!』
「落ち着いてください。怪我人は?」
『いません! でも、外に出られない!』
「現在地は分かりますか?」
『北東回廊の旧採掘区画! 資材置き場にいます!』
管制員が地図を切り替える。
「何が起きていますか?」
『岩牙狼です!』
「数は?」
少し間があった。
『……六体』
「六体?」
白石が呟く。
通信の向こうで大きな鳴き声がした。
『さっきまで二体だったんです! 奥から次々来て……今、入口の前にいます!』
「中に入ってきそうですか?」
『荷物を積んで塞いでます! でも、いつまで持つか――』
黒瀬が大型画面を見る。
第八階層。
三人。
岩牙狼六体。
「俺たち行こうか」
管制員が頷く。
「お願いします」
白石がすぐに装備を取った。
「黒瀬さん」
「うん」
「今度こそパン置いてください」
黒瀬は自分の手を見る。
「忘れてた」
机の上へ置く。
「行こう」
「はい」
◇
第八階層。
黒瀬と白石は北東回廊を進んでいた。
「あとどのくらいですか?」
「そんなに遠くないよ」
黒瀬は《索敵》を広げている。
前方。
大きな反応が複数。
その奥に、人間が三人。
「見つけた」
「三人ともいます?」
「うん」
「状態は?」
「動いてる。まだ大丈夫そう」
白石が息を吐く。
「魔物は?」
黒瀬は少し黙った。
「六……」
一歩進む。
「いや」
「増えました?」
「七」
白石が顔を上げる。
「また来たんですか?」
「たぶん」
「どこから?」
黒瀬は《索敵》の範囲を広げる。
新しく加わった反応は、奥から来ている。
さらに遠くにも、小さな反応が動いている。
「第九階層側だね」
「深い方から?」
「うん」
黒瀬は歩き続けた。
「急ごう」
◇
旧採掘区画。
三人の探索者は、使われなくなった資材置き場の中にいた。
入口には木箱や古い資材を積み重ねている。
その向こうを、岩牙狼が歩き回っていた。
灰色の毛。
岩のように硬い背中。
体長は大型犬ほど。
一体なら、経験のある探索者が苦戦する相手ではない。
だが。
七体。
「多すぎるだろ……」
柴田浩介が剣を握りながら呟いた。
隣では、篠原美咲が通信端末を持っている。
「救助員、もう近くまで来てるって」
「本当か?」
「さっき連絡あった」
三人目の三浦健が、積み上げた荷物を押さえている。
「こいつら、何でこんなにいるんだ?」
「知らないわよ」
「岩牙狼って、こんな群れ作ったっけ?」
「今それ考えても仕方ない」
資材置き場の外。
一体の岩牙狼が木箱へ体当たりした。
ガタン。
積み上げた荷物が揺れる。
「まずいぞ」
柴田が前へ出る。
「入ってきたら俺がやる」
「一人で?」
「三浦はもう魔力ほとんど残ってないだろ」
「まだ少しはある」
「温存しろ」
もう一度。
ガタン。
木箱がずれた。
その時。
外から大きな音がした。
岩牙狼たちが一斉に顔を上げる。
「何だ?」
柴田が隙間から外を見る。
通路の向こう。
二人の人影が立っていた。
救助服。
「来た……」
篠原が呟く。
◇
「七体います」
白石が言った。
「いるね」
「どうします?」
黒瀬は周囲を見る。
狭い通路。
この場で七体全部を相手にすれば、資材置き場へ逃げた三人も巻き込む可能性がある。
「白石さん」
「はい」
「少し下がろうか」
「え?」
「こっちへ呼ぶ」
黒瀬が救助袋から金属製の筒を取り出す。
「それ、何ですか?」
「音響筒」
遭難者に位置を知らせるための救助用具だ。
「なるほど」
黒瀬が筒を壁へ向ける。
叩く。
カァン!
甲高い音が通路いっぱいに響いた。
岩牙狼たちが一斉に振り返った。
七体の視線が黒瀬へ向く。
「来るよ」
「はい!」
白石が構える。
黒瀬は後ろへ下がる。
一体。
二体。
岩牙狼たちが資材置き場から離れていく。
先頭の一体が走り出した。
「白石さん、左」
「はい!」
白石が《身体強化》を使う。
突進してきた岩牙狼をかわす。
横から身体を打ち抜いた。
岩牙狼が地面へ転がる。
その横を二体目が抜ける。
黒瀬が救助用ナイフを抜いた。
一歩。
岩牙狼の攻撃をかわす。
首元へ刃を入れる。
二体目が倒れた。
「次、二体来るよ」
「分かりました!」
だが。
黒瀬は魔物だけを見ているわけではない。
《索敵》。
資材置き場。
三人。
問題ない。
周囲。
新しい魔物の反応。
「……ん?」
黒瀬が一瞬だけ奥を見る。
「黒瀬さん!」
白石の声。
「うん」
飛びかかってきた岩牙狼をかわす。
ナイフの柄で頭を打つ。
白石が横から蹴り飛ばした。
残った岩牙狼たちが足を止めた。
三体倒れた。
まだ四体。
しかし。
四体は黒瀬たちを見たまま、低く唸る。
「来ませんね」
「うん」
そのうち一体が後ろを向いた。
続いて、もう一体。
そして。
四体すべてが走り出した。
黒瀬たちとは反対方向へ。
「逃げた?」
白石が言う。
「……そうみたいだね」
岩牙狼たちはそのまま通路を走り去っていった。
「追いますか?」
「いや」
黒瀬は首を振る。
「救助が先」
「はい」
二人は資材置き場へ向かった。
◇
「救助員の黒瀬です」
積まれた荷物をどかす。
中から三人が出てきた。
「助かりました……」
柴田が大きく息を吐く。
「三人とも怪我は?」
「ありません」
「気分悪い人は?」
三浦が手を上げた。
「魔力がかなり減ってます。でも歩けます」
「じゃあ少し水飲んでから帰ろうか」
「はい」
篠原が外を見る。
「岩牙狼は?」
「何体か倒して、残りは逃げたよ」
「七体もいたのに?」
「うん」
柴田が首をかしげる。
「変なんですよ」
「何が?」
「俺たちがここへ来た時、岩牙狼なんていなかったんです」
黒瀬が柴田を見る。
「いつ来たの?」
「帰ろうとした時です」
「最初から七体?」
「いや」
柴田が首を振る。
「最初は二体でした」
篠原も続ける。
「戦おうと思ったんです。でも、その後ろからまた二体来て」
「それで退避した?」
「はい」
「そのあとも増えたんです」
三浦が言う。
「全部、奥から来ました」
黒瀬が聞く。
「奥って?」
三浦が通路を指す。
「第九階層へ続く方です」
白石が黒瀬を見る。
黒瀬は少しだけ黙った。
「そっか」
それ以上は言わない。
「とりあえず帰ろう」
◇
第五階層。
三人を退避所へ送り届けた頃には、夕方になっていた。
「ありがとうございました」
柴田たちが頭を下げる。
「今日は無理せず地上まで帰ってね」
「はい」
三人を見送る。
白石が息を吐いた。
「終わりましたね」
「うん」
「結局、誰も怪我してなくてよかったです」
「そうだね」
そこへ。
「黒瀬!」
田所の声がした。
振り返る。
田所と坂井が戻ってきた。
「そっちも終わった?」
「ああ」
「二人は?」
「無傷。第五階層まで連れてきた」
「よかった」
坂井が疲れた顔で言う。
「でも変でしたよ」
黒瀬が見る。
「何が?」
「牙ネズミです」
「うん」
「五体って聞いてたじゃないですか」
「増えた?」
「八体いました」
白石が目を見開く。
「八体?」
「しかも、途中から来たんです」
黒瀬が田所を見る。
「どっちから?」
「第七階層側」
黒瀬の表情が少し変わった。
「田所さんたちも?」
白石が言う。
「も?」
田所が聞き返す。
「私たちのところもです。岩牙狼が第九階層側から来てました」
全員が少し黙る。
「第七階層へ行った班は?」
黒瀬が聞いた。
ちょうどその時。
別の救助員たちが退避所へ戻ってきた。
「お疲れさまです」
「お疲れ」
黒瀬が声をかける。
「黒爪猿、どうだった?」
「三体追い払って、探索者は無事です」
「どこから来たか分かる?」
「え?」
「黒爪猿」
救助員は少し考える。
「探索者の話だと、八階層へ続く通路から突然上がってきたって」
田所が眉をひそめた。
第六階層。
第七階層側から。
第七階層。
第八階層側から。
第八階層。
第九階層側から。
白石がゆっくり黒瀬を見る。
「黒瀬さん」
「うん」
「これって……」
黒瀬は第九階層へ続く階段の方を見る。
「みんな、上に来てるね」
その瞬間。
退避所の通信端末が鳴った。
一度ではない。
続けて二度。
三度。
管制員が端末を取る。
「こちら第五階層退避所」
通信の向こうから、切羽詰まった声が響いた。
『第九階層から救助要請!』
黒瀬たちが一斉に振り返る。
『複数の探索者が帰還できなくなっています!』
黒瀬は腰の救助用ナイフへ手を伸ばした。
どうやら。
今日はまだ、終わらないらしい。
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