第26話 返事は地上で
第八階層から、救助要請が入った。
『探索者一名が斜面から滑落しました。意識はあります』
管制員の声を聞きながら、黒瀬慎吾は救助袋を背負った。
「負傷の程度は?」
『本人とは会話ができています。右足を打ったようですが、出血はありません。
ただ、岩の間に挟まって動けないとのことです』
「同行者は?」
『現場に一名残っています』
「分かりました」
黒瀬が通信を切る。
隣では、白石ひなたがすでに装備を整えていた。
「第八階層ですね」
「うん」
「行きましょう」
二人は救助管理所を出た。
◇
第八階層は、天井や岩壁に含まれる鉱石が淡い光を放つ階層だった。
暗い通路の中を、青白い光が照らしている。
危険な魔物も生息しているが、景色の美しい場所として探索者の間では知られていた。
黒瀬と白石が現場へ到着すると、通路の先で若い女性が手を振った。
「救助員さん!」
二十代後半ほどの女性だった。
探索用の革鎧を身につけ、腰には細身の剣を下げている。
「通報した木村美咲さんですね」
「はい」
「落ちた方は?」
「あそこです」
美咲が斜面の下を指した。
岩壁に沿って続く細い道の一部が崩れ、その下には大きな岩が積み重なっている。
黒瀬が《索敵》を広げた。
斜面の下に、人間の反応が一つ。
周辺に魔物の反応はない。
「宮本直樹さん」
黒瀬が斜面へ向かって声をかけた。
「聞こえる?」
「聞こえます!」
岩の向こうから、男性の声が返ってきた。
「怪我は?」
「右足を打ちました。でも、動かせます!」
「頭は打った?」
「打ってません!」
声はしっかりしている。
黒瀬は斜面の端へしゃがみ、岩の状態を確認した。
宮本は斜面を十メートルほど滑り落ち、二つの岩の間へ身体が挟まっている。
右足は見えないが、身体を大きく圧迫されている様子はない。
「すぐ行くから、そのまま待ってて」
「分かりました!」
その直後、宮本が慌てた声を上げた。
「でも、右のポケットだけは気をつけてください!」
白石が首をかしげる。
「右のポケット?」
「絶対に潰さないでください!」
「身体よりも?」
「身体も大事ですけど、ポケットも大事なんです!」
美咲が斜面の上から叫ぶ。
「直樹! 何が入ってるの?」
「何も入ってない!」
「何も入ってないなら、潰れてもいいでしょう!」
「よくないんだ!」
黒瀬は二人のやり取りを聞きながら、ロープを腰へ固定した。
「元気はありそうだね」
「そうですね」
白石が苦笑する。
黒瀬は斜面を下り、宮本のところへ向かった。
宮本は仰向けに近い姿勢で、岩の隙間に挟まっていた。
右足の上に小さな岩が載っている。
「救助管理所の黒瀬です」
「お願いします」
「右足を確認するね」
黒瀬が岩の隙間へ手を入れる。
足首に腫れはあるが、大きく変形してはいない。
「骨折はしていないと思う。強く打っただけかな」
「よかった……」
「それで、右のポケットには何が入ってるの?」
宮本が黙った。
黒瀬は宮本の顔を見る。
「救助に必要だから聞いてるんだけど」
「小さい箱です」
「硬いもの?」
「はい」
「身体に当たってない?」
「大丈夫です。たぶん」
黒瀬はポケットの位置を確認した。
手のひらに収まるほどの硬い箱が入っている。
何の箱なのかは、聞かなくても何となく分かった。
「白石さん」
「はい」
「上の岩を少し持ち上げられる?」
白石が斜面を下りてくる。
宮本の足の上にある岩を確認した。
「持ち上げるだけでいいですか?」
「うん。動かすと上の岩も崩れるから、少し浮かせるだけで」
「分かりました」
白石が岩へ両手をかける。
《身体強化》を発動させ、ゆっくりと力を込めた。
大きな岩が、わずかに持ち上がる。
「今だよ」
黒瀬は宮本の右足を支え、岩の下から引き抜いた。
「痛みは?」
「少しあります。でも、大丈夫です」
「じゃあ、身体も抜くね」
黒瀬が宮本の腕をつかむ。
宮本は岩の隙間から身体を滑らせ、黒瀬の隣へ移動した。
「下ろします」
白石がゆっくり岩を元の位置へ戻す。
鈍い音が斜面へ響いた。
「立てそう?」
宮本が右足を地面へつける。
一歩踏み出したところで、顔をしかめた。
「歩けます」
「無理しない方がいいね」
黒瀬が肩を貸そうとした、そのときだった。
宮本の右ポケットから、小さな箱が滑り落ちた。
「あっ」
箱は岩の上を跳ね、斜面を転がっていく。
白石が手を伸ばした。
転がってきた箱を、片手で受け止める。
「これですか?」
白石の手の中には、紺色の小箱があった。
宮本が固まる。
斜面の上から、美咲がこちらを見ている。
「何、その箱」
「これは……」
「直樹?」
宮本は白石から箱を受け取った。
逃げ場を探すように、黒瀬を見る。
「救助の続き、お願いします」
「もう助かってるよ」
「そうですよね……」
宮本は観念したように息を吐いた。
◇
黒瀬たちは斜面を上がった。
宮本は黒瀬に肩を借りながら、美咲の前まで歩く。
「右足は打撲だと思います。第五階層の退避所で診てもらいましょう」
黒瀬が伝える。
「ありがとうございます」
美咲は頭を下げたあと、宮本を見る。
「それで?」
「何が?」
「その箱」
「見たよね」
「見えたから聞いてるの」
宮本は小箱を握ったまま、周囲を見た。
青白い鉱石に照らされた通路。
もともとは、この先にある広場で渡す予定だった。
長い間、同じパーティーで探索してきた美咲に、大事な話をするつもりだった。
「本当は、この先で渡すつもりだったんだ」
「この先って?」
「青晶広場」
美咲が目を瞬かせた。
「大事な話があるって、それ?」
「うん」
「その前に斜面から落ちたの?」
「うん」
「格好悪い」
「自分でもそう思う」
宮本が小箱を開こうとする。
その手を、黒瀬が止めた。
「それは地上に戻ってからにしようか」
「でも、もう見られました」
「ここで返事を聞いて、また足を滑らせたら困るからね」
白石が口元を押さえる。
美咲も、少しだけ笑った。
「そうね」
「美咲?」
「返事は地上で」
「それって、期待していいの?」
「地上に着くまで教えない」
「長くない?」
「落ちなければ、もっと早かったわよ」
美咲は宮本の反対側へ回り、肩を貸した。
「ほら、帰るよ」
「うん」
四人は第五階層を目指して歩き始めた。
◇
地上へ戻った頃には、辺りが暗くなり始めていた。
宮本は救護所で右足を診てもらった。
診断は軽い打撲。
数日は安静にする必要があるものの、大きな怪我ではなかった。
救護所の外では、美咲が腕を組んで待っている。
黒瀬と白石が、少し離れた場所から見ていた。
宮本が美咲の前へ立つ。
「待たせました」
「待ったわよ」
「じゃあ、さっきの続きをしていい?」
「どうぞ」
宮本は一度深く息を吸った。
小箱を開く。
中には、小さな指輪が入っていた。
「これからも、同じパーティーでいてください」
美咲が宮本を見る。
「それだけ?」
「それと……」
宮本の声が小さくなる。
「結婚してください」
美咲はすぐには答えなかった。
宮本の顔が、少しずつ不安そうになる。
「返事は?」
「地上まで待ったでしょう」
「待った」
「じゃあ、言います」
美咲が笑った。
「はい」
宮本の顔が明るくなる。
「ただし」
「ただし?」
「もう一人で勝手に斜面へ近づかないこと」
「分かりました」
「大事な日に落ちないこと」
「それは気をつけます」
「指輪より、自分の身体を大事にすること」
「はい」
美咲は宮本が持っていた指輪を受け取った。
近くにいた救護所の職員から、小さな拍手が起こる。
白石も笑顔で手をたたいた。
「よかったですね」
「うん」
黒瀬が答える。
「ちゃんと、地上で返事を聞けたね」
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