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元日本最強の探索者、今はダンジョン救助員です ~平凡スキル《索敵》を極めたおじさん~  作者: アカメノコバチ


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第23話 自分の分は、最後でいい

 奥多摩第一ダンジョン、第四階層。


 地下水が流れる細い通路を、四人の探索者が歩いていた。


 足元を流れる水は浅い。


 深いところでも、くるぶしが隠れる程度だ。


 しかし、水温は低かった。


「うわ、また入った」


 川辺翔太が足を止めた。


 右手には、濡れた手袋を持っている。


「水野さん、お願いしてもいいですか?」


「またかい?」


「気をつけてたんですけどね」


 川辺が笑いながら、手袋を差し出した。


 水野和弘は受け取ると、両手で包むように持った。


「少し待ってね」


 水野が目を閉じる。


 手袋の表面から、少しずつ水分が消えていく。


 完全に乾くまでには、三十秒ほどかかった。


「はい」


「ありがとうございます」


 川辺が手袋をはめる。


「やっぱり便利ですね、《乾燥》」


「便利ではあるかな」


「クリーニング屋を始めたら、最強になれそうです」


「川辺」


 先頭を歩いていた三浦拓海が振り返った。


「失礼だろ」


「悪い意味じゃないですよ」


 川辺は慌てて両手を振った。


「戦闘だと使いにくそうだけど、日常生活では絶対に便利だなって」


「事実だから、気にしなくていいよ」


 水野は笑った。


 十八歳で固有スキル《乾燥》を得たときから、何度も言われてきた言葉だった。


 洗濯物には便利そうだ。


 雨の日には役に立つ。


 でも、魔物とは戦えない。


 探索者向きではない。


 最初のうちは、水野も悔しかった。


 同じ年にスキルを得た友人たちは、身体を強化したり、傷を癒やしたりしていた。


 自分だけが、濡れた布を少し早く乾かせる。


 それでも訓練を続けた。


 探索者になれるかもしれないと思った。


 しかし二十代の半ばには、諦めた。


 現在の水野は、平日は会社員として働き、月に一度だけ社会人探索サークルの仲間とダンジョンへ入っている。


「水野さん」


 後ろを歩く安西奈緒が声をかけた。


「疲れていませんか?」


「大丈夫。今日はまだ《乾燥》を一回使っただけだから」


「無理はしないでくださいね」


「うん」


 三浦が地図を確認する。


「この先に休憩できる場所があります。そこで一度止まりましょう」


 四人は再び歩き出した。


 この区画は、探索者たちから《冷水回廊》と呼ばれている。


 複数の地下水路が集まり、第四階層の南側へ流れていく。


 魔物は少ない。


 道も複雑ではない。


 初心者が水場での歩き方を覚えるには、ちょうどよい場所だった。


 そのはずだった。


 低い音が響いた。


 遠くで、何か大きなものが崩れたような音。


 三浦が足を止める。


「今の音……」


 水野が後ろを振り返った。


 水の流れが速くなっている。


 先ほどまで足首ほどだった水面が、少しずつ上がっていた。


「三浦君」


「ああ。上流で何かあった」


 三浦が周囲を見る。


「高い場所を探してください!」


 四人が走り出す。


 右側の壁に、人が入れそうな横穴が見えた。


「そこへ!」


 三浦が指を差す。


 水はすでに、すねの高さまで増えていた。


 川辺が先に横穴へ入る。


 続いて三浦。


 安西が足を滑らせた。


「あっ!」


 身体が水に倒れる。


 増水した流れが、安西を通路の奥へ押していく。


「安西さん!」


 水野は壁から手を離し、安西の腕をつかんだ。


 強い流れに引かれる。


 水野の足も滑った。


 三浦が横穴から身を乗り出し、水野の腰をつかむ。


「引きます!」


 三人で安西を引き上げる。


 安西の右足が、岩の隙間に挟まっていた。


「痛っ……!」


「動かさないで」


 水野が水の中へ手を入れ、安西の足元を探る。


 靴が岩に引っかかっている。


「靴を脱がせます」


「お願いします」


 水野が靴ひもをほどく。


 安西の足が抜けた。


 三浦と川辺が、安西を横穴へ引き上げる。


 最後に水野も横穴へ入った。


 その直後。


 大量の水とともに、大小の岩が通路へ流れ込んできた。


 横穴の入口近くへ岩が積み重なる。


 四人が通ってきた道は塞がれた。


「全員いますね」


 三浦が確認する。


 水野は安西を見る。


「安西さんは?」


「右足が……」


 安西が足首を押さえている。


 靴を脱いだ足は腫れ始めていた。


「立てそうですか?」


 安西が壁へ手をつく。


 右足を地面につけた瞬間、顔をゆがめた。


「無理です」


 三浦が通信端末を取り出した。


「増水する前に、救難信号は送りました。ただ……」


 端末の画面には、送信中の表示が残っていた。


「届いてますか?」


 川辺が尋ねる。


「分からない。位置情報は途中で切れてる」


 横穴の奥は暗かった。


 川辺が携帯ライトを点ける。


 狭い空間。


 冷たい岩壁。


 奥へ続く道はない。


 逃げ込むためだけにできた、行き止まりのくぼみだった。


 三浦が周囲を確認する。


「水が引くまで、ここで待つしかありません」


 四人は全身が濡れていた。


 上着も、ズボンも、靴の中も。


 水野は自分の腕を抱く。


 横穴には風が通っていた。


 濡れた服から、急速に体温が奪われていく。


「まず、安西さんの足を固定しましょう」


 三浦が救急用品を取り出した。


 袋の中に水が入っている。


 包帯も固定布も濡れていた。


「使えないことはないけど……」


 川辺が携帯ヒーターを取り出す。


 点火ボタンを押す。


 何も起きない。


「こっちも駄目です」


「電池は?」


「点火部分に水が入ったみたいです」


 安西が小さく震えている。


「すみません。私のせいで……」


「安西さんのせいじゃない」


 三浦が答える。


 しかし、その声にも焦りがあった。


 水野は川辺から携帯ヒーターを受け取った。


「少し貸して」


「水野さん?」


「乾かせるかもしれない」


 水野は点火部分を両手で包んだ。


 目を閉じ、《乾燥》を使う。


 内部に入り込んだ水分を、少しずつ抜いていく。


 手袋を乾かすよりも難しい。


 外側から見えない場所にある水分を探し、狭い範囲へスキルを集中させる。


 一分。


 二分。


 水野の額に汗が浮かぶ。


「もう一度、点けてみて」


 川辺がボタンを押す。


 小さな音が鳴り、携帯ヒーターから温風が出た。


「ついた……」


 三浦が安西の近くへヒーターを置く。


「これで少しは温まります」


 水野は濡れた救急用品を手に取った。


「次は、これを乾かそう」


「水野さん、休まなくて大丈夫ですか?」


「安西さんの足を固定する方が先だよ」


 水野は包帯へ《乾燥》を使った。


 一枚ずつ。


 時間をかけて、水分を抜いていく。


 乾いた包帯と固定布を使い、三浦が安西の足首を固定した。


「痛みますか?」


「さっきよりは楽です」


「次は毛布だね」


 水野が濡れた毛布を広げる。


 川辺が止めた。


「それ、一枚乾かすのにどれくらいかかるんですか?」


「分からない。十分くらいかな」


「そんなに使い続けたら、水野さんが先に疲れますよ」


「でも、このままじゃ安西さんの体温が下がる」


「俺たちの上着を重ねれば――」


「全部濡れてるでしょう」


 水野は毛布を握った。


「大丈夫。こういうときのためのスキルだよ」


 自分で言ってから、水野は少しだけ驚いた。


 そんなふうに《乾燥》を言ったのは、初めてだった。


 ◇


 どれくらい時間がたったのか。


 水野には分からなくなっていた。


 安西の毛布を乾かした。


 次に、足を包む布。


 川辺の上着。


 三浦の上着。


 濡れた靴下。


 携帯ヒーターの予備部品。


 一つ乾かすたびに、水野の身体から力が抜けていった。


 安西は乾いた毛布に包まれている。


 三浦と川辺も、乾いた上着へ着替えていた。


「水野さん」


 三浦が言う。


「次は自分の服を乾かしてください」


「あと一枚だけ」


 水野の手には、二枚目の毛布があった。


「それは誰の分ですか?」


「安西さんの足に巻く」


「もう一枚あります」


「でも、足元は冷えやすいから」


「水野さんの服の方が先です」


 水野は首を振った。


「自分の分は、最後でいいよ」


「よくないです」


 安西が声を上げた。


 毛布の中から、水野を見ている。


「水野さん、ずっと震えてるじゃないですか」


「少し寒いだけだよ」


「唇の色も悪くなってます」


「これが乾いたら休むから」


 水野は《乾燥》を続ける。


 指先の感覚が薄れている。


 手のひらの中で、毛布から少しずつ水分が抜けていく。


 昔から、役に立たないと言われてきた。


 洗濯物を乾かすだけのスキル。


 魔物を倒せない。


 仲間を守れない。


 探索者にはなれない。


 それでも今は、三人が自分の乾かした服を着ている。


 安西の足には、自分が乾かした包帯が巻かれている。


 携帯ヒーターも動いている。


 もう少しだけ。


 もう少し続ければ、三人は救助が来るまで耐えられる。


「あと少しだから」


 水野の声は、震えていた。


 ◇


「救難信号を確認しました」


 救助管理所で、管制員が地図を開いていた。


「第四階層の冷水回廊付近です。ただし、位置情報が途中で途絶えています」


「増水の原因は?」


 田所が尋ねる。


「上流で小規模な崩落が発生したようです。現在、水量は減り始めています」


 黒瀬は地図を見る。


「入場者は四人?」


「はい。三浦拓海、安西奈緒、川辺翔太、水野和弘の四名です」


 白石が救助用上着を着る。


「黒瀬さん、行きましょう」


「うん」


 二人は第四階層へ向かった。


 ◇


 冷水回廊へ入ると、通路のあちこちに流木や岩が残っていた。


 水はひざ下まで下がっている。


 しかし、普段の道は複数の場所で塞がれていた。


 黒瀬が《索敵》を広げる。


 岩壁の向こう。


 流れる水。


 通路に残る小型魔物。


 その奥に、人間の反応が四つある。


「四人いる」


 白石が息をつく。


「全員、生きていますか?」


「うん」


 黒瀬は一つの反応へ意識を向けた。


「でも、一人だけ弱くなってる」


「怪我をした人でしょうか」


「分からない。急ごう」


 横穴の入口を塞ぐ岩の前へ到着する。


 人間が通れる隙間はない。


 白石が岩へ両手をかけた。


「動かします」


 《身体強化》を使う。


 大きな岩が、ゆっくりと持ち上がった。


 黒瀬が隙間の奥を確認する。


「右側へ動かして。下に小さい岩がある」


「はい」


 白石が岩をずらす。


 人が一人通れる隙間ができた。


 黒瀬が先に入る。


「救助管理所です。聞こえますか?」


「こっちです!」


 奥から、若い男性の声が返ってきた。


 黒瀬と白石が横穴へ入る。


 携帯ヒーターの小さな明かりが見えた。


 三人が、乾いた上着や毛布に包まれている。


 その隣。


 水野だけが、濡れた服のまま岩壁にもたれていた。


 両手には毛布を握っている。


 指先が震えていた。


 それでも、まだスキルを使い続けている。


「もういいよ」


 黒瀬が水野の前へしゃがんだ。


 水野がゆっくりと顔を上げる。


「救助の方ですか……」


「うん。迎えに来たよ」


「あと少しで、これも乾きます」


「もう十分乾いてる」


「でも、安西さんの足に……」


 黒瀬は水野の手から毛布を受け取った。


「次は水野さんを温めよう」


「私は大丈夫です」


「大丈夫じゃないよ」


 白石が乾いた救助用毛布を取り出し、水野の肩へかける。


「濡れた上着を脱ぎます」


「先に安西さんをお願いします。足を怪我しています」


「安西さんは私が確認します」


 白石は安西の足元へ移動した。


 黒瀬は水野の手首に触れる。


 身体が冷えている。


 反応が弱くなっていたのは、水野だった。


「すみません」


 水野が小さく言った。


「結局、私が動けなくなってしまって」


「何を言ってるんですか」


 川辺が立ち上がった。


「水野さんがいなかったら、ヒーターも動かなかったんですよ」


 三浦も続ける。


「安西さんの足も固定できませんでした。

俺たちの服も、全部水野さんが乾かしてくれました」


 安西が、自分を包む毛布を握る。


「水野さんだけ、自分の服を乾かさなかったんです」


「乾かせなかっただけだよ」


 水野は笑おうとした。


「三人分で、力を使い切ってしまって」


 黒瀬が救助用毛布を、水野の身体へしっかり巻く。


「昔から、役に立たないスキルだと言われてきました」


 水野が呟いた。


「私も、そう思っていました」


「うん」


「魔物も倒せません。怪我を治すこともできません」


 水野は三人を見る。


「今日は、たまたま水があったから……」


「水野さんがいなかったら、三人はどうなってたと思う?」


 黒瀬が尋ねる。


 水野は答えられなかった。


 白石が安西の状態を確認しながら言う。


「濡れたまま待っていたら、もっと体温が下がっていました」


 三浦がうなずく。


「俺たちは、何もできませんでした」


「水野さんが全部、使えるようにしてくれたんです」


 川辺が自分の上着を握る。


 黒瀬は水野へ言う。


「役に立たないスキルじゃないよ」


「でも……」


「魔物を倒すためだけに、スキルがあるわけじゃないからね」


 黒瀬は、もう一度三人を見る。


「今日は、そのスキルで三人を守ったんだよ」


 水野は、自分の手を見下ろした。


 冷えて、赤くなった指。


 十八歳のときから、好きになれなかったスキル。


 その手で乾かした服を、三人が着ている。


「私が……」


 水野の声が止まる。


「三人を?」


「はい」


 安西が答えた。


「水野さんが守ってくれました」


 水野は顔を伏せた。


「そうですか」


 しばらくして、小さく息を吐いた。


「初めて言われました」


 ◇


 安西は白石が背負った。


 水野は黒瀬に肩を借りる。


 三浦と川辺も、自力で横穴から出た。


 増水の痕跡が残る通路を、ゆっくりと戻っていく。


 地上へ着くと、安西と水野は救護所へ運ばれた。


 安西の右足は捻挫。


 水野は体温が下がっていたが、しばらく温めることで回復した。


 処置を終えた水野が救護所から出ると、三浦たちが待っていた。


「ごめんね」


 水野が言った。


「最後は、みんなに助けてもらってしまった」


「その前に、俺たちを助けたじゃないですか」


 三浦が答える。


「次も来てくれるんですか?」


 水野は少し驚いた。


「私がいると、進むのが遅くなるだろう」


「逆です」


 川辺は真剣な顔で言った。


「水野さんがいない方が怖いです」


「でも、私は戦えないよ」


「俺たちも、濡れたヒーターは直せません」


 三浦も笑う。


 水野は困ったように笑った。


「それじゃ、乾燥係を続けないといけないね」


「お願いします」


 三人が同時に頭を下げた。


 水野はしばらく三人を見たあと、照れたように頭をかいた。


「分かったよ」


 その声は、少しだけ誇らしそうだった。


 ◇


 救助管理所へ戻る途中、白石が黒瀬の隣を歩いていた。


「《乾燥》は、戦闘には向かないスキルかもしれません」


「うん」


「でも、今日は三人を助けました」


「そうだね」


「役に立たないスキルなんて、本当はないんじゃないでしょうか」


 黒瀬は少し考えた。


「役に立たないんじゃなくて、必要な場所が見つかってないことはあるかもね」


「水野さんは、今日見つけたんでしょうか」


「自分のスキルを使う場所を?」


「はい」


 黒瀬は、救護所の方を振り返った。


 三人に囲まれた水野が、笑いながら何かを話している。


「それもあるけど」


 黒瀬は前を向いた。


「自分が役に立ってたことを、やっと知ったんじゃないかな」



最後まで読んでいただきありがとうございます。

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